大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第117回

2020年01月31日 20時18分21秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第117回



ザァァァー。
頭上高くから引力に逆らうことなく大量の水が落ちてくる。
その下には頭からそれを受けるマツリの姿がある。

どれ程の時が過ぎただろうか。 脱ぎ捨てられた狩衣(かりぎぬ)に似た衣の脇にキョウゲンが居る。

「少しは落ち着かれたか・・・」

マツリの気を受け取る。
丸い目を閉じた。

あの時、ロセイから聞いた話。
マツリの先導で北の領主にシキが会いに行った日。

『ロセイ、ここで待っていてちょうだい』 シキがそう言い、キョウゲンもロセイと共に主を待っていた時ロセイが唐突に言った。

『シキ様は波葉(なみは)様と夫婦(めおと)になられる』

滅多にない供同士の情報交換であった。

『・・・そうか』

『マツリ様をどうする?』

ロセイがそういう訊き方をするという事は、マツリの気持ちをシキが分かっているという事だ。

『・・・』

『シキ様はマツリ様のことを案じておられる』

『・・・シキ様はマツリ様のことをどうお考えなのか』

『マツリ様がシキ様のことを大切に想っておられることには、これ程ない嬉しさを感じておられる。 だが波葉様への想いは別だ』

―――別?
別とはどういうことだ? そう訊きたかった。 だが訊けなかった。
キョウゲンはマツリと感応している。 マツリの知らない想いはキョウゲンも知らない。 だが随分と前にマツリから新しい感情が流れてきていた。 しかし残念ながら当のマツリには自覚が無いため、真っ当に整理された感情をキョウゲンが受けることが出来なかったからだ。

『どうした?』

『いや・・・。 今はマツリ様のお気持ちが錯綜しておられる。 マツリ様が整理のつかない状態だ。 そこにシキ様のことが加われば―――』

『目にも当てられないという事か?』

『そうなるやもしれん』

『・・・では、シキ様の言を少しでも長く留めておかれるよう計らう』

『頼む』

そんな会話があったが、とうとうその日が来てしまった。 ロセイが少しでも留めておいてくれた話であったが、結局マツリに何も言えなかった。 言えるはずはなかった。 キョウゲンの知識や感情はマツリから得るもの。 マツリの持つシキへの想いが分かり過ぎた。 それに整理されることなく新しく流れてきていた感情。
キョウゲンにこの先の案は無い。 どうしたものかと首を右に左に何度も360度近く動かすことしか出来なかった。

滝に打たれマツリの心が無になる。 無になるには大層な時が必要となっていた。 シキのことを考えると、そうそう簡単に無になどなれるはずがない。
ずっと、姉上姉上と頭の中で繰り返していた。
美しい姉上。 美しくなくとも、ただただシキはマツリの敬い慕う人であり、守りたい人であった。 誰よりもシキのことを想っていた。
なのに。
姉上が波葉に心を寄せていた? いや、それは何も知らないリツソの言葉だ。 姉上から何を聞いたわけではない。

(俺は・・・俺は何を言ってるんだ・・・)

あの時
『すぐという事ではないの。 北の領土のことが落ち着いて』
その先の言葉を遮った。
『なにをっ!? 何を仰っているのですか!?』
と。

この時にどこかで何かを分かっていた。 だが分かりたくなかった。

だから
『そんなことは訊いておりません! 婚姻とはどういうことですか!?』 そう言った。 そう言う以外になかったから。

なのにリツソが
『兄上、姉上は波葉の奥になりたいと思っておられるのです。 波葉も然りです。 それくらい分かるでしょう?』
そんなことを言った。 リツソの言に腹立てたのに
『リツソったら・・・』 姉上が言った。

(姉上が認めたということだ! 何故! 何時! 何処で! どうして! 姉上と波葉が!)

頭上から落ちる勢いのある水に打たれながら、繰り返しそればかりを考えていた。 だが、滝の持つ力なのか、段々と心を落ち着かせていった。
立位から座位に変えた。

空を見上げる。 陽は天頂を越して随分と傾いてきている。

「随分と長く、ああしておられることになる」

いくら何でもこれ以上は、と思うが、大きくなって、まさか己が主を足で掴むわけにはいかない。

「誰かを呼ぶ以外なさそうか・・・」

と、その時、マツリの身体が揺れた。

「マツリ様・・・?」

立ち上がり一旦顔を上げたかと思うと、顔を下げゆっくりと歩いて来る。
身体はもちろんの事、長い銀色の髪がびっしょりと濡れている。
滝から出てくる前に顔を上げ、その銀の髪を全て後ろに流していたが、下を向いて歩いてきたからだろう、後ろの髪より短い横の髪は落ちてきている。

小袖姿のまま滝に打たれていたマツリが脱いでいた狩衣(かりぎぬ)に手を出そうとした時、横に手拭いが置かれているのが目に入った。 ついでに乾いた小袖も置かれてあった。

「取ってきてくれたのか?」

「はい」

マツリの問いにキョウゲンが応える。
いつものマツリには戻りきっていないが、半日前のマツリより随分と落ち着いた様子だ。

小袖を脱ぐと手拭いで身体を拭く。 一旦手拭いを絞って次に髪を拭く。
乾いた小袖に手を通すといつものように手際よく次々と着ていく。 側仕えなど要らないのがよく分かる。 最後に房の付いた黄緑の丸紐で高い位置に髪の毛を結んだ。

「着替えて北の領土に行く」

北の領土に限らず、領土を回る時には小袖も狩衣も着ない。 皮の上衣と筒履きの下衣に着替える。 マツリだけでなくシキも然りだ。 オマケに言うとリツソもその服を着たことが一度だけある。

「まともにお食事をとっておられません」

見てはいないが、時を考えるに朝食も殆どとっていないだろう。

「半日以上も滝に打たれ、お疲れもあります」

マツリが滝を振り返る。
父上と姉上の会話。 あの時の意味がようやく分かった。

『お前は、お前のことを考えろ』

東の領土からシキが帰ってきた時、報告を聞き終わると父である四方がシキにそう言った。
マツリはシキがお役御免とさせられたかと思った。 シキが視え過ぎるから、これ以上は無理をさせないようにかと。 四方もシキが視え過ぎると言っていたのだから。

だがあの時のシキは顔色一つ変えていなかった。 シキよりマツリの方が顔面蒼白になり、手は震えてしまっていた程だ。
シキがお役御免など有り得ない。 お役御免となる時は使い物にならなくなったという事だ。 決してそんなことは無い。 現にあの後、シキに北の領主を視てもらったのだから。 それであの娘が紫だということが分かったのだから。

だが・・・己は何と浅はかだったのだろうか。
父上はこのことを言っていたのか。

それに翌朝の食事の席でもだ。 澪引がシキの他出を案じていた。 他出ばかりしているシキに、波葉とのことが気になっていたということだ。
目を瞑る。 先程まで見えていた落ちていく大量の水は目の前から無くなった。 あるのはゴウゴウという水音だけ。
ゆっくりと目を開け、顔を戻す。

「北の領主の具合を見に行く」

「・・・御意」

もう何を言っても無駄と諦めた。


洞窟を抜け北の領土の滝の裏に出る。 大きくなったキョウゲンが身体を斜めにしてカーブし、滝にあたらないように飛ぶ。 片膝を曲げ、もう一方の足をだらりと下ろしているマツリが身体の重心を変える。

抜けてきた洞窟は本領と北の領土を繋いではいるが、洞窟の先に本領が在ったり、北の領土が在るわけではない。 いや、在るのだが。

いってみればこの洞窟は異空間を通っている。 本領も東西南北の領土も同じ空間にあるが、簡単に行ける距離ではない。 従ってどの領土に行こうとも、どの領土から戻って来ようとも洞窟を通る。 本領から洞窟の中に入ると途中から四方向に分かれた洞があるが、それは僅かな距離。 そんな僅かな距離で広い領土の四方向に行けるはずはない。

「ホゥホゥ」 とキョウゲンが啼く。

北の領土は本領より暗くなるのが早い。 月こそまだ出ていないが人々は家の中に入っている。 家の中では囲炉裏に火を入れ飯を囲み角灯を灯している。 電気が通っているのは領主の家だけである。

この時刻になるとオオカミ達が民の家に耳を傾け民の会話を聞いている。 そのオオカミたちが声のした方を見た。 意味の分からないマヌケ三匹もつられてその方向を見る。 ついでに言うと、マヌケ三匹はそれぞれバラバラにされ、年長者二匹に挟まれて里に下りてきている。 ハクロの提案だった。

『そんなこと最初にしてるさ。 だがね、いいのか悪いのか、マヌケは三匹とも足が速い。 他の奴らと走っていられないって言うしさ、他の奴らは奴らで、足手まといだって言うんだから、マヌケを組ますしかなかったんだよ』

『だが、それでも一向にいいようにはならなかったのだから、オレのいいようにさせてくれ』

『アンタが責任をとるならね』

そんな会話でその方法と決まった。 今のところ誰からも何の苦情もきていない。

「どうした? フクロウの声なんて珍しくも無いのに」

年長の二匹が山の方を向いている姿にマヌケ一号が声を掛ける。

「静かにしろ」

年長の一匹が声を抑えて言う。

「だから! さっさと教えてくれれば―――」

「馬鹿かお前は!」

もう一匹も声を殺して言う。
オオカミ達の声はどれも人間からしてみれば言葉ではなく、単なる獣の唸り声にしか聞こえない。

カタカタと頭上で蔀窓(しとみまど)が開いた。

年長二匹が慌てて窓の下に入り込み木の壁に身を付ける。 その二匹が目を合わす。 マヌケ一号が居ない。 辺りを見回す。 窓から洩れる薄い明かりが井戸の上を照らしている。 その明かりの下で素知らぬ顔をしたマヌケ一号が、井戸を覗き込もうと今にも井戸の端に手を掛けようとしていた。 二匹の目が大きく見開かれ顔が青ざめていく。 毛は茶色だが。

「ねぇ、父さんってば、飯が出来たってば!」

「あ、ああそうか」

その声がしたと思ったら、カタカタと蔀窓を閉める音がした。

「何か聞こえた気がしたけど、気のせいだったみたいだな」

中からそんな声が聞こえてきた。
年長二匹が腰が抜けたように、その場にへたりこんだ。
ちなみに二号三号も似たようなことをしていた。

キョウゲンの声に呼応するシグロの声が聞こえた。 かなり遠くから聞こえてくる。 声のした方に進行方向を向ける。
いくらか飛ぶともう一度啼いてみる。 暫くするとシグロの声が聞こえた。 近い。 木々のあけている所に立っているだろう。

すこし薄暗い中、白銀の毛を持つハクロなら何とかなるかもしれないが、黄金の毛を持つシグロを探すのはマツリなら困難であろうが、キョウゲンにはそれが可能だ。

キョウゲンが目を凝らす。

「居りました」

一言いうと滑空していく。
ビュッと唸りが聞こえてきそうなほどの速さ。
マツリの足が地についた。

「マツリ様、どうなされました?」

「領主の具合を見にな。 どこに居るか知っておるか?」

「領主の家に帰っております」

「という事は、薬師が運んだということか」

あのままあの場で診ていてもよかったが、不安なら馬車で運んでも差し支えないと言った覚えがある。 そうすれば医者にも診てもらえるからと。

「具合は?」

「民が言うには、医者がずっと付いているようです。 それ以外は特に。 我らはマツリ様からの仰せがない限り、領主の家には聞き耳を立てませんので」

「そうだったな」

「如何為されます」

「ああ、領主が家に帰っているのならば、案内は要らんが・・・。 薬師はどうしておる?」

「薬師でございましたら、今は医者と共に付いておるようです」

「そうか。 それならばよい」

「はい。 北の一番の薬師と言われておりますから」

「一番? それはどういうことだ」

あの薬師はまだそんなことを言われる歳ではないはず。

「どういうことと言われましても・・・。 北の一番の薬師としか言いようがありません」

「それは若い薬師か? ずっと最初から領主を見ていた薬師か?」

「いえ。 そうではなく、若い薬師の・・・師匠とか申しておりました」

「あの若い薬師ではない?」

「その者なら領主を家まで運び、座を北の一番の薬師に譲り家に戻りました」

「譲った?」

「はい。 中心に帰ってきた時に医者が待っておりまして、その後に北の一番の薬師が現れ、入れ替わりに退いたようです」

「そうか」

曲げた人差し指を何度も下唇にこすりつけると唐突に話し出した。

「娘はどうした? 見つかったか?」

「申し訳ありません。 未だに・・・」

四方八方に足を向けているが一向に見つからない。

「ふむ・・・」

瞼を半分伏せ一度離れていた人差し指がまた下唇を捉えた。

「そうだな・・・」

シキでさえ、紫揺の居所が分からないと言っていた。 霞がかかったようだと。 それにこれだけオオカミ達が探して見つからないという。

―――そう言えば。

『本領でその娘をお探しされればいい! どうぞご自由にこの領土をお探しください。 領主として何の文句も言いません』

領主がそう言っていた。 隠していることにかなりの自信があるということだろう。
だがシキの霞がかかったようだというのが一番気になるが・・・。
瞼を上げシグロを見る。

「娘を探すのを一旦止めてくれ」

「は?」

「姉上にさえお分かりになられないようだ」

「シキ様にも?」

「もう少し何かが分かり次第、また頼むやもしれんが、今はここまでとしておいてくれ。 苦労だった」

「はい・・・」

では、というと領主の家に案内は要らないが、と前おいて

「悪いが若い薬師の家に案内してもらえるか」

「・・・御意」

薬師に何用かと訝りながらも駆けだした。

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