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緩募(ゆるぼ):村上重良について

2019-10-06 | 村上重良と「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年10月 6日(日)10時58分8秒

当初は佐木秋夫を詳しく扱うつもりはなかったのですが、村上重良に関する情報が余りに乏しいので、村上の特徴を明確にするための比較対象として佐木について少し調べているところです。
村上重良(1928-91)は津地鎮祭訴訟控訴審判決(1971年5月14日)と同事件最高裁大法廷判決(1977年7月13日)の少数意見に影響を与えたばかりか、愛媛玉串料訴訟最高裁大法廷判決(1997年4月2日)は「国家神道」に関する歴史認識の点では村上重良説そのもので、最高裁判決に直接の影響を与えた宗教学者・歴史学者は村上以外には存在しません。
そのような稀有な学者でありながら、村上は生涯、大学で専任の職についていませんが、そのためもあってか、没後も友人・知人・門下生による追悼集のような書物は出されていません。
村上は「創共協定」をめぐって共産党の宮本顕治委員長(当時)を批判し、共産党を離党したので、これも追悼集が出されなかった一因かと思われます。
しかし、村上は共産党離党後も岩波書店等の有力出版社から多数の著書を出し、また『世界』等の雑誌にも活発に寄稿しているので、せめて雑誌の追悼特集くらいあってもよさそうなのに、それも見当たりません。
国会図書館サイトで検索したところ、村上没後に出された追悼文は島薗進の「村上重良先生をしのぶ」(東京大学文学部宗教学研究室『東京大学宗教学年報』9号、1992)だけのようです。
また、膨大な著書・論文を執筆していながら、村上は自分自身については語ることを好まなかったようで、なぜ宗教学を選んだのか、学生時代はどのような活動をしていたのか等、村上の人柄をうかがわせるような情報は今のところ全く得られていません。
村上が自分語りを好まず、関係者から見た村上の人物像に関する記事も乏しいので些か手詰まり状態なのですが、何か参考になりそうな文献を御存知の方はご教示ください。
学者から見た村上重良像はある程度想像できるので、「津地鎮祭違憲訴訟を守る会」などの政教分離関係の市民運動の中で村上と接した人から見た村上重良像、みたいなものを特に希望します。

村上について現在最も信頼できる情報を提供してくれるのは林淳氏(愛知学院大学教授)の「村上重良の近代宗教史研究」(安丸良夫・喜安朗編『戦後知の可能性』、山川出版社、2010)と「国家神道と民衆宗教─村上重良論序説」(愛知学院大学『人間文化』25号、2010)で、後者はPDFで読めます。
ご参考まで。

http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_02F/02__25F/02__25_33.pdf

なお、林淳氏は「マルクス主義と宗教起源論」(磯前他編『マルクス主義という経験』青木書店、2008)において、「今から三十年近くも前のこと」として「国家神道研究で著名な宗教学者の村上重良氏が、なかなか大学の専任の職につかないのは、マルキストだからという噂を耳にしたのも同じ頃であった」(p157)と書かれています。
しかし、東大名誉教授・日本宗教学会会長の小口偉一(1910-86)などは佐木秋夫と複数の共著を出したりして、ずいぶん「左翼」的であり、林氏の「噂」がどこまで正確だったのか、他に原因もあったのでは、などと思わないでもないのですが、人事の機微に関わることですから、このあたりは詮索しても仕方なさそうですね。
あまり参考にはなりませんが、ウィキペディアにも一応リンクを張っておきます。

村上重良(1928-91)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E9%87%8D%E8%89%AF
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