ダンポポの種

備忘録です

京都線を走った特急 (昭和39年・40年)

2007年10月04日 21時15分27秒 | 近鉄特急
『京都線を走った特急』

車両系式:680系
登場した年:昭和39年(1964年)※種車は昭和29~32年製。
引退した年:昭和49年(1974年)※一般車に格下げ。
両数:7両(2連×2本,3連×1本)

車両系式:18000系
登場初年:昭和40年(1965年)
全廃車年:昭和57年(1982年)
製造両数:4両(2連×2本)


 奈良電(ならでん)こと奈良電気鉄道が近畿日本鉄道に合併されたのは、昭和38年(1963年)10月のことでした。東海道新幹線(東京~新大阪間)が開業するちょうど1年前のことで、京都~西大寺間が「近鉄京都線」になったのはこのときからです。
 近鉄が奈良電合併に意欲を見せた背景には、京都進出による自社路線網の拡大化という狙いはもちろんのこと、一方では、奈良電と近い関係にあった「京阪電気鉄道」がこれを介して〝奈良〟へ進出してくるのを阻止する意味もあった、とも言われます。

 合併から1年が経過した昭和39年(1964年)10月1日。
 東海道新幹線が開業したのに合わせて、近鉄は、京都~橿原神宮前間に「特急」を新しく設定しました。京都駅で新幹線と接続を図り、旅客を近鉄沿線(大和路・飛鳥方面)へ誘致しようという狙いだったようです。今日も走り続ける『京都・橿原特急』の歴史は、ここからスタートしました。
 ただし、当時の京都線や橿原線は、架線電圧が600ボルトと低く、また、車両限界(建築限界)の制約もあったため、大阪線などで活躍していた10100系ビスタカーや10400系・11400系エースカーは乗り入れができないという問題がありました。後年、架線電圧や車両限界の問題は順次解決されることになりますが、とりあえず昭和39年の時点では『京都・橿原特急』向けの車両を別途準備しなければならなかったのです。

 そこで登場したのが、680系という変わりダネ車両でした。
 680系は、近鉄が、奈良電から引き継いだ車両を〝改造〟して送り出した特急車です。
 種車(たねしゃ)と呼ばれる元の車両は、昭和29年~同32年に製造された奈良電デハボ1200形・デハボ1350形という系式です。デビュー時から固定クロスシート(セミクロス配置)を装備し、奈良電時代にも特急運用で活躍した車両だったそうです。そうした素質が認められたのか、近鉄の手によって「京都線の特急車」として改造されることになったのです。
 車両改造では、座席の取り替え(転換クロスシート化)・冷房装置の設置・便所の設置が行われたほか、車体の塗装も改められて〝近鉄特急スタイル〟にリニューアルされたようです。もと奈良電の車両ですから、架線電圧や車両限界は〝そのまま〟でクリアー。車両系式だけは近鉄流に改番されて、「680系」になりました。

 新幹線接続という利便性が活きて、680系による京都~橿原神宮前間の特急列車は乗客から好評を得たそうです。
 これを受け、昭和39年暮れからは京都~奈良間にも「特急」が設定されることになりましたが、車両数が限られる680系だけでは特急運用をカバーできなくなるとして、京都線特急車の第二弾・18000系が投入されました(登場は昭和40年)。680系から、いきなり系式番号が飛びます。

 18000系は、600ボルト対応の旧型車両から流用した足回り(床下機器)に、新製の車体(ボディ)を載せることで誕生した特急車両です。昭和40年~41年に2両編成×2編成(計4両)が造られました。そのあとを追うようにして新型18200系(後述)が登場することになるので、18000系は最低限の両数しか造られなかったようです。
 車体は新しいので〝パッと見〟には「新型車両」なのですが、足回りは流用品ですから、ひとたび走り出せば床下からは古めかしいモーター音が響き渡る…というのが18000系の特徴だったようです。
 廃車流用の足回りに新しい車体を載せて新型車両に仕立てるのは、鉄道車両の造り方としては決して珍しいことではないのですが、本稿で扱っている10000系「旧ビスタカー」以降の近鉄特急車のなかでは、こういう製造過程を経て登場した系式は18000系以外に無いはずです。


 680系と18000系は、当時の京都線・橿原線向けに造られた車両です。種車改造や機器流用によって造られたので、両系式とも「完全な新型車両ではなかった」という共通点を持ち、近鉄特急の車両史においても異端の特急車と呼ばれたりします。
しかし、産声をあげた京都線特急の〝最初の一歩〟を標したのはこの両系式にほかならず、「新幹線接続」という近鉄特急の新しい方向性を打ち出した功績は大きいと言えます。

 実際のことは私には分かりませんが、
『京都線向けの新型特急車(のちに登場する18200系)が完成する前に、東海道新幹線が開業してしまった…』ということなのかもしれません。
 近鉄としては、「新幹線開業」というタイミングを旅客誘致のチャンスと捉え、その時期に合わせて京都線特急を新設したかったのでしょう。『新型特急車の完成は間に合わなかったけれど、とにかく特急運行を開始した!』というふうな、近鉄の強い意気込みが感じられるようです。


 その後、新系列の特急車両が増備されるにつれて、680系と18000系は存在感を失っていきます。
 680系は昭和49年までに特急運用から外され、一般車に格下げされました。格下げ後は、京都から遠く離れた近鉄志摩線(三重)に活躍の場を移し、普通列車運用で最後の力走を見せたのち、昭和62年までに廃車となりました。基本的に、近鉄は特急車両の格下げ運用をしない会社なので、この680系の扱いは珍しいと言えます。
 18000系は『京都・橿原特急』一筋で走りぬき、昭和57年に廃車となりました。京都線の昇圧(架線電圧1500ボルト化)にも対応して走り続けましたが、基本的な走行性能の問題から他系式の特急車と連結運転ができず、また、連続勾配区間がある大阪線(伊勢方面)への乗り入れもできないなど、制約を抱え続けた車両でした。


 なにぶん、私自身が見たことも乗ったこともない系式なので…、思い出から書き綴る事柄がありません。