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大本教は「なんらの社会的活動をしないとしても危険思想として注目された」のか?

2019-09-11 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 9月11日(水)12時08分45秒

『津地鎮祭違憲訴訟─精神的自由を守る市民運動の記録』(新教出版社、1972)の「Ⅲ 論稿」に掲載された小池健治「5 戦前戦中の国家神道による人権侵害─控訴審での「宗教弾圧」の立証を中心にして」(p286)から「甲第一二号証」の出口栄二『大本教事件』(三一新書、1970)に移り、更に大本教に対する吉野作造・姉崎正治の評価などを見てきました。
大本教の成立は「開祖」出口なお(1837-1918)に「艮(うしとら)の金神(こんじん)」が「神懸り」した1892年(明治25)とされていますが、1898年に「聖師」出口王仁三郎(上田喜三郎、1871-1948)が加わった後も教勢はそれほど伸びず、「大正初年における大本の信者数は千人にみたない綾部の一地方教団にすぎなかった」(『大本七十年史』上巻、p513)そうですね。
大本教の全国展開は1916年(大正5)に始まりますが、そこからの伸びは急激で、第一次弾圧までの僅か五年程度の間に教団は爆発的に成長します。
同時期、日本経済は空前の好景気となり、いわゆる「成金」が続出しますが、卓越した宣伝戦略で時代の波に乗った大本教は、新興宗教のビジネスモデルを考案・確立した「宗教成金」ですね。
そして大本教に入信した人々の中から、世界救世教の岡田茂吉や立正佼成会の庭野日敬など、次世代の新興宗教界の巨人たちが続々と誕生することになります。

岡田茂吉(1882-1955)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E8%8C%82%E5%90%89
庭野日敬(1907-92)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%AD%E9%87%8E%E6%97%A5%E6%95%AC

もちろん終末思想で社会不安を煽るという大本教のビジネスモデルだけが唯一の手法ではなく、大本教が育んだ新興宗教界のアントレプレナーたちはそれぞれ独自の工夫を重ねる訳ですが、大本教出身の人材の豊富さだけを見ても、出口王仁三郎は新興宗教業界の渋沢栄一みたいな存在、と言っても過言ではないかもしれません。
さて、小池健治弁護士は、

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 大本教は艮の金神による三千世界の立替え立直しという明確な教義をもち、かつその金神の宿し主であるナオとその後継者こそ最高の宗教的権威をもつものとしたから、天皇を現人神〔あらひとがみ〕として、政治的権威に止まらず宗教的権威としても崇拝させていた当時の国家神道による支配体制からはなんらの社会的活動をしないとしても危険思想として注目されたことは当然のことであった。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c7a8f8479742eaff0d68ebe569f4f1a5

などと言われていますが、大本教くらい騒々しく「社会的活動」を行なった宗教団体は他に存在しないですね。
「天皇を現人神として、政治的権威に止まらず宗教的権威としても崇拝させていた当時の国家神道による支配体制」といった表現は、小池弁護士のみならず、「国家神道」という言葉を極めて否定的に用いる研究者・運動家に愛用されていますが、少なくとも大正デモクラシーの時期には「支配体制」と呼べるような強固な宗教統制は全然存在していません。
小池弁護士が推奨する「甲第一二号証」の『大本教事件』でも、出口栄二氏は美濃部達吉の天皇機関説や津田左右吉の『古事記及び日本書紀の新研究』に触れた後、

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 大正二年三月号の「中央公論」には、早大教授副島義一が「天皇も人なることは世界何人も争うをえざる事実なり、然らば絶対に過失なしというべからず」と論じ、四月号には貴族院議員大木遼吉【ママ】が「現代において天皇は神なりといい、万智万能にして過誤なしというが如きは失当の言である。君主が宗教的哲学的見地から認めたる宇宙の主宰者と同一であるなどというのは、牽強付会に非ざれば阿諛諂佞の辞である」とかいて天皇人間論をのべ、天皇無過失説を批判した。
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と述べますが(p70)、副島義一や大木遠吉が不敬罪で逮捕・訴追されたかというと、そんなことは全然ありません。

副島義一(1866-1947)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%AF%E5%B3%B6%E7%BE%A9%E4%B8%80
大木遠吉(1871-1926)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E9%81%A0%E5%90%89

天皇が「現人神」などというのは単なる美称であり、キリスト教などで言う「神」とは全く別な存在であることは誰でも知っていた訳ですが、そういうことをあからさま言うのが躊躇われるような世相になったのはずっと後、軍部の強大な圧力の下で帝国憲法下の国家運営が変質してしまった天皇機関説事件後の異常な一時期だけですね。
大正デモクラシー期に大本教が弾圧されたのは、小池弁護士が言うように大本教が原理的に「危険思想」を胚胎していたからではなく、斬新な宣伝手法を駆使して、その終末思想で社会不安を煽ったからですね。
綾部のような田舎町で細々と「危険思想」を奉ずる少人数の教団が存在したとしても、「なんらの社会的活動をしない」のであれば国家権力が干渉しないのは「当然のこと」です。
警察もそこまで暇ではありません。
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