投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 4月18日(金)20時59分37秒
>筆綾丸さん
>若年寄のような感じ
小川氏は中学生にして『尊卑分脈』を愛好していたという変人ですから、文章もいささかぺダンチックかつ古風ですね。
マックス・ウェーバーの二十代の論文ですが、三番目の『東エルベ農業労働者の状態』は、ポーランドなどからの外国人労働者受け入れに伴い、プロイセンの国民精神の基盤であったユンカーとその支配下の家父長制社会が根底から掘り崩されるという、当時としては非常に深刻な社会的問題を背景にしたものだそうですね。
ウェーバーはこの膨大な分量の論文のおかげで、二十八歳の若さで農業問題の専門家として有名になったそうですが、さすがに2014年の時点では食指が動かないですね。
牧野雅彦氏によれば一番最初の論文は次のようなものだそうです。(『国家学の再建』、名古屋大学出版会、2008年、p287、注8)
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ウェーバーの学位請求論文『中世商事会社の歴史』(一八八九年)の主題は、近代合名会社組織の基礎をなす特別財産と連帯責任の原理の起源がローマ法のソキエタス(societas)ではなく中世イタリアに求められることを明らかにすることにあった。その意味においてはウェーバーの学問的出発点はローマ法とゲルマン法をめぐるドイツ歴史法学の問題圏内にあった。後から振り返ってみるならば、ウェーバーはそうした問題を古典古代と中世・近代ヨーロッパ─さらにはそれらとアジア世界との対比─という比較社会学的な問題へと再構成していったということになるだろう。ローマ法のソキエタスとゲルマン法の原理を対比するギールケの議論については次章を参照。なおローマ法継受の問題についてはベロウがそれまでの論争を総括している。(後略)
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これ、数ヶ月前だったら私にとっても暗号に近い文章だったのですが、中世国家論をきっかけにドイツ法史を少し勉強したので、今なら無理でもないのかな、という感じがします。
すぐ手を出す余裕はありませんが、後で内容を確認してみたいですね。
『国家学の再建』、前半は私の当面の関心にあまり関係ないのでいささか退屈だったのですが、「第6章 西洋型国家の歴史的起源─「支配の社会学」と中世国家論争」以降は非常に刺激的で、夢中になって読んでいるところです。
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『国家学の再建 イェリネクとウェーバー』
はたして政治指導における責任とは何か―。国家と主権の本質、国家と法の関係、近代国家の歴史的起源等、イェリネクによって集大成されたドイツ国家学が先駆的に取り組んだ諸問題を引き受け、あらためて国家学の再構成を試みたウェーバー。主権国家の枠組みが問い直される現在、ドイツ国家学の達成と今日的意義を明らかにするとともに、二人の知的営為の核心に迫る。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
キメラ細胞のような文体? 2014/04/17(木) 17:01:52
小太郎さん
「若き時は、血気うちにあまり、心、物に動きて、情欲多し。・・・」(第172段)などが、若年寄のような感じがしないでもない小川氏には、「多感な青年期」を表象する susceptible なものと映ずるのかもしれないですね。
http://sankei.jp.msn.com/science/news/140417/scn14041711300006-n1.htm
時事ネタで恐縮ですが、笹井氏の記者会見をニコニコ動画で見ていて、問題の nature の論文には四種の異なる文体が混在しているが、あなたはどの部分に関わったのか、という女性ジャーナリストの質問にびっくりしました。さほど長くもない科学論文の文体の相違を四つも見分けられるというのは、キメラ細胞も魂消るほどで、ハッタリでなければ、質問者の英語力は相当なものなんでしょうね。(地の文体とコピペの文体の相違すら見抜けなかった笹井氏の英語力は大したものじゃない、と彼女は云いたかっただけなのか)
小太郎さん
「若き時は、血気うちにあまり、心、物に動きて、情欲多し。・・・」(第172段)などが、若年寄のような感じがしないでもない小川氏には、「多感な青年期」を表象する susceptible なものと映ずるのかもしれないですね。
http://sankei.jp.msn.com/science/news/140417/scn14041711300006-n1.htm
時事ネタで恐縮ですが、笹井氏の記者会見をニコニコ動画で見ていて、問題の nature の論文には四種の異なる文体が混在しているが、あなたはどの部分に関わったのか、という女性ジャーナリストの質問にびっくりしました。さほど長くもない科学論文の文体の相違を四つも見分けられるというのは、キメラ細胞も魂消るほどで、ハッタリでなければ、質問者の英語力は相当なものなんでしょうね。(地の文体とコピペの文体の相違すら見抜けなかった笹井氏の英語力は大したものじゃない、と彼女は云いたかっただけなのか)