書名 「没後十年藤沢周平読本」 編 山形新聞社
出版社 荒蝦夷 出版年 2008
何年か前に藤沢周平をまとめて読んだことがあった。「蝉しぐれ」「用心棒日月抄」といった名作を読んだ。とりあえず一度は読んでおかないという程度だった。いい文章だったし、胸に沁み入るような感動があった。それからしばらくして、「仙台学」を出している荒蝦夷が、東北にこだわった出版物を立て続けに出し、いつも送ってもらっていたのだが、その中の一冊がこの本だった。藤沢読本はいろいろあったし、送られた当初はさほど興味もわかず、いわいる積んどく状態にあった。年が明けて、何故か突然藤沢周平が読みたくなった。きれいな、澄みきった、透明感のある、それでいて人情味がある世界に触れたいと思った時に思い浮かんだのが藤沢周平だった。では何も読んだらいいのか、そんな時にこの本のことを思い出したのである。藤沢の地元ということもあり、山形にこだわった編集になっているが、それぞれ藤沢と接点をもった人たちが藤沢の人間を語りながら、藤沢の文学を語ってくれているので、次に何を読もうかという自分にとってはいい案内となった。それにしても藤沢という人の文学もそうだが、接した人々が語るように、その優しさは深い。自ら痛みをしり、そして悲しみを知っているからこそ、人に対して優しくするのだろうか。この読本の中で、夫を失くした人に対して、藤沢が送った手紙の一節が掲載されているのだが、この文章を読んだだけでも読んだ甲斐があった。
「いくら死者をあわれと思っても、時には人は死者を忘れなければ生きて行けません。傷痕は消えずに残るにしても、取りあえず傷口をふさがずには人は生きて行けないのです。」
この読本を読むことによって、次にまず読むべき本が決まった。「橋ものがたり」であった。しばらくはそばに置いておくことになりそうだ。
満足度★★★
出版社 荒蝦夷 出版年 2008
何年か前に藤沢周平をまとめて読んだことがあった。「蝉しぐれ」「用心棒日月抄」といった名作を読んだ。とりあえず一度は読んでおかないという程度だった。いい文章だったし、胸に沁み入るような感動があった。それからしばらくして、「仙台学」を出している荒蝦夷が、東北にこだわった出版物を立て続けに出し、いつも送ってもらっていたのだが、その中の一冊がこの本だった。藤沢読本はいろいろあったし、送られた当初はさほど興味もわかず、いわいる積んどく状態にあった。年が明けて、何故か突然藤沢周平が読みたくなった。きれいな、澄みきった、透明感のある、それでいて人情味がある世界に触れたいと思った時に思い浮かんだのが藤沢周平だった。では何も読んだらいいのか、そんな時にこの本のことを思い出したのである。藤沢の地元ということもあり、山形にこだわった編集になっているが、それぞれ藤沢と接点をもった人たちが藤沢の人間を語りながら、藤沢の文学を語ってくれているので、次に何を読もうかという自分にとってはいい案内となった。それにしても藤沢という人の文学もそうだが、接した人々が語るように、その優しさは深い。自ら痛みをしり、そして悲しみを知っているからこそ、人に対して優しくするのだろうか。この読本の中で、夫を失くした人に対して、藤沢が送った手紙の一節が掲載されているのだが、この文章を読んだだけでも読んだ甲斐があった。
「いくら死者をあわれと思っても、時には人は死者を忘れなければ生きて行けません。傷痕は消えずに残るにしても、取りあえず傷口をふさがずには人は生きて行けないのです。」
この読本を読むことによって、次にまず読むべき本が決まった。「橋ものがたり」であった。しばらくはそばに置いておくことになりそうだ。
満足度★★★