学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

雲洞庵

2010-06-07 | 新潟生活
雲洞庵 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 6月 7日(月)23時41分49秒

>筆綾丸さん
返事が遅れてすみません。
土日は所用で群馬に行っていました。
帰りに南魚沼市の雲洞庵に寄ってみましたが、ここには『宗教で読む戦国時代』p137に出てくる武田勝頼書状がありますね。

http://www.untouan.com/
http://www.untouan.com/category/1268851.html

今日は少し疲れ気味なので、また後で書きます。

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「イデオロギーなき人々」への違和感

2010-06-04 | 中世・近世史

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 6月 4日(金)00時13分57秒

『日本神判史』を最後まで読んでみましたが、読後感は少し複雑です。
p214には、

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 まず、何より諸外国の神判史と比較して特異なのは、日本の場合、一度は停滞を見せていた神判が、中世後期~近世初期(一五~一七世紀)に再び大流行を見せるという点である。私が読者とともに本書で中心的に考えてきたのも、まさにこの奇妙な歴史の逆戻り現象をどのように考えるか、ということであった。(中略)

結論的にいえば、日本史上における一五~一七世紀の神判は、原始・古代への単純な回帰や宗教心の発現としてとらえるべきでなく、新たな秩序が形成されるまでの模索期間に、当時の人々によって、まったく新たな価値を見出され出現した過渡的現象だったのである。
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とあります。
ここまでは、本書をずっと読んできた読者には一応納得できると思います。
しかし、直後の「イデオロギーなき人々」と題された部分はどうなのか。

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 そして、もうひとつ、日本の神判史を見ていて感じる大きな特徴は、その神判の特異な卒業の仕方である。法治主義が早くに神判を駆逐した中国や、キリスト教という超越的な宗教が神判を否定したヨーロッパなど、世界史上、神判を卒業する諸文明は、いずれも呪術的観念に代替されるべき普遍的なイデオロギーをもって神判を卒業していた。ところが、日本の近世社会だけは、そうした特定のイデオロギーによって神判を克服したという形跡がない。(中略)

 湯起請に際して室町時代の人々は、「神慮」を問うという形式をとりながらも、現実には共同体の調和や、自身の不退転の覚悟を表明することを優先させてしまっていた。このような、人間関係のバランスを必要以上に重視したり、その一方で決死の思いを無条件に尊重するような心性は、よくも悪くも日本人の国民性として、これまでも様々な「日本人」論で指摘されてきた。室町時代の人々が湯起請で重視していたのも、「神慮」よりも、何よりそうした素朴な心性だったのである。あるいは彼らは、そうした心性を実現するために神判という形式を生み出したといったほうが適切かもしれない。
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まず、本当に何らかの「イデオロギー」を媒介とせずに「卒業」できたのか。
清水氏は「十六世紀から十七世紀、中世から近世への転換点」における「神仏中心主義から人間中心主義への飛翔」について、「わが国がそうした変化を特定のイデオロギーを必要とすることもなくスムーズに実現できた理由」の究明を今後の課題として本書を閉じていますが(p216以下)、そもそも「スムーズに実現できた」との事実認識は正しいのか。
清水氏は随所で「宗教や呪術」をひとまとめにして、これと「合理的価値観」が対立するものとして描いていますが、ヨーロッパでは、信者の自己認識としては、より高度な宗教であるキリスト教が不合理な迷信や呪術を克服して行ったことを考えると、それと同じような過程を経ることが日本ではなかったのか。
湯起請のような不合理な呪術を批判した人々は、突如として無神論者になったのではなく、むしろ禅宗や一向宗や日蓮宗など、信者の自己認識としては、より高度な宗教に依拠したことにより、呪術を「卒業」して行ったのと考える方が自然ではないか。
また、どうも清水氏自身が「人間関係のバランスを必要以上に重視」する人なので、個人や集団間の対立の契機を見過ごしているのではないかという感じもします。
率直に言って、「様々な『日本人』論」云々の部分は『蕎麦ときしめん』的比較文化論の味わいがあるように感じます。

>筆綾丸さん
「裏返せば、これだけ呪詛行為を加重しなければ効果が期待できないということである」という部分など、さすが佐藤氏ですね。
それと小亀レスですが、昭和天皇の砺波の歌は風格があって実に良いですね。

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80年代"社会史"への違和感

2010-06-02 | 中世・近世史

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 6月 2日(水)23時46分19秒

筆綾丸さんご紹介の『日本神判史-盟神探湯・湯起請・鉄火起請』を購入し、半分ほど読んでみました。

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 しかし、いまから見れば、この時期の"社会史"研究によって生み出された神判研究のいくつかについては、個人的に疑問を感じる部分も少なくない。たとえば、そのうち私が最も違和感を感じるのは、中世人の呪術観念や信仰心に対する評価である。八〇年代に現れた多くの"社会史"研究は、中世社会の非近代的な側面を強調しようとしすぎるあまり、中世の人々の呪術観念や信仰心を実態以上に強調してきたきらいがある。それは直接には中世の神判の評価についてもいえるだろう。もちろん、中世に生きる人々の行う神判を「狂信的」であるとか「非合理的」であるといったレッテルを貼って、近代的な価値観から軽蔑したり断罪したりすることは、論外である。ただ、それと同様に現代社会との相違点にばかり注目して、その特異な側面や非近代的な側面のみを強調し、中世人が呪術や宗教一辺倒であったかのように描いてしまうのには、あまり賛同できない。(p9)
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このあたりで、この本は良さそうだなあ、と思ったのですが、具体例の分析は堅実、叙述は丁寧で、安心して読み進められますね。
後で少し感想を書きたいと思います。

>筆綾丸さん
>藤井松枝
4文字中3字が植物系、残り1字も水に関係していて、ずいぶん地球に優しいエコな名前ですが、あまり騒ぎを起こさないで植物のようにおとなしくしていてくれよ、という願望の現われでしょうか。
「桂三枝」「林家木久蔵」なんていうのも、流人向きの名前かもしれないですね。

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