投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月18日(火)13時03分8秒
>筆綾丸さん
確かに表現がちょっと変なところはありますね。
一番分からないのは康治2年(1143)の相馬御厨、翌天養元年の大庭御厨での義朝の行動を概観した後で、「二つの御厨における義朝の行動から、武士団対立の調停者としての役割を看守できるであろう。彼が調停者として東国武士に受容された背景には、むろん名門河内源氏の武力もあったが、同時に院・摂関家の権威も存した。義朝が中央の政治権力と結ぶがゆえに、東国武士は彼の調停に従ったのである」としている点です。
一方当事者側の先頭に立って暴れまくっているだけの義朝が何で「調停者」なのか。
名前の読み方では、私は「千任」が「せんとう」となっていたのが気になりました。
男の名で音読みとなっているのは、これだけみたいですね。
普通は「ちとう」と読んでいると思いますが、確かに「訓+音」は変と言えば変です。
しかし、「せんとう」だと何となく銭湯が連想され、千任を吊るす例の残虐な場面ものんびりした雰囲気になってしまいそうで、妙な感じですね。
写真は今月5日に訪問した景正功名塚と金沢八幡宮です。
金沢八幡宮の案内板には「新羅三郎義光の末裔である佐竹藩主の尊崇特に篤く」云々とありますね。
また、「弥陀八幡」との表現がありますが、これはどういうことなのか。
神仏分離前は本地仏として阿弥陀の仏像が祀ってあったのでしょうか。
(27日追記)
何か変なことを書いたような感じがしていたのですが、やっと気づきました。
「任」を「とう」と読むのは訓読みですね。
「ちとう」だったら「訓+訓」で他の男性名表記と合うのに、なぜ「せんとう」なのか。
「平安の風わたる公園」
http://www.geocities.jp/ishishin10/kankou/yokote5/history.html
※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6008
>筆綾丸さん
確かに表現がちょっと変なところはありますね。
一番分からないのは康治2年(1143)の相馬御厨、翌天養元年の大庭御厨での義朝の行動を概観した後で、「二つの御厨における義朝の行動から、武士団対立の調停者としての役割を看守できるであろう。彼が調停者として東国武士に受容された背景には、むろん名門河内源氏の武力もあったが、同時に院・摂関家の権威も存した。義朝が中央の政治権力と結ぶがゆえに、東国武士は彼の調停に従ったのである」としている点です。
一方当事者側の先頭に立って暴れまくっているだけの義朝が何で「調停者」なのか。
名前の読み方では、私は「千任」が「せんとう」となっていたのが気になりました。
男の名で音読みとなっているのは、これだけみたいですね。
普通は「ちとう」と読んでいると思いますが、確かに「訓+音」は変と言えば変です。
しかし、「せんとう」だと何となく銭湯が連想され、千任を吊るす例の残虐な場面ものんびりした雰囲気になってしまいそうで、妙な感じですね。
写真は今月5日に訪問した景正功名塚と金沢八幡宮です。
金沢八幡宮の案内板には「新羅三郎義光の末裔である佐竹藩主の尊崇特に篤く」云々とありますね。
また、「弥陀八幡」との表現がありますが、これはどういうことなのか。
神仏分離前は本地仏として阿弥陀の仏像が祀ってあったのでしょうか。
(27日追記)
何か変なことを書いたような感じがしていたのですが、やっと気づきました。
「任」を「とう」と読むのは訓読みですね。
「ちとう」だったら「訓+訓」で他の男性名表記と合うのに、なぜ「せんとう」なのか。
「平安の風わたる公園」
http://www.geocities.jp/ishishin10/kankou/yokote5/history.html
※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6008
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます