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‘万葉歌碑’を見つけました ; 群馬の歌碑

群馬県は結構あっちこっちで、“万葉歌碑”を見つける事ができます
先日群馬・高崎山名の高崎自然遊歩道を車  で走っていましたら、“金井沢碑”の手前の橋横に建てられている歌碑を見つけました  
 万葉集は日本最初の歌集として、7~8世紀に詠われた歌が、全20巻、4516首収録されている事が知られています
大伴家持が、万(よろず)の言の葉を集めたとも、万世(よろずよ)に伝える事を期して、整理収集編纂したと言われています
収歌は短歌が大部分です
その他は、長歌、旋頭歌、仏足石歌、連歌が入っているそうですが、私の浅学知識では、短歌以外の区分けは私にはとても出来ません   
遊歩道で見かけた歌碑は、高崎生まれの歌人&前衛書道家の“大沢雅休”が揮毫し、2003年建立されたもののようです



歌碑の傍らに、万葉短歌が看板に掲載されていました
  “ 吾を待つと / 君が沾(ぬ)れけむ / 足曳(あしひき)の / 山の雫に / なりますものを ”
                                    万葉 巻2-108
山中の自然遊歩道に、ひっそり佇むように建てられた万葉相聞歌は、何を旅人に語るのでしょうか…?

 

この歌の詠み人は、調べてみたら“石川郎女”と知れました
『郎女』の意味は「地方の大小豪族の娘」のことを指しており、もしかしたら“石川郎女”の出身は、ここ群馬(当時上野国)の「山名」が関連していたのでしょうか?
“石川郎女”は万葉歌人の中で、最も多感な女性であったようです
そしてこの歌は天武天皇の皇子・“大津皇子”が、“石川郎女”に贈った御歌への返歌だと知られています
  “ 足引の / 山のしづくに / 妹待つと / 吾(あ)が立ち濡れぬ / 山のしづくに ”
                                    万葉 巻2-107  大津皇子
もしも、“石川郎女”が、山名住まいだったとしたら、奈良の都との間で、遠距離恋愛していたのでしょうか
当時の恋愛は、男性が女性の元に通うのが習慣ですから、この壮大とも云えるロマンには感激しちゃいますね
ところで、この“大津皇子”歌の歌碑もどこかにあるのでしょうか!?
もしかして,奈良京のどこかでしょうか  
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