書道家Syuunの忘れ物

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著書に見る・自民党総裁候補の真実を探る

2008-09-06 19:35:15 | 日記


著書に見る・自民党総裁候補の真実を探る

自民党の総裁選の候補者ラッシュは、
「自民党は世代交代が進んでいない。自分は唯一の40代の候補だ」と棚橋泰文元科学技術担当相(日経)が言うとおり、今の福田内閣の布陣がベテランと言いながら世界の趨勢から見て一世代前の人達だった。
従って、今度の自民党総裁は年寄りからの揺れ戻しとして、世界の趨勢に沿って世代交代をすると国民は期待している。
いずれにせよ福田内閣の陣容、継承では次期衆議院総選挙は戦えないのは間違いない。
だから、新総裁が誕生して何をするか分からないという支持率の高いうちに選挙をすると言うのが思惑筈である。
しかも、民主党は今や話題にも上らない上に、もし若い世代が総理になった場合、世代交代していない民主党は旧態依然の「古い政党」であるという印象を与えかねない。
さて、雑誌「正論10月号」に「著作から読み解く『総理候補』の値打ち」(潮匡人)という記事があった。
別の項目で、福田総理の「一国は一人を以て興り、一人を以て滅ぶ」(CrossLine潮匡人)というものもあるから一緒に扱うとすると、福田康夫、小沢一郎、与謝野馨、中川秀直、小池百合子、後藤田正純、岡田克也の著書を取り上げている。

福田総理の著書(2005)からの引用は、どうしようもない戦後民主主義を表しているから取り上げないとして、まず本書では与謝野馨著「堂々たる政治」を取り上げている。
本の内容の基本的は、「増税による財政再建」であって与謝野氏の財政再建論を述べている。
小生から見れば、「増税による財政再建」という歴史上世界のどの国でもやったことのない実験を何のシミュレーションもなく行うのは無謀と常々言っている通りである。
別の言い方をすれば「増税による財政再建」派というのは、より社会主義を拡充しようとする社会主義派に相違ない。
はっきり言えば、「大きな政府、社会主義的・官僚統制国家」を目指す人物だろう。
従って、潮氏は、戦後民主主義者の与謝野氏を一刀両断し、著書の中にある
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を「戦後平和シンボルとして」引いているの指摘している。
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を「戦後平和」と言っているのは間違いなく似非平和主義者の戦後民主主義者である。
白を黒というとすれば、日露戦争時代の国粋主義者・与謝野晶子像を一文を以て書き換えている。
中川秀直「官僚国家の崩壊」は、与謝野氏に対しての反「大きな政府、社会主義的・官僚統制国家」 を目指すものである。
しかし、潮氏は中川氏の「外国人1000万人の移民の受け入れ」を主張する当たりを批判しているが、普通の日本人なら誰でもそう思うだろう。
日本の現状をよくよく見て見てれば、中国からの帰国者の二世、三世らによるマフィア化の記事を見れば今後の問題点は直ぐに分かる。
イギリスでの国内テロ、フランス、ドイツでの移民に対する問題点、そう簡単に解決する問題ではない。
しかも、宗教や思想、人種が絡めば一筋縄では行かないことが分かる。
そして、潮氏が指摘する極めつけは、「日本の国力の四番バッター、経済力を、軍事力に置き換えてはならない」と述べている点を挙げる。
‥‥ここが、中川氏という1944年(19年)生まれの「団塊の世代」直前の世代の限界であろう。
小池百合子著「女子の本懐 市ヶ谷の55日」
潮氏が、本書の中で特に「白眉」として挙げているのは、
「政治の役割は、国家の『大儀』を高らかに掲げ、大儀に国民が『共感』を抱ける工夫をする。そして、着実に『大儀』を実現することだと、改めて自覚したい」
の部分。
誰が考えても、学校で教わった民主主義というものはそうだったはず。
与謝野氏の様に、国民は黙って「俺についてこい」というのは帝国主義や共産主義のエリートと同じではないか。はっきり言って、戦前の体制を嫌っていながら、戦前の政治体制を体現するというのは矛盾している。
東大卒のエリートが今や通用しないというのに時代錯誤だろう。

そして、小池氏の著作で潮氏は、‥‥
「『女子の本懐』と大見得を切る私だが、真の『女子の本懐』ともいえる出産を経験していないことは、この上もなくつらい」
このことから、小池氏というのは潮氏の言うように「たまたま女性に生まれた」にすぎないと言うことが分かる。
小生から見れば、中身は「男」なのだろうと言うことだ。

以上の著作に対して、その対局のある人達の著作が紹介されている。
岡田克也著「政権交代」
後藤田正純著「政治家の覚悟 国民の覚悟」

その岡田氏の著書のポイントは、「国家目標」を否定するところだという。
要するに、「国家目標」を否定するというのは無政府主義に通じることで、岡田氏は「多様な価値観を認める成熟した日本にあって、国家目標というゴール設定はそぐわないと考えている」と述べるに至っている。
‥‥‥岡田克也氏というのは、余程幸せな環境にあって何も困らない人生を送ってきたのだろうとつくづく思う。
庶民は、子供の時から何になりたいとは最近余り言わなくても、最低でも「幸せになりたい」くらいのことは思う。それが敷衍して「国家目標」となるのだが、そんなことも考えられぬと言うのは、国の指導者としては不向きだろう。
岡田克也氏(1953年7月14日生)の様に、生まれたときから将来を約束されている人間、そして、何の苦労もなく優秀な知能を受けた人に国民庶民の心は分かるまい。
特に、岡田氏が通産官僚として社会に出たとき、その他一般の学生達特に理系の学生達は採用中止で辛酸を舐め、優秀な人でも職に就けなかったような苦労はしなかっただろう。
優秀な理系の学生で大学院まで出たのに、就職浪人をして文系の役人、教員に鞍替えした人物が数多くいる。

後藤田正純(1969年(昭和44年)8月5日)の著書に至っては、余りの無知にこれが国会議員かと疑いたくなるもの。
著作のなかで潮氏が引用しているところからさらに引用すると
「そもそも日本国憲法のおかげで、わが国に基本的人権と民主主義が根づいたのだし、国民主権、男女平等、農地解放、財閥解体、どれもこの憲法があったからこそ成し遂げられたものだ。それは、決して終戦直後の日本人だけの力でつくれるものではなかった。」

潮氏が馬鹿馬鹿しいように指摘しているが、
「1947年、GHQの指揮の下、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革を指す。農地解放ともいう。『ウィキペディア(Wikipedia)』」
「財閥解体(ざいばつかいたい)とは、1945年より1952年にかけて行われたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策の1つ。『ウィキペディア(Wikipedia)』」

 で書かれているとおりで、GHQが行った日本解体のための占領政策である。
しかも、日本国憲法の上に、MacArthur条例なるものがあって、憲法は日本解体の占領政策の一部というのは歴史認識の常識というものだろう。

後藤田氏というのは、中国の文革終了後に修学したから、まともな歴史教育を受けなかったと言うことは分かる。
しかし、ここまで来ると重病としか思えない。
左派人士というのは、戦前も戦後も裕福な生活に困らない「坊ちゃん」の知的な遊びであったことは歴史が証明している。
戦前の華族・財産家出身者が理想の「新しい村」を作るも実は現実に合わず、放棄したなど笑えない話もあった。
そして、レーニンというのは貴族出身であって、毎週地図に適当印をつけ恐怖政治のために庶民の村を抹殺していたのも、庶民を人間と思わない貴族ならではの所行ではないか。