投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年12月 8日(土)00時09分50秒
今日はたまたま牡鹿半島の鮎川に行っていたのですが、帰途、石巻市の旧北上川河口の日和大橋を渡って日本製紙の工場の手前まで進んだ時点で地震に遭遇しました。
かなり強く長い時間揺れ、交通は一時的にストップ。
私の車の前にタンクローリー、後ろにダンプカーがいて、渋滞で挟まれてしまうとかなりまずい状況になりそうでした。
そこで、地震が止んで車列が少し動き出した後、暫く様子を見て、反対車線の方が行動の自由が利きそうだなと判断し、Uターンして日向大橋の方にほんの少し戻りました。
そして海から離れるために、地元の人が運転していそうな感じの乗用車の後ろについて山側の脇道に入ったところ、坂道の上に日本製紙の社宅が並ぶかなり広い一画があったので、日本製紙とは何の縁もない私ですが、勝手に寄らせてもらうことにしました。
適当な場所に車を止めて様子をうかがっていると、防災用のスピーカーから、津波警報が出たので高台に避難するように、との指示が大音響で繰り返し流れ、暫くは騒然とした雰囲気でしたね。
ツイッターで地震の情報を集めたところ、津波の高さが1mとの予報だったので一安心し、車の中でじっとしていても仕方ないので、高台の端の方に行って門脇町・南浜町の様子を眺めたり、そこに止まっていた消防車の近くに寄って無線に耳を傾けたり、日本製紙の大勢の社員が運動場に集まって点呼する様子を眺めたりしていました。
20分くらい経って、それほど心配しなくてよさそうだけど、津波警報は当分解除されないだろうと思ったので、鹿島御子神社のある日向山に歩いて行ってみることにしました。
石巻高校から日向山に向かう住宅地の中の道には避難の車が沢山止まっており、日向山公園周辺も同様でした。
鹿島御子神社の境内には地元テレビ局の放送車が止まっており、近くでインタビューを受けている人もいましたね。
神社に参詣してからあちこち歩き回っていてもなかなか津波警報は解除されず、集まった人々の間にも若干ダレた雰囲気が漂ってきました。
そして地震発生の2時間後、午後7時20分に津波警報の解除が伝わると、避難していた車が慌ただしく動きだし、私も車を止めた場所に戻ることにしました。
総じて行政・住民の対応はしっかりしたものだと感じました。
参考:産経新聞「迅速な避難行動、生かされた教訓」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121207/dst12120722490036-n1.htm
(追記)
河北新報の次の記事には日和山公園に避難する住民の様子を撮影した写真が出てますね。
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/12/20121208t73018.htm