デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

さすらいの舞姫

2020-12-05 18:55:10 | 買った本・読んだ本
書名 さすらいの舞姫 北の闇に消えた伝説のバレリーナ・崔承喜
著者 西木正明 出版社 光文社  出版年 2010

前から気になっていた朝鮮人ダンサー崔承喜をモデルにした小説。久々に分厚い本だった。石井漠に師事してから、東洋の舞姫として日本だけでなく広く中国、さらに欧米で知られたダンサーが戦時中に日本の兵士のための慰問のため戦線で踊り、戦後は朝鮮半島に戻るものの、夫の意志もあり北朝鮮に渡り、東洋の舞姫としての知名度を利用され、金日成の寵愛も受け、大きな地位を得るものの粛清の犠牲となりそのまま夫や娘とともに消息しれずになるというまさに波瀾万丈の人生をおくった女性の生涯を追うわけだからこの厚さになってもしかたがないだろう。ただかなり安っぽい小説になってしまっている。ひとえに色恋沙汰を過剰に描いたことが原因だ。
実在の人物を小説仕立てにすることはこのようなことになってしまい、実に難しいことだということだ。自分が若宮丸漂流民を小説にしたものが、本にならないのは、どこかで安っぽくなってしまっているのかもしれない。色恋沙汰ではないが、どこかで過剰なってしまったところがあったのだろう。難しいものである。そんなことを思いつつ、今度はノンフィクションで崔承喜を読んでみたいと思った。
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掃除会は中止に

2020-12-05 10:50:11 | デラシネ日誌
予報では午後から降る雨が朝から降っている。今日は浜空の掃除会なのだが、この雨では無理そう。事務局長さんからメールで中止の案内。携帯に不在で2件着信。掲示板を見た人とメールのないTさんからだった。掲示板を見た人は通りかかって案内を見て参加しようと思ったらしい。このSNS時代に掲示板を見ての掃除参加希望者はこれで3人目。この雨だと落ち葉が重くなるので明日ではなく来週土曜日に延期することに。掲示板を訂正しに9時前に浜空碑へ。事務局長のKさんが誰か来るかもしれないというので待っていた。掲示板を訂正。

ふたり中止を知らずやってくる。雨の中申し訳ない。
ついでに南部市場へ。10時前だがたくさんの人。昼の弁当と刺身を購入。
昼飯前に早稲田オンライン授業の最後の締めのところの録画。10分程度だが、Take3で無事終了。
昼食後ギガファイル便で担当の先生に録画を送付。オンラインという初めての試みで、最初はzoomの使い方がわからずかなり焦ったが、なんとかマスターして、とりあえずはなんとかなった。なるだけ学生からの質問には丁寧に答えようとしたため、予定した講義内容すべてというわけにはいかなかったが、今回のようなオンライン授業で、学生さんがそれでなくても孤独な状況に追い込まれているなか、なにか小さなことでもそれこそラインが繋がるような授業にしたかった。どう受け取られたかについてはわからないが、サーカスにおける動物の問題や、コンテンポリーなサーカスについてなどに関心が強いことがわかったことは収穫だったかもしれない。
夜担当の先生から大学のオンラインに無事あげたという連絡をもらう。これで正式に講義終了となった。ほっとする。
このところ年賀状は次女にデザインをお願いしているのだが、来年の分ができあがり、すぐに印刷を発注。来週末には出来上がるという。枚数を決める前に住所録を整理。さほど縁のない人とだらだらとやりとりしているのはやめようということで、去年よりは30人ぐらい減らして宛て名をプリントしておく。
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アイヌモシリ

2020-12-05 06:15:00 | 観覧雑記帳
ジャンル 映画
タイトル 『アイヌモシリィ』
観覧日 2020年12月4日

不思議なタッチの映画だ。最初はドキュメンタリーなのかなと思ってしまったのは、スクリーンで出てくるアイヌコタンの集落や湖、そして主人公カント君のお母さんの顔に見覚えがあったからだ。何年前に見た『kapiw(カピウ)とapappo(アパッポ)アイヌの姉妹の物語』で見た風景、そしてカントのお母さん絵美さんがあの姉妹のひとりだった。実際は劇映画、ただプロの俳優さんはほとんどおらず、コタンの集落で暮らす人々が出演している。
いまはやられていないイオマンテの祭りを復活させようとするデボ、それに反対するアイヌの人たち、ただ失われつつある自分たちのアイディンティティをもう一度取り戻すために、みんなでこの行事を復活させるその過程が、アイヌの行事に出さされていることに抵抗をもつ、一年前に父を亡くしたカントのアイヌである自分の中での揺れる気持ちを絡めながら描いていく。芝居気のない演技が淡々とドラマを描こうとする意図に見事に答えていた。熊を神の国に送るという祭りで、いままで自分が可愛がってきた熊が殺されることに抵抗するカントの気持ちの揺れを、ナイーブに描くことが、この映画が一番伝えたいことだった。頭でこの理不尽さをアイヌの伝統だからといって嫌だとか、納得するとかではなく、中学生の少年が身体を通して受け止めるしかなかった、そこにアイヌとして生きる意味を認識することに繋がる唯一の道がある。そのためには死んだ父と出会うことこそが、アイヌとして生きること、イオマンテを受け入れることにことを身体で受けとめることであったのだろう。
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