投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年10月 4日(金)10時48分40秒
「天皇制」にシャーマニズムの残滓がある、というのならまだ分るのですが、佐木の主張はそのような微温的なものではありません。
続きです。(p90以下)
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この形式によって、天理教の神が発生した。明治政府はミコ迷信として禁止したが、天皇制そのものがシャマニズムと不可分なのであってみれば、禁令もけっきょく徹底できるはずがない。シャマニズムは、寺院や神社と結びつき、あるいはいわゆる民間信仰として温存されてきた。それが新興の神々の発生にたいへん有効に使われたのである。
シャマニズムと同時に、祖先の霊・キツネ、さまざまな神や仏、すなわち、奇跡をおこなう力をそなえた存在と、十干、十二支、六曜、九星、その他の、現実を陰から支配する超自然的なエネルギーの力学とが、雑然とうけつがれて来た。
このような、近代科学と宗教改革によって清算されるべくして清算されずに豊富に温存されてきた原始・古代・中世文化の残りが、新興宗教の発生を容易にしているわけである。
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佐木が言いたいのは「天皇制」=「近代科学と宗教改革によって清算されるべくして清算されずに豊富に温存されてきた原始・古代・中世文化の残り」ということですかね。
前回引用した部分の冒頭で、佐木は「天皇制が、日本の宗教の近代化をはばみ、呪術性や奇跡や教団の権威主義を温存して、新興宗教がおこる土台を用意した」と言っているので、「天皇制」は「呪術性や奇跡や教団の権威主義」とも等号で結べるのかもしれません。
もう少し佐木の主張を見てみます。
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生活の面でも文化の面でもこのように貧しい前近代的な状態に停滞させられてきた小市民層は、第一次大戦のときに、かつてない激しい動きをしめした。それは、帝国主義の段階に入った日本の資本主義が、世界大戦を利用したものすごい軍需ブームのなかで独占体制を固めながら、深刻な広い矛盾をむきだしにしたときだった。資本家、地主と労働者・農民とのあいだの闘争がもえあがったが、物価騰貴になやみ資本の横暴に怒る下層の小市民や農民の一部が、権力と結んで国民大衆の苦難をかえりみない既成宗教とはちがった、自分たちの新しい宗教、という形で、そのなやみと怒りを表現したのである。
階級闘争がきわだって明らかな形をとっているような時期だったが、このときに現れた大本教には、するどい社会批判がしめされ、神の力によってこの邪悪なけものの世が破滅して正直な貧しい人々が永遠の幸福を与えられる、というような狂信めいた終末の夢がもえたった。けっきょくこういう信仰は、大衆を米騒動のような現実のたたかいに参加させるのではなかく、怒りをあおりたて反抗の姿勢を固めながらも、それを神秘の夢に発散させ、国民を信者と非信者とに分断してしまう。
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「狂信めいた終末の夢」「神秘の夢」云々は永岡論文でも引用されていた部分です。
永岡崇「宗教文化は誰のものか─『大本七十年史』編纂事業をめぐって」を読む。(その6)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ac006cb87939675b939a5a306d119e7f
更に続けます。(p91以下)
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まもなく大本教は政府の弾圧を受け、やがて、満州への侵略戦争のころから、新興宗教の第二の波がおこってくる。【中略】
さしせまる苦悩と不安、それから逃れようとする小市民のあがき、なげき、あきらめ─そういうものとしての新興宗教の性格がここにはっきりしめされている。ファシズムのもとできびしく取り締まられ、反抗はおろか、わき見も許されない、という状態におかれて、企業整備や召集、徴用によって、小経営はどしどし没落し、大資本に吸収され、小市民は、転落していく。ついには、肉弾として、あるいは空襲によって、生命までうばわれていく。遺族は貧窮し、離散する。【中略】
戦後の新興宗教も、小市民の苦難と不安にこたえる夢としての根本性格は、すこしもかわっていない。しかし、民族が占領下におかれ外国に従属している、という状態のもとで、社会的矛盾はさらにはげしく、小市民の苦難と不安はいっそう強い。家族制度の解体はいよいよ進行している。ことに、敗戦によって、古い権威は音を立てひび割れてしまった。そういうなかで、しかも民主勢力が大きく成長しているのに、小市民の大きな一部分はなお前向きに踏みきることができず、権威の前にひざまずき、それにすがって、以前のようなささやかな安定の夢を回想しようとしている。
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「夢」という表現が繰り返されますが、結局のところ、佐木にとって新興宗教とは「小市民の苦難と不安にこたえる夢」のようですね。
そして、戦前・戦中のみならず、「天皇制」の「古い権威は音を立てひび割れて」しまい、「民主勢力」(=共産党)が「大きく成長している」戦後になったにもかかわらず、「小市民の大きな一部分はなお前向きに踏みきることができず、権威の前にひざまずき、それにすがって、以前のようなささやかな安定の夢」、すなわち新興宗教という夢を「回想しようとしている」のだそうです。
「天皇制」にシャーマニズムの残滓がある、というのならまだ分るのですが、佐木の主張はそのような微温的なものではありません。
続きです。(p90以下)
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この形式によって、天理教の神が発生した。明治政府はミコ迷信として禁止したが、天皇制そのものがシャマニズムと不可分なのであってみれば、禁令もけっきょく徹底できるはずがない。シャマニズムは、寺院や神社と結びつき、あるいはいわゆる民間信仰として温存されてきた。それが新興の神々の発生にたいへん有効に使われたのである。
シャマニズムと同時に、祖先の霊・キツネ、さまざまな神や仏、すなわち、奇跡をおこなう力をそなえた存在と、十干、十二支、六曜、九星、その他の、現実を陰から支配する超自然的なエネルギーの力学とが、雑然とうけつがれて来た。
このような、近代科学と宗教改革によって清算されるべくして清算されずに豊富に温存されてきた原始・古代・中世文化の残りが、新興宗教の発生を容易にしているわけである。
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佐木が言いたいのは「天皇制」=「近代科学と宗教改革によって清算されるべくして清算されずに豊富に温存されてきた原始・古代・中世文化の残り」ということですかね。
前回引用した部分の冒頭で、佐木は「天皇制が、日本の宗教の近代化をはばみ、呪術性や奇跡や教団の権威主義を温存して、新興宗教がおこる土台を用意した」と言っているので、「天皇制」は「呪術性や奇跡や教団の権威主義」とも等号で結べるのかもしれません。
もう少し佐木の主張を見てみます。
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生活の面でも文化の面でもこのように貧しい前近代的な状態に停滞させられてきた小市民層は、第一次大戦のときに、かつてない激しい動きをしめした。それは、帝国主義の段階に入った日本の資本主義が、世界大戦を利用したものすごい軍需ブームのなかで独占体制を固めながら、深刻な広い矛盾をむきだしにしたときだった。資本家、地主と労働者・農民とのあいだの闘争がもえあがったが、物価騰貴になやみ資本の横暴に怒る下層の小市民や農民の一部が、権力と結んで国民大衆の苦難をかえりみない既成宗教とはちがった、自分たちの新しい宗教、という形で、そのなやみと怒りを表現したのである。
階級闘争がきわだって明らかな形をとっているような時期だったが、このときに現れた大本教には、するどい社会批判がしめされ、神の力によってこの邪悪なけものの世が破滅して正直な貧しい人々が永遠の幸福を与えられる、というような狂信めいた終末の夢がもえたった。けっきょくこういう信仰は、大衆を米騒動のような現実のたたかいに参加させるのではなかく、怒りをあおりたて反抗の姿勢を固めながらも、それを神秘の夢に発散させ、国民を信者と非信者とに分断してしまう。
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「狂信めいた終末の夢」「神秘の夢」云々は永岡論文でも引用されていた部分です。
永岡崇「宗教文化は誰のものか─『大本七十年史』編纂事業をめぐって」を読む。(その6)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ac006cb87939675b939a5a306d119e7f
更に続けます。(p91以下)
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まもなく大本教は政府の弾圧を受け、やがて、満州への侵略戦争のころから、新興宗教の第二の波がおこってくる。【中略】
さしせまる苦悩と不安、それから逃れようとする小市民のあがき、なげき、あきらめ─そういうものとしての新興宗教の性格がここにはっきりしめされている。ファシズムのもとできびしく取り締まられ、反抗はおろか、わき見も許されない、という状態におかれて、企業整備や召集、徴用によって、小経営はどしどし没落し、大資本に吸収され、小市民は、転落していく。ついには、肉弾として、あるいは空襲によって、生命までうばわれていく。遺族は貧窮し、離散する。【中略】
戦後の新興宗教も、小市民の苦難と不安にこたえる夢としての根本性格は、すこしもかわっていない。しかし、民族が占領下におかれ外国に従属している、という状態のもとで、社会的矛盾はさらにはげしく、小市民の苦難と不安はいっそう強い。家族制度の解体はいよいよ進行している。ことに、敗戦によって、古い権威は音を立てひび割れてしまった。そういうなかで、しかも民主勢力が大きく成長しているのに、小市民の大きな一部分はなお前向きに踏みきることができず、権威の前にひざまずき、それにすがって、以前のようなささやかな安定の夢を回想しようとしている。
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「夢」という表現が繰り返されますが、結局のところ、佐木にとって新興宗教とは「小市民の苦難と不安にこたえる夢」のようですね。
そして、戦前・戦中のみならず、「天皇制」の「古い権威は音を立てひび割れて」しまい、「民主勢力」(=共産党)が「大きく成長している」戦後になったにもかかわらず、「小市民の大きな一部分はなお前向きに踏みきることができず、権威の前にひざまずき、それにすがって、以前のようなささやかな安定の夢」、すなわち新興宗教という夢を「回想しようとしている」のだそうです。
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