大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第215回

2021年01月08日 22時33分32秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第210回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第215回



船のデッキに七人の姿。 操舵席に一人。 そしてラウンジには紫揺と一匹の土佐犬が居た。

ほんの少し前のことである。 セノギから最後になったカミがまだ十分には落ち着いていないが、それでも聞くことは出来るからと聞かされた。

セキに短い話ではあるが、その話が済んだら船に乗ると告げその場を立ち上がった。 それはセキにガザンとの別れをするようにということであった。 言わずとも聡いセキにはその意味が分かるだろう。

北の影たちはそれぞれに座っていたが、紫揺がセノギと共に桟橋を歩いて来ると、カミ以外の四人がカミを後ろに、最初にしていたように片手片膝をついて紫揺を迎えた。
ハンの膝の悪さは分かっている。

「無理をしなくていいですよ」

紫揺がハンに声を掛けたが、ハンは頷くだけでその姿勢を解こうとはしない。 敬意を表してくれているのだ、そう思うとその姿を甘んじて受け入れよう。
ショルダーバッグから五つの封筒を出した。 それは唱和が此之葉に預けたものである。

「セノギさん、これを渡して下さい」

その封筒には五人の影たちの名前が書かれている。 紫揺は誰が誰なのか分からない。 それに紫揺の手から渡すより、セノギから渡した方が良いだろうと思った。 セノギがカミの分もハンに渡すと全員に封筒が渡った。

「それは唱和様が書かれたものです。 皆さんのお里の場所だそうです」

子供の頃に師匠に連れてこられたのだ、自分たちがどこに住んでいたのか、領土に入ってどこに行けばいいのかなど分からない。
ハンとカミは高山(たかやま)の出だと分かっているが、どこの高山なのかは分からない。 そのカミには母親の移り住んだ場所も書いてあるのであろう。 そしてそこには未だ会ったことの無い妹か弟がいるであろう。

「里に帰るようにと強制をされているわけではありませんが、代々の方々に封じ込めを解いたあとはお里の場所を教えてこられたそうです」

使い捨てではなかったということだ。

「ですから皆さんのお師匠さんも唱和様から封じ込めを解かれ、その後にお里の場所を聞かれたということです。 お師匠さんのお里の場所は教えられないが、見かけるようなことがあれば、話をすることを禁じるものではないと仰っておられました」

五人の影たちは頭を下げている。 どう受け取っているのか表情からは窺い知れない。

「常なら、解いたあとにお一人お一人と唱和様はお話をされていたそうですが、時間が無かったものですから、皆さんに残す言葉は書けなかったそうです。 だから唱和様は皆さんに伝えて欲しいと仰いました」

五人一人ずつ、頭を垂れる姿を見た。 そしてゆっくりと此之葉が預かってきた唱和の言葉を口にする。

「すまぬ、と」


「犬・・・紫さまはどう考えておられるのだろう」

若冲は操舵席に座り、阿秀と此之葉、その此之葉が海に落ちないかと此之葉に引っ付いている醍十の三人は少し離れたところに居る。 イコール阿秀という目や耳がない四人の会話だ。

「紫さまのことだ、何も考えられておられないんじゃないか?」

「何も考えておられないというか、何もご存知ではないのではないか?」

「まぁそれも考えられるが、普通分かるだろう」

四人が目を合わす。 そして首をひねる。

「・・・普通と違わなくないか?」

「だな」

この口調は湖彩だろうか? だとしたらその前に言ったのは野夜だろうか。

「いや、その言い方は失礼だろう」

「そうだ。 単に落ち着きがないだけだ」

また一度四人が目を合わす。

「阿秀は言ったのか?」

「言った上でこれだったら・・・」

「いや、阿秀だ。 こんなにドタバタした時に言うはずがない」

と、顔にモザイクの入った壮年Aが言った。

「ではまだ希望があるということか?」

三人が壮年Aを見る。

「いや。 そこまでは・・・。 ただ、対、人の時の阿秀を考えるとそうではないかと」

阿秀の対、人のことをよくよく分かっている人物、その顔にモザイクのかかった壮年A、それは多分、梁湶だろう。

四人と離れたところに居るデッキでは、阿秀がスマホを片手にあちらこちに連絡を取っている。 この船を返すにあたっての連絡だろう。 清掃会社にも連絡を取っていた。
やっとスマホを内ポケットに入れた。 その頃には船着き場に若冲が船を寄せている時であった。

ガザンがいる。 通常なら紫揺を一番先に降ろすが、もれなく紫揺についてくるガザンがいる。 紫揺以外が船に居るとガザンが吠えるか暴れるかするかもしれない。 全員が紫揺より先に船を下りる。 ラウンジからそれを見ていた紫揺がガザンに言い聞かす。

「ガザン、いい? 吠えちゃダメ。 追いかけちゃダメ」

そんなことを言われても“了解” などとは言わない。 悪しき気のある者から紫揺を守るのだから。 それが初めて紫揺を見た時からの己の心なのだから。 それに、言われずともだが、セキから言われたのだから。

『ねぇ、ガザン。 シユラ様を守ってくれる? ・・・私はガザンとは居られないけど・・・お願い、シユラ様を守ってもらえる?』 

セキがそう言った。
どうして当たり前のことを言うのだろうか。
紫揺に話しかけられたが、セキとの時のことを思い出して 「ブフッ」 と言いながらガザンがソッポを向いた。

「ガザン・・・」

ガザンが今何を考えているかなど分からない紫揺。

「ねぇ、ガザン?」

ガザンの頬の肉を掴み左右に引っ張る。
面白い。 イケてる。 これクセになる。
だが、それを見たかったわけではない。 ソッポを向いたガザンをこちらに向かそうと思っただけだ。
頬の肉を引っ張られ、グ二ッと正面を向かされた。

「あの人達は私の為に一生懸命にしてくれているの。 ね、セキちゃんからガザンを預かったの。 だからずっとずっとガザンと一緒に居るの、居たいの。 だからお願い分かって」

「ブフー」 と一つ息を吐いたあと、じっと自分を見る紫揺のど真ん中にある口から鼻、額をベロンと舐め上げる。

「ガザン・・・」

この仔は、ガザンは、セキの聡さを受けている。 言葉が足りずとも分かってくれる。

「ガザン、ありがとうね。 セキちゃんの分もガザンが好きだからね。 大好きだからね」

紫揺がガザンの首に抱きついてきた。 もれなくガザンがヘッドロックの刑に処された。

待たせていたタクシー三台の内一台に阿秀が運転手に惜しげもなく現金を握らさせた。 ケージやキャリーに入れることも無く、座席にガザンが乗るからだ。
そのタクシーには紫揺とガザンだけしか乗らなかった。 紫揺から言われた阿秀と此之葉は他のタクシーに乗った。 ガザンは運転手に威嚇をすることなく大人しく乗っていた。

かなり遅れた昼食を取り、それからの電車移動にガザンの入ることの出来るキャリーを買い求め、キャリーなどに入ったことの無いガザンが不服を言うので、紫揺がガザンを説き伏せることがあったりと、やっとこ、どっとこで、ガザンと共に博多駅についた御一行。
三人がすぐに走り出しタクシーに乗り込むと、船着き場に止めてあった車を取りに行く。 その間、狭いキャリーの中に入れられていたガザンがのびのびと辺りを見回していた。 いつガザンが吠えだすかと気が気ではなかった紫揺だが、ガザンは見たこともない人の群れに、行きかう車に目を追っていただけだった。

車がやって来て紫揺の家に向かう。
ガザンと紫揺は阿秀の運転する車に乗り込んだ。 ガザンは阿秀を値踏みするかのように睨み据えながら乗車したが、吠えることも何もなかった。

もう辺りは真っ暗になっている時刻。 玄関の前に立つと阿秀を振り返った。

「皆さんお疲れでしょう? 大人しくしていますから、今日はゆっくりしていて下さい。 それにガザンもいますから大丈夫です」

いつもどこに居るのか知らないが、呼べば出てくるということは、家の周りのどこかに潜んでいるのだろう。 他の車からも全員が降りている。

紫揺の足元にはガザンがいる。 そのガザンが阿秀に吠えないし威嚇もしない。 それを見てか阿秀が紫揺に申し出た。

「紫さま」

「はい」

「我らは紫さまが領土に帰って来てくださることを望んでおります。 ですが領主の考えるように紫さまには、紫さまが送ってこられたこちらでの生活がおありになります。 その生活を捨てて無理にでもと申し上げることは出来ません」

「はい」

それは以前に聞いて知っている。 あの洞が潰されれば、一時考えた通いの紫にもなれない。 どちらか一つを選ばなければならない。 分かっている。

「犬は領土には連れて行けません。 犬に限らずこちらの物は何一つ持って行くことは出来ません」

他の者たちが阿秀がこのことを紫揺に告げていたのかどうかを言っていたが、ここで阿秀がそれを口にした。

「・・・」

ガザンのことはセキがセノギに言われていた。 だから薄々、東の領土もそうではないかと思っていた。

「犬と供に居られるのでしたら、我々とは今日ここまでとなります」

「・・・分かりました」

「紫さま・・・」

阿秀の後ろに控えていた此之葉の声が漏れる。 男たちの動揺が見てとれる。

「大切なガザンです。 ガザンを置いていくことなど考えてもいません」

「・・・そうですか」

「阿秀!」

男たちが阿秀の名を呼ぶ。 紫揺の言うことを認めるのではないと。

「紫さま! 紫さまはこの地に居られたいとお考えなのですか?」

此之葉が懸命に言う。

「・・・そこはまだどちらとも。 お婆様から領土のことを頼むと言われましたけど」

「では、ではまだ私たちに希望はあるのですね?」

「此之葉」

紫揺を困らすのではないと阿秀が此之葉を制するが、此之葉が首を振る。 梁湶の片方の眉が僅かに上がった。

「紫さまはどうなのですか? 領土をご覧になり、民をご覧になった紫さまはどうなのですか?」

「それは・・・」

「今すぐではなく、今日一晩考えてください。 お願いします、お願いします」

深く深く此之葉が頭を下げる。

「此之葉、無理強いをしてはいかん。 紫さまには紫さまの世界がおありになる」

「一晩、一晩だけ。 お願い阿秀」

「此之葉さん・・・」

「紫さま、お願いします。 一晩だけでもお考えになって下さい」

藁をもすがる目で此之葉が紫揺を見るが、すがられてもガザンと離れる気はない。 だが今ここで最後というのも寂しいものがある。 『我々とは今日ここまでとなります』 さっき阿秀に言われた時、すぐに返事が出来なかった。 それは一抹の寂しさを感じたからだ。

「・・・阿秀さん」

「はい」

「犬と・・・ガザンと一緒に居るという考えは変わりません。 でも、此之葉さんの言うように一晩おかせてもらえませんか。 この場でサヨウナラというのはちょっと寂しすぎます」

「承知いたしました。 では明日、お昼過ぎにお伺いいたします」

阿秀が言うと、後ろから声がした。

「紫さま」

一歩進み出た醍十であった。

「はい」

「紫さまには紫さまのお考えがありましょう。 その中に此之葉のことを入れてやってくださいませんか。 たとえ紫さまの代わりに新しい五色様が来られたとしても、此之葉は紫さまと居た時と同じようには過ごせません。 “古の力を持つ者” として五色様に添うことはあっても、紫さまと居た時のような気持ちで接することは出来ません。 此之葉は五色様ではなく紫さまを見ております。 それに此之葉だけではありません。 俺もそうです」

此之葉のことなのに醍十が断言して言い、頭を深く下げた。

「此之葉と醍十だけではありません我らもです」

他の五人が一斉に頭を下げる。

「お前たちやめろ。 紫さまには紫さまのお気持ちがある」

だが誰も頭を上げない。 止むなくという顔をした阿秀。

「では、失礼いたします。 行くぞ」

此之葉と六人がまだ頭を下げる中、阿秀が運転席に乗った。 仕方なく六人が頭を上げ、もう一度紫揺に頭を下げると五人が踵を返して車に向かう。

「此之葉、行くぞ」

まだ頭を下げている此之葉の背中を軽く叩く醍十。
此之葉がそっと頭を上げ、いったん紫揺と目を合わせると伏し目がちにして醍十に背を押されるまま歩き出した。

阿秀の運転する車に此之葉と醍十が乗り込み、あとの五人は二人と三人に分かれて二台の車に乗り込んだ。 車中、誰も一言も発することは無かった。 阿秀に犬のことを言われたにもかかわらず、迷うことなく犬を取ると言った紫揺に対して、どう考えていいのか分からなかったからだ。

車を見送ることになった紫揺。 ガザンは紫揺の足元でお座りをしている。

「ガザン、吠えなかったね。 いい仔だったね」

ガザンの頭を撫でてやり、家の鍵を開けた。

ガザンは唯々、阿秀と此之葉、あとの六人を交互に見ていただけで、唸ることもなければ腰を浮かすこともなかった。

玄関に入るとまずはガザンの足の裏を拭き、リードを外すとそのまま家の中に上がらせた。 ガザンにとって初めての場所であり、初めての室内。 狭い家だが、くまなくあちこちの臭いを嗅いで回っていた。
納得をしたガザンの前に水を入れた大鉢を置いてやる。 喉が渇いていたのだろう、あっという間に飲み干して、座り込んでいた紫揺の横に伏せをしてそのまま目をつぶった。

ガザンは屋敷にやって来た時以降、初めて屋敷から出たのだ。 船に乗り車に乗って電車にも乗った。 ましてや檻のようなキャリーに入れられていたのだ。 疲れもするだろう。 人間なら肩でも揉んでやりたいが、生憎とガザンだ。 ガザンの背中をさすってやる。

「温かいね」

北に攫われてからのことは何度も何度も考えた。 ニョゼが屋敷にやって来て話したことも。

北の領土に行く前、ガザンを知った後には、自分があの屋敷から脱走することだけを考えてセキに近づき、セキにガザンとの仲を取り持ってもらった。 セキとガザンはいつも当たり前に居てくれた。
セキは可愛い妹と思えていた。 敢えて考えることなど無かった。 ただ一つ考えたのは、自分が屋敷を脱走するにあたってガザンを利用することだった。 それに負い目を感じてセキとガザンのことは考えたが、それ以外は何も考えなかった。 感じるままだった。

いざ屋敷を脱走することになった時には、ニョゼとセキと会えなくなるということを考えたが、自分は脱走を選んだ。

「あの屋敷を出る。 北の領土はお婆様が帰りたかったところではないとそう感じて自分で決めた」

北のことはもう終わったのだ。 今更何を考えても何も変わらない。 今頃は洞も潰されているだろう。
頭を切り替えた。
初めて阿秀と顔を合わせた時のことを思い出す。 大人の男から逃げようと思った。 北の人間と思ったからだ。 屋敷にまた戻されると思ったからだ。 だが、北の人間ではなかった。
あの時は北とか東とか言われて何が何だか分からなかったが、今なら分かる。

「ちがう。 今じゃない」

もっと前から分かっていた。 少なくとも東の領土に入った時から。 民と言われる人々の前に姿を現した時、そして祖母からの記憶。

唱和から頼まれた伝言をどうして受けたのか。 頼まれては断れないからだ、そういう性分だ。 だがそれだけでは無いのも分かっている。 まだ翻弄されている者たちが居ると知ったからだ。 祖母を悲しませないためにも、北の屋敷に行った。

色んなことを思い出したが、自分にとって暖かいものがどこにあるのか。
自分中心に考えていると言われればそれまでだが、いや、それで? 誰に何の文句を言われれなければいけないのか?

「え? 自分中心に考えて?」

ガザンを撫でる手が止まった。 どうしてそんなことを思ったのか。 どういうことだ。
北に攫われてからは、ニョゼのことはさて置き、今まで脱走の事以外は自分を中心になど考えなかった。 ・・・はずだ。 北の領土に行くと決めたのも、領土の中を歩かないと決めたのも自分だ。 だがそれを自分中心に考えたとは言えないだろう。 とは言っても誰かのためになどとも考えなかったが。 ただ目の前にある事だけに対峙しようと思った。

「目の前にあること」

いま目の前にあるのはガザンのことだ。

「・・・ちがう」

ガザンが居ようが居まいが、決めなくてはならないことがある。 ガザンのことは二の次だとは言わない。 ガザンとは一緒に居る。 だが、違うところで考えなければいけないことがある。
もしガザンが居なければ、自分はどちらを選ぶのだろう。 此処なのか東の領土なのか。

攫われる前に自分が今までしてきたことを考える。 シノ機械で働いていた。 その前は両親との別れがあった。 泣いて泣いて暮らしていた。 その前は・・・。
紫揺の口元が緩んだ。

「バカみたい。 迷ってる時点でおかしかったんじゃない」

どうして気付かなかったのか。
紫揺がガザンの横に添うように寝ころんだ。

「ねぇ、ガザン?」

ガザンの目がうっすらと開いて紫揺を見た。 ガザンが寝入っていないことは分かっていた。

「いっつも一緒に居ようね」

「ブフ・・・」

ガザンが鼻を鳴らすとようやく寝入った。 紫揺が迷っていることを知っているガザンに紫揺の決心が伝わったのだろう。

この時にはもうニ十四時を過ぎようとしていた。

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