学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

成瀬氏と二条良基

2010-07-28 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 7月28日(水)01時24分23秒

>筆綾丸さん
平泉寺白山神社の境内があまりに素晴らしかったので、永平寺は殆ど越前大仏みたいなものとしか思えませんでした。

>香積寺
二条良基の名前が登場したのには驚きましたが、犬山城の成瀬氏は二条良基の子孫と称しているのですね。
14世紀の関白を家祖とするのは、武家の伝承としてはかなり珍しい部類なんでしょうね。

成瀬の君
飯盛山城

王維の詩の題は「過香積寺」が正しいようですね。
リンク先の方のワープロミスではないでしょうか。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

末法幻蔵と眼華 2010/07/27(火) 20:39:56
http://www.genbu.net/data/suruga/kuno_title.htm
上の解説文に「補陀落山久能寺」とありますが、実際、久能山に登って眼下の遠州灘を眺めると、この山は補陀落山渡海信仰が基本だろう、と感じました。家康のような徹底したリアリストが、なぜここを埋葬の地としたのだろう・・・家康の他界観を論じたものはあまりないと思いますが、考え直さないといかんな、と思いました。

小太郎さん
曹洞宗の大本山ともなれば、全国の末寺からの上納金は大変な額になると思いますが、税金対策にしても非道いものですね。
むかし、理解できないながらも、『正法眼蔵』はかなり読み込みましたが、道元の思想からすれば、現在の永平寺はいったん滅亡したほうがいいのではないでしょうか。
『正法眼蔵』に「眼華」という語が出てきますが、好きな表現でした。この言葉は、たしか、杜甫の詩にあって、道元を敬愛した良寛さんも、どこかで使ってましたね。
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