学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「コスモス拾遺」

2015-07-15 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 7月15日(水)16時51分33秒

>筆綾丸さん
>「鵜飼教授の直話」
これは石川氏の「コスモス拾遺」(『法学教室』314号、2006年11月)を読まないと理解しにくい、かなり微妙な話ですね。
私も最初に読んだときにはちょっと驚いたのですが、鵜飼信成自身がどのような人物なのか、今ひとつ分からないので、このエピソードについては判断を保留しているところです。
参考までに、少し丁寧に紹介してみます。

---------
 赤煉瓦の瀟洒なマンションの一室の前。われわれ助手・院生を引率してきた奥平康弘教授が、ドアのチャイムを鳴らす。思わずネクタイを締め直してから扉をあけると、そこは書物のトンネルであった。ペーパーバックの書物が、煉瓦を積み重ねるようにぎっしりと、壁を覆った廊下。くぐり抜けた先には、リビングの安楽椅子に凭れた病身の碩学が、穏やかな笑みを湛えていた。弱った体軀に若々しい魂を漲らせながら。
 読者は、鵜飼信成という名前を、知っているだろうか。
---------

このあたり、石川氏はストーリーテラーとして実に巧みですね。
そして鵜飼信成の経歴を簡単に紹介した後、次のように続けます。

---------
 その鵜飼先生が、若人にこれだけは伝えておきたいという素振りで、「宮沢は狡猾だ」と仰る。日本憲法学史上の名作中の名作、宮沢俊義の「国民代表の概念」に話が及んだときのことだ。美濃部の国民代表概念を怜悧な分析で解体した同論文は、ほかならぬ美濃部還暦記念論文集に寄稿された。恩師の Festschrift において宮沢が師説を完膚なきまでに批判したことは、それを甘受した美濃部ともども、学問かくあるべしと謳われる美しく神話化されたエピソードである。また、丸山真男の如く、本来、政治的には掩護すべき美濃部・国民代表説を、学問上の要請から否定せざるを得なかったところに、宮沢憲法学の悲劇性を読み取る見解もある。
 けれども、鵜飼先生の見方は、それらとは違っていた。この名作の誉れ高い論文は、実は、天皇機関説で断罪された美濃部を批判し、ナチスの桂冠法学者として令名高かったカール・シュミットに賛意を表する、という形式で書かれている。美濃部の直弟子として攻撃の矢面に立たされた宮沢は、論文内容など読もうともしない批判者の反知性主義を逆手にとり、そのような形式上の演出によって自らをまもろうとした、そこが狡猾だ、と先生はいわれる。
 私は、即座に、宮沢先生は文中で、ナチス学者のケルロイターを明確にやっつけているではないですか、と反論した。これに対して先生は、その当時、カール・シュミットこそがナチス法学の代表者と看做されていたのであり、本当にナチスを批判したければ、シュミットを批判しなくてはならなかったのだ、と念を押すように指摘された。表現の自由を奪われた者が「奴隷の言葉」で自らを語らざるを得ない苦渋こそが、完璧に構成された宮沢論文の名作性の源泉であったという構図。鵜飼先生が強調しようとされたのは、いまから振り返ればこの点であった。
--------

「ナチスの桂冠法学者として令名高かったカール・シュミットに賛意を表する、という形式」の「形式」に傍点が振られています。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「宮沢(俊義)は狡猾だ」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7886
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする