書道家Syuunの忘れ物

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半島がらみの不祥事が語られないフジ「知りたがり!」のポスト菅

2011-08-16 14:12:09 | マスコミ照魔鏡
半島がらみの不祥事が語られないフジ「知りたがり!」のポスト菅

たまに休みの日にTVを見ていると妙な番組というものにぶつかる。
それは、フジテレビの平日午前中9時55分からやっている「知りたがり!」という情報番組。Webサイトを見るとあの似非韓流ブーム批判に対して、フジテレビ擁護を繰り返していたロンブーの「田村淳」が中心レギュラーであった。
こういうのを見透かされると「田村淳」というのは、所詮お仕事を干されないように自分を守った単なるバカだと言う事がよく分かる。
2011/08/16のメール投稿募集は=「ポスト菅レースの課題」について=と言うこと。」

番組では、「ポスト菅レース」について説明した。しかし、その論点は焦点をぼかして、いわゆる新聞やTVで報道されている上辺だけの情報に終始していた。
伊藤キャスターは、菅総理退陣に対して「いぜんは菅総理でもよかったのではないかという話しもありましたが」と言うような妙なこと言う始末。
実際は、番組で問題点として菅総理が「いつ辞める」ということを明言していないことであると言う。
それは、正しいことなのだがなぜ菅総理が「辞める」と言い出したのかという事に対して何も論じないのは実に妙なことである。
本来3月に外国人による違法献金問題で退陣する間際だったのを大震災で逃れ、その後「大連立」と読売新聞が叫び、家電芸人にも「大連立」を連呼させて煽ったものの所詮あだ花に終わり。今度は原発停止というポピュリズムに乗って安全と見られる最新の浜岡原発を停止。散々東日本大震災の復興の邪魔ばかりして来たのが菅総理であったはず。
それでも居座ったのは米国の言う事を聞いていれば、「米国が支持してくれる」ならば総理でいられるということだったらしい。
事実として聞こえてくるのが、鳩山前首相が退陣したのが米国の支持を得られなかったからと言われているし、新進党の細川元総理が退陣したのが米国からの批判だった。
そういうことからして菅総理が退陣表明したと言うのが米オバマ大統領との会談が難しいという話しからである。

米国としてもレイムダックになった菅首相と会談してみたところで意味は無いし、しかも北朝鮮との関わりが濃厚になったと言うことが国会で証明された。
会談しても、情報が北朝鮮や中国にそのまま筒抜けであれば会談をする意味が無い。
そういった背景から見れば、「ポスト菅」というのは外国勢力との繋がりのない人達でなければならない。
考えてみれば、竹島が韓国に「不法占拠」されてると言う表現は外務省の公式発表で書かれている。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/
竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場
1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。

2.韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

    ※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が  同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。
(外務省)
と書かれているのに、「不法占拠」という言葉を拒否して発言すらしない、岡田幹事長、(元外務大臣)、元前原外相も「不法占拠」という言葉を拒否。
お笑いなのは、江田五月法務大臣。
竹島の「不法占拠」と言う言葉を拒否するも「不法‥」と言いそびれて「失礼」と韓国に誤る様子が国会答弁で披露された。

こんな日本人をないがしろにして外国人に気を遣う人物が国会議員である必要もなく、まして総理の器でもあるまい。
そして海江田万里経済産業相というのは、万里が中国好きから名付けられた人物で、日本より中国大好き人間。おまけに自身の退陣についてタイミングを誤り続け政治感覚がないことが明らか。
所詮辞めると言いながら大臣を続けていたかっただけと言うのが真相であろう。

それにしても、フジテレビでは日本国旗ですらまともに掲げられないテレビ局となって、韓国、北朝鮮絡みの不祥事というのはタブーなのかも知れない。

そうであれば、この「知りたがり!」で半島がらみの件が一切論じられないと言うのが良く分かる気がする。

イエロージャーナリズム・文化放送の痛い大竹まことの無知

2011-06-15 16:44:55 | マスコミ照魔鏡
イエロージャーナリズム・文化放送の痛い大竹まことの無知

毎日の昼過ぎ文化放送というイエロージャーナリズムの「大竹まこと ゴールデンラジオ!」と言う番組がある。
ここで繰り返される政治、政情批判というのは、いわゆるリベラルと言うより何を標榜して意見を言っているのか、実に不思議な番組なのである。
基本的には民主党擁護だったのだが、東日本大震災での不手際から擁護することも出来ないので、話題にしない。
それどころか以前のエントリー「文化放送・大竹まこと・菅総理の嘘隠しを鳩山の責にする大笑い・2011.6.3」に示されたとおり、菅総理に関しては全く触れないというのが通例になっている。
当然のことながら菅総理が絡めば、民主党の菅総理を下ろすことが出来ない不甲斐なさを言わなければならないのだが、民主党の民すら出で来ない。
そして出てくるのが政権を取っていない野党である自民党のことである。
野党である以上野党が何を言おうが現実問題として、事実上国政に関係ないところに現在は来ている。
それでも自民党の意見を採り上げなければならないところに、民主党の政策能力のなさと共に「市民政党」である欠点が算出している。
そうであるから批判ばかりしていて「何をどうするのか」「日本をどのように発展させ国民の暮らしを豊かにするのか」という観念がない。



今日の読売新聞第1面は「首相月内退陣しぼむ」である。
今政治が注目しているのは、政権にしがみつく菅総理の動向であり、菅総理が退陣すれば震災復興が加速度的に進むという公算である。
そして、6月退陣というのが民主党首脳のコンセンサスだったのは今までの報道通りだが、菅総理の居直りによって水泡に帰したと言うのが現実である。
ところが、この「大竹まこと ゴールデンラジオ!」の政治発言は今のところ「原発」と「大連立」という馬鹿の一つ覚えしかない。だから、いわゆる左翼と呼ばれる人達が同じ狢の菅政権を批判出来ないでいる有様を示している。
そして、朝日新聞の記事を持ち出して大連立を主張するも、菅総理が辞めればその必要もないという菅総理の居座りが障害になっていることを隠す。
それは、朝日新聞社説が原発のことばかりしか書かないのとよく似ている。
その筋書きによって、毎日冒頭から文化放送が提供した原発事故に関しての台本通り大竹まこと氏は話す。
しかし、大竹まこと氏はパソコンすらまともに使えない人物であるし、詳細な情報を収集するということもほとんどない。
それで、局アナが週刊誌のほか朝日、毎日新聞を中心にして不安を煽るようなことを言う。
その趣旨は、原発反対、原発廃止論に他ならないのだが、それでどのようにするのかとは一切ないというのは先に述べた左翼人士達、イエロージャーナリズムの典型例と言って良い。
ここで自民党の河野太郎前幹事長代理が「河野氏ら自民中堅・若手が『脱原発議連』」を作ったということを取り上げている。
河野太郎と言っても、所詮二世議員で親の七光りで国会議員なったような人物。昔「父親とは違う」と大見を切った人物である。
しかし、テロリストの支援者や赤旗や各種労働組合の旗が並ぶ原発廃止デモに賛同するような人物であるから、父親ソックリのリベラル人士であるというのは証明されてしまった。


「花うさぎさんのブログから借用」

この原発反対デモ報道は、朝日、毎日新聞しか詳細な記事はないとこの文化放送の番組では批判している。
その上、一般市民の自発的な「原発反対デモ」の様に偽装するというのは、テレビ朝日の「モーニングバード」でデモのアップ映像しか掲載しないのと同じであった。
その映像をよく見てみれば水色の左翼団体の旗が見えるのだが、誰も気づかなかったろう。
こんなことだから朝日、毎日新聞しか大きく扱わなかったのであるし、TV映像もかなり制約した画面を使っているのである。
こんなことすら分からない大竹まこと氏の知能レベル、無知というのも知れたものである。所詮台本なしでは何も出来ない役者というものである。

こんなことから分かる様に、河野太郎という代議士は簡単に言えば、原発から逃げたと言うことが正しい。
なぜなら、政治家である以上現在ある原発と原発に関わる電力というものを切り離して考えるというのは現実的ではない。
そしてどうでも良いような「自民・石原幹事長、脱原発を『集団ヒステリー』」を批判する。

その一方で、倒錯したものの考え方である「村上春樹のカタルーニャ国際賞スピーチ・核に対するノー演説」をこの文化放送では、局アナが高く評価して再度紹介している。

しかし、村上春樹氏は「非現実的な夢想家として」述べているのであって、現実を直視しているのでない。

それどころか======
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。
=======

と言うふうに、原爆を落とされたのは「日本は加害者だから」仕方がないとも言っているのである。
その前段では
「ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。」

このように言って「死者のほとんどが非武装の一般市民でした。その是非を問うことはしません。」というのは何という無慈悲なのだろうかと思わないのだろうか。
「非武装の一般市民」を虐殺することは国際法違反であり、今でも批判されることである。
ベトナム戦争でも「ソンミ事件」などがあって、糾弾されている。

そして続くのが

僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
この文章の内で
「人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。」とは他人事の様に、どこかの国の話のように言っている。

その後、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」に続くと思えば、村上春樹氏は原爆による被害とその後の原爆症の障害は日本の国ではなくどこかの国での話のように聞こえる。

要するに前回述べたように、村上春樹氏は日本人として述べてるのではなく、神の目線もしくは二次大戦の戦勝国の立場において述べていると言うことが分かる。

村上春樹氏は本当に日本を愛する日本人なのか、愛国者なのかと言うことが見えてくる一文であろう。

北関東大震災で分かるリベラルの非情さ連帯感のなさ

2011-03-22 18:53:36 | マスコミ照魔鏡
東北関東大震災で分かるリベラルの非情さ連帯感のなさ

東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)から10日ばかり過ぎるといろいろなことが分かってくる。それは、発生当時の極限状態より幾分落ち着きを取り戻してくる感じがある。そして、もう一つ分かってくるというのはこういう危機的状況などのピンチになって、その人物の本当の姿をさらけ出してしまうということである。
それがピンチになって、今まで昼行灯(ひるあんどん)の何の役にも立たない人物だったのが、突然有能な姿を現すのならこれは歓迎すべき事である。しかし、そういう昼行灯の大石内蔵助のような人物というのは、極めて少ない。
大きな顔して言えたものでは無いが、往々にして才気走っている顔をしている人物ほど危機に対して何も出来なかったり、自己保身に走るような人物が多い。
そのうちの特にリベラルと呼ばれる人達というのは、ピンチに遭ったらみんなで助け合うとか、という連帯意識を示す人などは皆無なのではと思わせるところがある。
そして、そういうリベラルな人達の無責任、責任回避に走る行動と言うのが元々そういう人達の信条から発するのではないかと思われてならない。

2011/03/22の新聞記事には週刊誌「AERA」(19日発売)のどう考えても無責任な不安を煽るような表紙の問題が掲載された。「放射能がくる」
記事では、「不謹慎」アエラが謝罪。と言うことになっているが、Webサイトではそんなことは知らぬふりを決め込んでいる。
twitterで
「AERA今週号の表紙及び広告などに対して、ご批判、ご意見をいただいています。編集部に恐怖心を煽る意図はなく、福島第一原発の事故の深刻さを伝える意図で写真や見出しを掲載しましたが、ご不快な思いをされた方には心よりお詫び申し上げます。」
「編集部では今回いただいたご意見を真摯に受け止め、今後とも、様々な角度から全力を挙げて震災報道を続けていく所存です。最後になりましたが、被災者、関係者のみなさまには心よりお見舞い申し上げます。」

こんな事が書かれているが、書かれている項目を見れば分かるとおり謝罪文書は単なる言い訳である。それどころか罹災を乗り越える「国民に対する連帯感」や「頑張ってゆこう」という気持ちは少しも表れていない。
正に、冷たい文書である
その昔、こういう事が起きて廃刊にしてしまった週刊誌だか月刊誌もあったが、ある程度の自主回収をするとかの誠意は見せるべきだろう。
そういうことは、実際絶対にしないと言うのが、こういうリベラルな人達の常套手段である。
 この週刊誌「AERA」の異常さというのは「表紙に批判『原発恐怖心を煽る』アエラ編集長がサイトでお詫び」というj-castニュースで
「ちなみに、ネガティブな『アエラ』に対し、週刊ポストの3月21日発売号がポジティブな内容だと、ネット上で話題になっている。」と書かれているとおり、東北関東大震災を国民のみんなで乗り切ろうという機運など微塵もない。
リベラルの非情さ、国民の連帯感を揶揄するしかない傍観者というのがよく分かるではないか。
ちなみにj-castニュースが報じているとおり「反捕鯨活動団体シー・シェパード代表のポール・ワトソン船長」というのは、「津波は天罰」と日本人をあざ笑っているという。

週刊新潮・記事・新聞水増し・折込みチラシの本当の悪事

2009-06-04 23:15:09 | マスコミ照魔鏡
週刊新潮・記事・新聞水増し・折込みチラシの本当の悪事

週刊新潮・2009年6月11日号では、(「新聞業界」最大のタブー「押し紙」を斬る!
ひた隠しにされた「部数水増し」衝撃の調査データ
と言う記事が載った。

この記事は、J-CASTニュースに書かれてあった。
「新聞業界最大のタブー? 週刊新潮が『押し紙』特集記事」朝日新聞の広報が「調査した地方の特別な事情」と弁解にならない様なことを言っていた。
別の記事では、「週刊新潮の『部数水増し』報道に抗議文送付」とサンスポが報じている。

「新聞業界が販売部数を水増しして公表、広告料金をつり上げているという趣旨の記事を『週刊新潮』6月11日号が掲載したのに対し、朝日、毎日、読売新聞の各社は4日までに、記事は事実無根とする同誌編集部あての抗議文を送った。
 新潮側が4日付の新聞広告の見出しで「読売18%、朝日34%、毎日57%が配られずに棄てられていた」などとしたのに対し、各社は同日付の紙面で『実態と異なり、全く信用できない』などと反論。訂正や謝罪を求めるとともに『損害賠償を含む法的措置を検討する』(毎日新聞)などとしている。」

週刊新潮の記事では、「読売18%、朝日34%、毎日57%が配られずに棄てられていた‥‥」に続き、産経新聞も取り上げられいてるが産経も50%以上だ。
そして、読売新聞が極端に少ない理由というのは、その地域では拒否する販売店の力が大きいそうだ。
ところで、販売部数の数値は、読売新聞は1000万部、朝日新聞は800万部、毎日新聞は390万部、日経新聞は、390万部、産経新聞は220万部(2,005年)と言う事になっている。

朝日新聞の「押し紙」の過大さは以前からマスコミに載ることがあって、何年か前に朝日新聞販売店の店主が抗議のために自殺した事があった。
過大な「押し紙」のために何億円も借金を作って、販売店を続けられなくなり自殺して金を返すしか方法がなかったというような記事だった。
実際、朝日新聞の新聞勧誘などは正に「押し売り」まがいであって、家に勧誘に来た時はドアの間に足を入れて閉めさせないようにするほど執拗で悪質だった。
その販売店はその数年後に潰れた。

この週刊新潮で指摘しているのは、実は「押し紙」という販売部数水増しというだけではない。
もっと悪質な、詐欺まがいと指摘されているのは「新聞折り込みチラシ」の部数水増しなのではないだろうか。
20年以上前の話、実際の経験によると、「新聞折り込みチラシ」を例えば人口25万人くらいの都市の場合、全戸に入れるには15-20万部必要と言われていた。
しかし、事業所・店舗があるとはいえ、戸数が人口と同じくらいあるはずがない。
本来なら精々5万部も入れれば大方入るのが実態ではないかと思ったのは、ポスティングしてみたあとのことだ。
なぜなら、アパートなど新聞を取っている家は思ったより数が少ない。これで何万部も折り込みが入るはずはないと言うものだった。
時の営業部長に問いただしたところ、半分も新聞に入ればよい方だという。
そして、新聞屋に広告を頼みに行く広告屋も例えば5万部と言って、5万部も広告を印刷していないのではないかと訝ったの事がある。
なぜなら、営業所でその広告を使うから少し持ってきてくれと言ったら1,000枚も持ってきたことだ。
だから、広告屋も適当な数しか新聞屋に持って行かず、折り込み代だけ置いてくると言うのではないかと思ったのである。
当時でもB4一枚5円だったように記憶する。
今、ポスティングで「軒並み配布」の場合B4‥4.5円-5.5円。
この方が間違いなく、5万部で20万くらいの都市ならほぼ網羅するのではないか。

その昔は、ポスティングという仕事はなかったから、仕方なく10万部を入れたことがあったが、ほとんど効果がなかったこともあった。
その時、本当に配布されたのか、なんと町の中心部にでも配布されないのだ。
なぜなら、「折り込みチラシ」は読売、朝日、毎日‥‥と新聞販売店別に持って行く。
非常に妙なものなのだ。

今回、一地域の完全に近いリサーチで販売部数の水増しによって、折り込みチラシを水増ししていると言うことがほぼ明らかになった。
こんな事は、以前から「折り込みチラシ」を入れているところは薄々感づいている事で、今後は「ポスティング」に移るかも知れない。
なぜなら、ポスティングだと、細かく地域を限定出来たり、戸建て、集合住宅と限定出来るからである。
折り込みチラシの部数偽装というのは、今から思えば本当に許せない事だった。
この記事のように、本当の「闇」と言うものは明らかにしなければならないし、正して行く必要があるだろう。
そして、この記事を書いたフリージャーナリストの黒薮哲哉氏は、「私は、押し紙問題を取材する過程で、読売新聞西部本社サイドから2件の訴訟を起こされました。」と書いている。
米国なら多分暗殺されているかも知れない。ジュリア・ロバーツ・デンゼル・ワシントン主演・映画「ペリカン文書」(1993)と言うのがあった。
映画では数人暗殺されるのであるが、新聞記者グレイは真相を突き止める。
同じく、書道界では危なく撃ち殺されるところだったが、ここは日本。
むち打ちの刑ならぬ百叩きの刑の様な、直接無関係な人物から??影での批難囂々個人攻撃、変人扱い、言論封殺、人物否定。
彼らの本心や本当の人物が見えて興味津々、人物分析をする良い材料になった。
なんだ俺は、マゾか‥‥。

田原総一朗氏の賞味期限は限界に・拉致問題発言

2009-05-11 22:54:33 | マスコミ照魔鏡
田原総一朗氏の賞味期限は限界に・拉致問題発言

「先月25日放送の討論番組『朝まで生テレビ!』で、司会を務めるジャーナリストの田原総一朗氏(75)が、拉致被害者の横田めぐみさんと有本恵子さんについて「生きていない」と発言したことに対し、拉致被害者家族会などは11日、田原氏と番組を放送したテレビ朝日に抗議文を送ったと発表した。」(読売新聞)

田原総一朗氏というのは、ジャーナリストではなくて何かの代弁をする人物だと思ってる。あの元ニュースステーションの久米宏氏は、TBSアナウンサーで深夜番組をやっていた頃を深夜番組を聴いていたのだが、ニュースステーションでは単に「喋らされていた」と言う事が番組を降りて良く分かった。
今は、そのオーディオスピーカー代わりを古舘伊知郎氏がやっているのだが、色々とお寒い限りである。
一方、田原総一朗氏というのはそう言う「オーディオスピーカー」ではないもの、番組を面白くさせるために「物議を起こすことでも」平気で言ったりする。
はっきり言えばニュース番組役者という人物だろう。
そして、その素性というのもが垣間見られたのは、田原総一朗氏が「妻がいないと何も分からないとか」、実生活に疎い面を見せたときである。
それは、バブル潰しに専念して「平成の鬼平」との異名を取った当時の三重野康日銀総裁。その後行き過ぎたバブル潰しで批判を浴びたが、その実態というのは「満員電車」で通勤したこともなく、スーパーで物を買ったこともない人物だったと言われる。
要するに、田原総一朗氏にしろ、三重野康日銀元総裁にしろ、実際の庶民の生活を見て実感しているわけではなく、常に机上に上がってきたものだけを見ている。

そうでなければ、「田原氏は読売新聞の取材に『家族の方が心を痛めたことは大変申し訳ないと思う。(発言には)事実に基づく明確な根拠があるが、情報源を明らかにすることはできない』としている。」(同)
‥‥という根拠を示すことが出来ないことを言うはずがない。
何と言っても、あの「金賢姫(キムヒョンヒ)元工作員」でさえ「家族に会える日が来ます」と言っている。

それにしても田原総一朗氏は、昭和9年生まれの75歳。(4月15日)
奇しくもあの大言壮語の大橋巨泉氏(昭和 9年 3月 22日)と同じ年。
いわゆるあの昭和一桁世代。
もう時代感覚もあまりに違いすぎるのではないか、こう言う人達が未だに言論界に君臨しているというのは、もはや「老害」としか言えないだろう。
今の50歳代以降人達は、家庭の中のことも妻と分担して生活を担う。
田原総一朗氏などの老人世代の様に、家庭の中は妻に任せるという時代感覚ではない。
そして、それは今現在の「時代感覚」となって息づくというものだ。
だから、田原総一朗氏などの75歳にもなった人物というのは、Opinion(オピニオン・世論)リーダーになり得ない。
はっきり言って、大橋巨泉氏共々早く引退せよと言うものだ。
もっとも、大橋巨泉氏は小遣い稼ぎに日本に戻ってくるだけだが。

西尾幹二先生に先を越された、保坂、北岡、半藤、五百旗氏批判

2009-02-04 23:59:04 | マスコミ照魔鏡

西尾幹二先生に先を越された、

保坂、北岡、半藤、五百旗氏  批判


保坂正康、北岡伸一、半藤一利、五百旗頭真、御厨真氏など堂々とした評論家、東大教授などの偏狭な歴史観に関して、
「時代に立ち止まる歴史・評論家の保身の真実」
と題して、一文を書こうと思って「案」を錬っているうちに年を越し、雑誌「諸君3月号」で
「米国覇権」と「東京裁判史観」が崩れ去るとき‥‥と題して西尾幹二先生が寄稿し、先を越されてしまった。
ここで、保坂正康、北岡伸一氏などついでに秦邦彦氏などを中心にしてそのメンタリティを暴いている。
以前から、保坂正康に関しては、同じ「諸君」に連載している「ナショナリズムの昭和」で違和感を持っていたものである。
酷いのは、あの元共産党員だったと暴露したナベツネか主導した読売新聞の「昭和戦後史」(保坂正康監修)だったような気がするが。
3月号で40回を数える長期連載なのだが、従来からの戦後の表面で捉える一般的な「欺瞞」に満ちた戦後史というのは腹立たしいというか、まだそんな事を言っているのかと思わせるものばかりである。
何故なら、占領下の吉田政権は、世界の常識で言えばGHQ(米国)の傀儡政権であったはずなのだが、これを民主主義政権の様に偽装している。
実際のところ、検閲があったから国民にはそのように思わせる言論統制であって、その言論統制下のことを真実の歴史と書くとおかしなものになる。
そして、社会党はソ連からの資金援助をされていたのが明らかであったし、自、社対立と言いながら事実上のデキレースであったことなど後年バラされている。
しかし、こういうことは一切書かない。
事実関係を朝日新聞の縮小版でも参考に書いているのだろうが、それだから今では常識である日本国憲法がGHQの翻訳であることなどはほとんど素通り。
日本国憲法に関しては、読売新聞が米国の公文書館で公開された文書によって米国製を暴露されるまで、自主憲法派とGHQ憲法派と産経新聞で論争があったくらいだ。
保坂正康歴史観では、日本国憲法に関してGHQ憲法とは決して書かない。
何故なら、検閲された新聞にはGHQ(MacArthur)憲法とは書かれていないからだ。
しかし、昔の学校の教科書には、GHQ(MacArthur)憲法と臭わせる記述が沢山あった。
それは、芦田修正という例の第9条の修正。
この部分のGHQから示された原文英文翻訳を芦田均憲法改正小委員会委員長がGHQと交渉して変更したという記述があった。

一方、北岡伸一氏は、時の政府にすり寄る達人で、東大教授から国連大使までやった人物で、過去ブログでその偏向した意見を暴露している。
特に面白いのは、読売新聞のコラムを書くのに「朝日新聞」の記事を使うなど、「朝日新聞論調」信奉者であることが良く分かる。しかも、大した内容がない。
その他、半藤一利氏に関しては、雑誌「正論3月号」で潮氏が滅多切りにしている。
題して「軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家」。半藤氏は、元々朝日新聞の記者になりたかった人だったそうだから、こういう似非保守派というのには、「朝日新聞」信奉者が多い。

この様な「東京裁判史観」を持った人達が、マスコミに登場して書くのは昭和史だけ。
それも、総力戦という戦時体制を批判するばかり、それは南北戦争でリンカーンが事実上の独裁で戦争を勝ち抜いた後、リンカーンは独裁したと批判したのに似ている。
今では、リンカーンを偉大な大統領と評価しているが、それは南北戦争で勝ったからに過ぎない。
こんな単純な原理を無視して、歴史を書く。
西尾先生は、
「世界を見ない自閉的自足的日本現代史を展開してきた‥‥それがほころびだした。‥‥中略‥‥『学問』とか『実証』とか『確かな史実』とかいって(従来からの歴史観という)信仰を押しつけてくるのは、枠組みが毀れだした不安の表現です。」
()内は、syuunの補足。
実際はもっと詳細に続くが、日本には国民の意識から遊離したマスコミ、学者、政治家などかなんと多い事かと今更に思う。
国民の意見が国政に反映されない。
それでは、民主主義国家ではない。
今の麻生政権を見ても分かるように、官僚統制国家であるというのが良く分かる。
福田政権も末期になって、民主主義の基本民意を感じたようである。最近、麻生政権も国民批判によって、民意を感じてきたのかも知れないが、それでは遅すぎると言うものだろう。

大竹まこと氏の非常識ここに極まる

2009-01-30 17:30:50 | マスコミ照魔鏡

大竹まこと氏の非常識ここに極まる

文化放送では、「大竹まこと ゴールデンラジオ!」というのをやっているのだが、時事問題やら政治問題を扱うと途端に思考停止する。
実際、大竹まこと氏というのは、あの久米某氏と同じように放送作家が作った原稿を丸読みしているだけなのだが、酷いものだ。
今日の問題は、あの「日本郵政『かんぽの宿』70施設のオリックスグループへの一括譲渡」の件と朝日新聞に載っていたという「37歳(?)の派遣社員が生活保護を申請して断られた件」。
「かんぽの宿」では、「70施設の土地取得代・建設費を約2400億円を(オリックス側に)109億円で売る。」と称して、わかりやすく2億円のものを1000万円で売ると批判している。
こんな事は誰だったよく分かっているではないか、土地は昔に買ったから今では十分の一以下など当たり前だ。
なんと言っても都心にあると言うわけではない。
観光地と言えば言い方がよいが、早い話田舎の僻地。今売り物になるのかと言うものもあるだろう。
それに、建設費だって古くなれば維持するより取り壊した方が安い事も多い。
新築の家でも建ててしまえば、その時点から安くなるのは当たり前だろう。
その上、負債があればその分は引くというのは妥当ではないか。
だから、大竹まこと氏の言う、事実上投げ売りという表現は誤りだ。
そして、その「かんぽの宿」を売却するのに期限が法律で定められている事すら知らないようでは「いい加減にしてくれ」というものではないか。

そして、「37歳(?)の製造業の派遣社員が生活保護を申請して断られた件」。
こんな事を新聞に載っていたからといって信ずるのがどうかしている。
なぜなら、こんな馬鹿な例は数少ないから記事になる。
そして、地方紙でもどこでも報道しているとおり「仕事」は沢山あるし、公官庁でも臨時職員を募集していた。
しかし、派遣社員で応募したというのは希れで、採用予定を縮小したという報道が多い。なぜなら、派遣社員の給与というのは大方月額30万円以上が多く、臨時職員などの短期間で安い給与のところなど行く気はないと言うのが本当のようだ。
しかも、事務職も苦手と来ているらしい。
彼らが求めているのは、高度な知識、又は事務的な知識が無くても高給で長期間勤められる職業だと言う事だ。
そして、若く健康で働く意欲がある人物が「生活保護」を受けるなどというのは「大笑い」と言うものではないか。
だから、新聞で取り上げる。
大竹まこと氏も少しは目を覚ましたらどうか。


大月隆寛・【コラム・断】で自爆する・マスコミへのおもねり暴露

2008-11-27 01:47:31 | マスコミ照魔鏡
大月隆寛・【コラム・断】で自爆する・マスコミへのおもねり・暴露

産経新聞の【コラム・断】何をしたかったのか?(2008.11.26 03:19)
というコラムで、今更ながら例の田母神俊雄・前航空自衛隊幕僚長の投稿論文問題に触れている。
それで、なぜ今頃というのか又は掲載が今頃になったのかと思えば、掲載が今頃になったのかも知れない。
それにしても、その文面を見てみると確実に投稿論文「全文」を読んでいないとありありと分かる。
何故なら冒頭で「そこまでやるなら、普通クーデターでしょう。」と何やらビント外れの書き出しだからである。なぜピント外れなのかと言えば、投稿論文は「歴史に関すること」で自衛隊・自衛官等には何も触れていないからだ。
はっきり言って、「歴史」を書いて「クーデター」という物理行動へとは、普通どう考えても結びつかない。何と言っても「行動せよ」という「アジ」論文でもない。
多分、認識は「朝日」「読売」などの新聞報道の範囲に留まる。
そして、そのマスコミは一様に「侵略戦争でなかった」、「村山談話に反する」であって、論文全文に踏み込むものはなかった。
要するに、田母神論文を一切読ませないように「封印する」というのが、国会参考人質疑でも堂々と委員長から述べられたことだ。
そして、その封印という作業は、テレビ放映にNHKは参加せず、新聞各社で論文全文を掲載したところはない。朝日、毎日新聞などが、ほんの数行引用したくらいだったはず。

大月隆寛(札幌国際大学教授)は、藪にらみの意見を得意とするところなのだが、文章の基本の「原文の当たらない」という欠点が露出した。多分こう言うのは性格なのかも知れないが、学者としては失格の部類としてか思えない。
かって、子どもの修学旅行に行かせる金が(もったい)ないから、修学旅行に行かせなかったと同コラムで書いた事があった。
こういう種類の人物は、自分可愛さで自分に対しては無駄遣いしたりするタイプだから、他人のことが分からない。
そして、売文業としてマスコミの動向に敏感に反応して「左翼か変人」を装うのはけしからぬことだ。
それにしても、軍人と自衛官の区別のつかないのがこういう売文業にもいるのか、その振りをするというのは日本人の良くないクセだ。
日本の言葉で言う「自衛官」とは、「官吏」であって「警察官」「消防官」「裁判官」‥‥と数多くある「役人」の一種だ。
それを軍人と便宜上「言い換え」区別するというのが戦後「欺瞞」である。
だから本来、海上保安庁という国境を越える警察権を行使する「行政機構」は「軍隊」でなくてはならないが、これも「官吏」という枠内にいる。
その結果、「海上保安官」は拿捕されて捕虜になっても「軍人」ではないので、かってに処刑されても法律上保護されないという欠点がつく。
そして、
「政府見解はもとより、あなた自身の職務として最前提となってきたはずの米軍との信頼関係を損ないかねない発言をあえてしてまで、果たしてあなたは何をしたかったのか?」と全く無知なことを暴露してしまったのは、またまた痛かった。
米国も当時日本と同じように、コミンテルンの被害を被ったという共通認識があれば、田母神俊雄論文もあながち「米国非難」ではない。

正直言って、「何もわからぬこちとらシビリアンとしては。」といいながら、その「シビリアン」以下で、家庭の幸せも願わず、かつ子どもの幸せをも奪う非情さ。
情けない人物というは、田母神俊雄氏ではなくてこの「大月隆寛」その人であろうということを暴露してしまった「自爆」だった。

【断 大月隆寛】何をしたかったのか?

2008.11.26 03:19

そこまでやるなら、普通クーデターでしょう。え? そこまで考えてなかった? っていうか、そんな同志が今の自衛隊の中にゃいなかった、って、そういうことですか? 田母神将軍。

  現役の軍人(ですよね、どう考えても)が、腹くくって(ですよね、普通は)あそこまでのことを発言し、物議を醸し、世間を騒がし、更迭されたついでに国会 にまで喚問されても、一向に悪びれることなく自説を展開したのは、ひとまずあっぱれです。立場をわきまえぬ無法千万なことはもちろんですし、だからこそ解 任も当然でしょう。でも、逆にそこまであえてやってのけるからには、「それから先」もちゃんと熟慮し、手当てをした上でのこと、と普通に期待しちゃうじゃ ないですか、何もわからぬこちとらシビリアンとしては。なのに、どうやら何もなかったらしい。理屈はどうあれ、まずその一点であたしゃ、釈然としません。

  たとえば最近、裁判官が判決に際して、ちょっと個人的な説教垂れたりするのが目立ちます。失礼ながら将軍、それと通底する気分、どこかにあったりしません でしたか? つまり、「自分」の名前で世間にものを言いたい、表現したい、と。だとしたら、正直がっかりです。情けないです。

 わが自衛隊 の中でいちばん米軍とかかわりの深いのが空自、と聞いています。有事想定の共同演習でも、米軍との連携が最も密接に求められる、と。政府見解はもとより、 あなた自身の職務として最前提となってきたはずの米軍との信頼関係を損ないかねない発言をあえてしてまで、果たしてあなたは何をしたかったのか? 軍人で あり武人である以上、まさか「自分の意見を言いたかった」、だけじゃないですよねえ…?(札幌国際大学教授)


文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」パートナーを評価

2008-07-10 13:04:53 | マスコミ照魔鏡

山本モナは、またまたやってくれますね!!!
二岡選手とラブホテルへ突入騒動。
山本モナは、素面の時は男嫌いだが、酒を飲むおつむの「押さえが取れて」と下半身がだらしなくなるようだ。
いくらでもキスをするようだから、全身変身なのかもしれない。
それにしても、出演料80万円と言うから我々には想像もつかない事になっている。

さて、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」のパートナーを山本モナがやっていてることから色々考えて採点してみよう。
但し、辛口で‥‥

月曜日・パートナー 阿川佐和子‥‥70点。
一種独特な思い込みと、どう考えても浮世離れしている中年独身女性。
子供がいる訳ではないので、家庭臭や足についた議論はなし。
良いのは、育ちの良さが現れる感じだろう。

火曜日・パートナー 山本モナ‥‥85点。
今度のラブホ事件がなければ、90点と言うところ。
放送作家が書いた台本棒読みの「大竹まこと」に対して、独自の経験・所見から切り込み大竹立ち往生。
議論としては、中々そうかなと思わせるところが良い。
但し、時々大竹・放送作家への切り込みがないときは、失望。

水曜日・パートナー 水谷加奈‥‥55点。
元々アナウンサーだから、自分意見もほとんど言わず、無難にやるから「大竹まこと」がから廻り。
声のトーンが高いのが救い。

木曜日・パートナー 光浦靖子‥‥35点。
時事の話題にも全く対応できず、適当に答えるから全てピント外れ。
だから話題も、舞台、芸能に限られ、しかも中年なオンナでありながら生活感なし。
生活感がないのは、阿川佐和子一人いれば充分。
その上、低いトーンのうえ独特の品のないしゃべりは、あの「顔」を思い起こされる。
当然、ウイットのない話や、台本棒読みで拡張性なし。
特に、誰も興味を持たないような非常に狭い光浦氏独自の話題は、聞くに堪えない。
大竹まこともあきれるように、聴取者はもっと耳障りだ。

木曜日は、そこで電源切ることにしている。

金曜日・パートナー 六車奈々‥‥65点
はっきり言って、よく分からない。
アナウンサー出身かと思った感じだが、「大竹まこと」がコケにするところが、良いと言うくらい。
結局、美人だから許せるのか?

 


新聞社説に見る山口県光市母子殺害死刑判決

2008-04-23 17:51:02 | マスコミ照魔鏡

新聞社説に見る山口県光市母子殺害死刑判決

新聞各社の社説では、大筋では妥当という説が多かったが当然の如く朝日と毎日だけはなぜか「放送倫理検証委員会」の事を持ち出している。
まず見出しと最初に一文は、
産経・主張
「母子殺害死刑 常識に沿う妥当な判決だ」
…少年といえども凶悪で残酷な事件を起こせば、厳罰でのぞむという裁判所の強い姿勢がうかがえた。社会の常識に沿った、極めて妥当な判決と受け止めたい。
読売社説(4月23日付)
「母子殺害死刑 年齢より罪責を重く見た」
‥‥犯行の残虐性や社会的な影響を考えれば、極刑以外にはあり得なかったということだろう。
日経社説
「国民の感覚を映した死刑判決(4/23) 」
‥無期懲役では刑が「甚だしく不当に」軽いとして最高裁が審理のやり直しを命じた光市母子殺害事件で、広島高裁は死刑判決を言い渡した。
朝日社説
「母子殺害死刑―あなたが裁判員だったら」
‥勤め先から帰宅した本村洋さんは、押し入れの中で変わり‥‥‥
毎日社説
「社説:母子殺害死刑判決 厳罰化の流れが強まるが」
‥山口県光市で99年に起きた母子殺害事件の差し戻し控訴審で、広島高裁は当時少年の被告に求刑通り死刑を言い渡した。最高裁が「量刑は不当で、著しく正義に反する」と、無期懲役の原判決を破棄して審理のやり直しを命じていた。

こんなところであるが、「産経」、「読売」は書き出しで妥当と書き、日経は題で妥当というイメージを示した。
しかし、朝日、毎日の社説はその点はっきりしない。
ここで、日経新聞は「昨年報告書が出た、司法研修所による『量刑に関する国民と裁判官の意識についての研究』に次のようなアンケート結果があった。」として、裁判官よりも一般国民の方が厳罰主義を求め、
「光市事件のような未成年者が犯した殺人では裁判官と一般国民の考える『適正な処罰』に相当大きな差がある、と推測できる調査結果だ。」と国民世論に沿った判決としている。

一方、毎日新聞では「遺族は法廷の内外で、事件への憤り、無念さ、被害者・遺族の思いが直接、伝わらない理不尽さを訴えてきた。被害感情を和らげるためにも、国が総合的な視点に立った被害者対策を進めるのは当然だ。」と犯罪被害者に対する国民世論に理解を示すも‥‥
「差し戻し裁判を扱ったテレビ番組について、NHKと民放で作る放送倫理・番組向上機構の放送倫理検証委員会が『一方的で、感情的に制作された。公平性、正確性を欠く』とする意見書を出した。真実を発見する法廷が報復の場になってはならない。バランスのとれた冷静な報道こそが国民の利益につながる。メディアは自戒が求められている。」
‥‥と全く別のことを言っている。
マスコミが取り上げたのは、差し戻し裁判での弁論の異常さであり、又、今後行われる裁判員制度と犯罪被害者への人権派弁護士達の攻撃だ。
しかも、被告弁護士は、「死刑廃止運動の中心的存在として知られる安田弁護士は、オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(53)の主任弁護人(毎日新聞)」という立場であれば、報道されるというのは当然だろう。
そして、国民としてはその異常さに再び慄然とする。
朝日新聞も毎日新聞と同じように、過去の「死刑判決を事例に出して殺したのは4人だったが、今回は2人だった」と妙な屁理屈を述べている。
そして、「今回の事件が注目されたのは、本村さんが積極的にメディアに出て、遺族の立場を主張したことである。少年に死刑を求める、と繰り返した。 」と非難し、「見逃せないのは、被告や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことだ。最高裁の審理の途中で弁護団が代わり、殺意や強姦目的だったことを否定したのがきっかけだった。こんな裁判の仕組みを軽視した番組づくりは、今回限りにしてもらいたい。」と世論を批判している。
実は、この主張とほぼ同じだったのが、文化放送「寺島尚正 ラジオパンチ!」水曜日コメンテーターの社民党党首・弁護士の福島瑞穂氏の意見だった。
「裁判での死刑はギリギリの選択で、感情のままになる‥‥」「‥(世論)に流されやしないか‥‥」とが何やら分からないことを言っていた。
要するに、福島氏も人権と言っていながら、犯罪被害者には冷淡なのだと言うことだろう。そして、犯罪被害者にとってはやはり理性では制御しきれない「感情」と言うものがあるのが常識であり、それを非難するというのは間違いだ。

今回の裁判では、従来の職業裁判官による裁判では量刑の甘かった殺人に関して、世論が反発していたことだ。
「名古屋高裁・空自イラク派遣、憲法9条違反判決」を出すような国民の意識とは全く違う左派の裁判官がいる現状では、国民は裁判というものを信用できないものと受け止めつつある現実がある。
先の福島瑞穂氏はその判決の主文とは全く関係ない「違憲」の部分が「嬉しかった。」と発言した。
しかも、その主文と関係ない蛇足の部分を「耳を澄ませて聞くべき」と言うあたり、裁判というものが国民から見て信用できないものと助長される恐れがある。

朝日新聞では「1年後に裁判員制度が始まる。市民がこうした死刑か無期懲役か難しい判断も迫られる。事件は千差万別で、最高裁の判断基準を当てはめれば、機械的に結論が出るわけではない。
自分なら、この事件をどう裁いただろうか。それを冷静に考えてみたい。」
と裁判員になる国民を脅迫するのは遺憾だ。
不思議なことに毎日も判を押したように同じ事を述べている。
「来年5月に裁判員制度が始まる。市民が感情に流されない環境作りが急務だ。死刑か無期かの判断を迫られる以上、市民は裁判員になったつもりで今回の事件を考えてみる必要があるのではないか。」
読売も似たようなこと「来年5月から裁判員制度が実施される。量刑判断に不安を抱く人は多い。極刑ともなれば、心理的負担は大変なものだろう。」と書いている。
しかし、裁判員制度は第一審だと言うことを誰も言っていない。
最近の、職業裁判官のいい加減な第一審裁判を見れば、裁判員制度の方がまだましと言うことも言えないだろうか。
その上、重大事件が一審で終わらないのは、この事件を見れば明らかだ。