ダンポポの種

備忘録です

鳥取旅行、画像まとめ

2016年09月03日 17時50分50秒 | 旅のあと

去る8月25日~26日に 両親と出かけてきた、「夏業務ごくろうさん旅行」のときの画像を貼っておきます。
断片的ですが、いくつか訪問した場所で写してきました。


8月25日(木)

 朝早めにスタート。ヴォ号で出動しました。行先は鳥取県です。
八幡東ICから高速道路。大山崎を回って名神で吹田→中国道で吉川JCTを経て、舞鶴若狭道で春日ICへ。
春日から、北近畿豊岡道っていう自動車道に入って、但馬方面を目指しました。
この北近畿豊岡道、いっぺん通ってみたいと思ったのです。
和田山付近で一旦下道に出て、ちょっと寄り道して、竹田城(天空の城跡)を下界から見上げました。(城跡まで登っていません)

北近畿豊岡道は、八鹿氷ノ山ICで終点。そこから先は、国道9号を突っ走りました。
気持ちのいいドライブでした



↑昼12時半ごろに鳥取市街へ入りました。
 まずは、鳥取港というか、賀露港(かろこう)という港にある海鮮市場みたいなセンターの、「かろいち」に行きました。
 海鮮丼の昼ごはん、食べました
 まぐろが…、のっていなかったです (まぐろ丼というメニューが別にありましたけれども)
 「鳥取の海鮮丼には、まぐろは付かないのか(?)」
 鳥取では、マグロは〝レギュラー〟ネタじゃないのかな (まぐろは太平洋を泳いでいる魚か…



↑昼ごはんのあと、賀露港のすぐ近くにある鳥取空港へ立ち寄ってみました。
 空港ビルの入り口のところに、砂の造形。



↑鳥取空港には、「鳥取砂丘コナン空港」というニックネームも付けられているんやね。
 全国にもよく知られた鳥取砂丘の存在と、「名探偵コナン」の作者・青山剛昌さんが鳥取県の出身であることから、付けられた愛称だそう。
 私も実感したけれど、鳥取のおみやげ品とかにも、けっこう、コナン君(キャラクター)が使われていますね。



◎若桜鉄道、安部駅を訪ねました。


↑鳥取空港からびゅーっとクルマを走らせて、若桜鉄道(わかさ鉄道)の安部駅を訪ねました。
 映画「男はつらいよ・寅次郎の告白」(寅さん44作目。平成3年公開)の、撮影ロケ地になった駅なのです。





↑ホームにある、小さな待合室の中には、寅さんが座っています()  人形やけど…
 でも、おもしろい



↑古めかしく、狭い、改札口。 ここは無人駅です。



↑壁には、寅さんロケ(撮影)のときの様子を伝える写真が、何枚も掲げられていました。
 ほんまに、この場所へ寅さんが来たんやね。







↑安部駅から鳥取方面へ戻る途中、丘の上に建つ河原城(展望台)に立ち寄りました。



↑鳥取市の方向をのぞむ。
 都心と郊外の区別が、わかりやすいなぁ




宿泊は、三朝温泉(みささ)の旅館でした。
 温泉も食事も、ゆっくりと楽しめました。ありがとうございました。


◇               ◇               ◇               ◇               ◇

8月26日(金)

朝9時半ごろに旅館を出発。
まずは、三朝(みささ)からほど近い、倉吉の町へ。


↑倉吉は、白壁土蔵群の歴史的な景観が残る町です。
 道に沿ってすぐ横を小さな川が流れていて、白壁の土蔵とは石橋で結ばれているという風景です。
 ちなみに、倉吉(白壁土蔵群の町並み)も「男はつらいよ・寅次郎の告白」(44作目。平成3年公開)のロケ地になった場所です。

 白壁土蔵のたたずまいも立派ですが、私はそれ以上に、この〝川の風景〟に感銘を受けました。とても懐かしい感じ
 昔はこういう「川のある風景」を、どこででも見られたように思います。
 クルマ社会になったことがひとつの要因でしょうが、こういう川は、軒並み、コンクリートで〝蓋〟(=暗渠化)をされてしまったよねぇ。
 道幅が広くなって自動車の乗り入れが容易になりましたが、風情ある景観は見られなくなりました。
 みなさんが住んでいる地域でも、そういう場所はきっとあるはず…。



↑白壁土蔵のところから、少し歩いて…、やって来ました、倉吉鉄道記念館。
 「倉吉へ来たのなら、ここも見ておかなくては…」と思いまして。



↑倉吉鉄道記念館。小さな建物です。(建物の壁面には〝倉吉鉄道記念館〟と書いてあるね。それが正式な施設名なのかな?)
 決して、ものすごい鉄道記念品が収蔵・展示されているわけではない…、ことは事前承知の上でやって来ました。
 私はともかく、それに付き合わされて一緒にここまで歩いてきた両親には、なにも面白くなかっただろうけれど

かつて、この町には、国鉄の倉吉線という線路が通っていたのです。
赤字路線だったこともあり、昭和60年に廃止されました。
倉吉線の線路が敷かれていた土地(線路跡地)に、この「倉吉線鉄道記念館」は建てられています。
小さな建物だし、相当地味な記念館ですが…、この地に倉吉線という鉄道が通じていたことを後世に伝える、意義のある施設だと思います。

◆               ◆               ◆

【参考】
昔の『時刻表』に見る、国鉄倉吉線 (JTBの復刻版時刻表より)


↑大正14年4月号「汽車時間表」の索引地図より。
 山陰線の上井(あげい)から倉吉までの短い線が、倉吉線です。
 なお、上井(あげい)という駅が、現在の倉吉駅です。



↑昭和42年9月号「交通公社の時刻表」索引地図より。
 大正時代のやつに比べると、倉吉線も路線が伸びており、上井~山守(やまもり)を結ぶ線になっています。(これ以上、延伸することは無かった)
 城下町でもあった倉吉の町は、海岸線(日本海)からグッと奥まった場所に開けていたのですね。
 山陰本線は倉吉の中心地へは乗り入れずに、数キロはずれた上井(あげい)を通る形で線路が敷かれたんやね。
 本線の駅から〝脇へ入る〟形で、倉吉の町への鉄道アクセスが機能していたのですね。
 後年、倉吉線の倉吉駅は 打吹駅(うつぶき駅)と改称され、代わりに、上井駅が倉吉駅に改称されました。
 
 今回訪れた、倉吉線鉄道記念館は、打吹駅(前の倉吉駅)の跡地に建てられているそうです。



↑昭和42年9月号「交通公社の時刻表」索引地図より。
 倉吉線の時刻欄。
 運転本数は多くないにせよ、でも、極端に少なかったということでもなさそう。
 もともとの町の中心である倉吉(打吹地区)を通る線だものなぁ。
 終点の山守(やまもり)という駅は、駅の周りに何もない所だ… と、私は子どものころに本で読んだように記憶します。



↑昭和42年9月号「交通公社の時刻表」索引地図より。
 一番右の列、大阪から姫新線経由で走った急行「みささ・みまさか(2号)」の時刻です。
 「みささ」は、津山で進行方向を変えて因美線に入り、鳥取から山陰本線に直通して上井(現在の倉吉駅)までの運行。
 大阪12時10分発で、上井18時33分着、とありますね。なんと、所要6時間23分
 なお、現在運行されている特急「スーパーはくと」(智頭急行経由)は、大阪~倉吉間をちょうど3時間で結びます。(所要時間、当時の半分に!)



↑昭和55年10月号の索引地図より。
 倉吉という駅名は山陰本線に移り、倉吉線の駅は打吹(うつぶき)になっています。



↑昭和55年10月号、倉吉線の欄。

◆               ◆               ◆


それでは、倉吉線鉄道記念館 の画像に戻ります。


↑館内に展示されていた、小型の機関車。
 貨車の入れ換え用として、倉吉線で活躍していた車両だそう。
 これと同じタイプの機関車は、私の子供時代(広島時代)、西広島の駅でも使われていました。







↑倉吉線が走っていた当時に記録された写真類の展示が、壁一面に。



↑記念館の前。緑地帯と遊歩道。
 画面の奥に向かって広がるこの領域が、打吹駅(前の倉吉駅)があった場所らしい。



↑蒸気機関車(C11形)も止め置かれていました。



倉吉を後にして、再び鳥取市を経由し、途中で昼ごはんを済ませて、鳥取道・中国道・名神を通って京都へ帰りました。
夕方6時前に地元へ帰り着きました。
ここだけの話…、昼ごはんを食べたあとだったし、鳥取道を走っているとき、めっちゃ眠たかった~
長いトンネルが連続する区間だったし、なかなか大変でしたわ。
そういうときは無理をしないで、休憩をとらないといけないですね。反省反省。

夏業務ごくろうさん旅行を、無事に終えることができました。
ありがとうございました。


【おまけ画像】 鳥取市にある「わらべ館」にも立ち寄ってきました。(画像のみ)























懐かしモノが、たくさん展示されていました。こういうトコを見学するの、大好きです