大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第174回

2020年08月17日 21時54分39秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第170回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第174回



この薬膳を乗り越えなくては普通のお味の食事はとれないようだ、諦めるしかない。 とは言っても普通のお味、それは紫揺の知っている日本の味と同じとは言えなかった。 だが薬膳に比べるとずっと近いものがある。

熱い視線。 ずっと注がれる、というよりは吸い込まれるような視線。
取って食われそうだ。

「・・・あの」

「はい! 青菜にございます!」

盆に薬膳を持ってやって来た青菜。 「青菜にございます」 と言って入ってきたのは分かる。 「青菜が飯を持ってきてございます」 「青菜が茶をお淹れしてございます」 と、何を言うにも名前を付けてくるし、その視線があっては食べにくい。

「あ、いいです」

一人で食べると言いかけたが、いつも此之葉が付いているのに、一人で食べるからと追い出すわけにはいかないかと、口から出る前に苦い薬膳と一緒に飲み込んだ。

いつもと違う食事の時間の流れに空間だからだろうか、まるで飾りのように置かれている葉っぱに気付いた。 桔梗の葉と似ている。
気になり、箸で取ろうとすると「あ、それは食べられませんように」 と “青菜” です、を付け忘れて慌てて青菜が言った。

「彰祥草(しょうしょうぐさ)と言いまして、この季節の祝いの膳に添えるもので御座います。 香りは良いですが食べるものではありませんので。 青菜がお教えいたしました」

そうなんですか、と言って、ふわりと香るこの香りが、彰祥草の香りなんだな、と思いながら他のものに箸を移した。
決して料理の香りの邪魔をしていない。
今は薬膳だが、そう言えば此之葉と食べていた時にも、この香りがあったと思い出す。 気が付かなかったが、祭の間の膳にはこの葉っぱが添えられていたのだろう。

このまま黙々と食べていても間が持たないし、視線が痛い。 とにかく何でもいいから話しかけよう。

「青菜さんは朝のご飯の準備をしてるって仰っていましたよね?」

青菜の顔がパァーと開いた。 以前話していたことを憶えてくれていたんだ、と言わんばかりである。

「はい、青菜が用意して御座います」

「それって、何人分なんですか?」

「紫さま、此之葉とお付きの者七人分の九人分です」

お付きの中でも塔弥は数には入っていない。
朝食を一緒に食べた時に、この青菜と同じことをしていると他に一人が言っていた。

「二人で・・・青菜さんと、もう一人の人とで九人分って大変ですね」

とにかく青菜とつけておけばいいか。

「青菜はその様に考えておりませんので、ご安心ください」

「はぁ。 ・・・それまでは私を抜いた八人分だったんですか?」

「いいえ、ここには誰もおりませんでした。 青菜もおりませんでした」

「え?」

「こちらは、紫さまのお家にございますので」

まさか自分の家にいることを知らなかったのかと、名前を付け忘れた。

どういうことだ、噛んだ野菜が最高に苦かった。


紫揺がまたもや書蔵にいる。 青菜から聞いて “紫さまの書” だけでは領土の仕組みが分からないと思ったからだ。

昨日教えてもらった道を突っ走ってきた。 たとえ祭が始まる前だといっても、最初に教えてもらった道では人目につきやすい。 だが、昨日教えてもらった道は、ほとんど誰の目にもつかないだろうと思える道であった。 で、それが正解だった。 誰にも会わずにここまで来ることができたのだから。
だがそれは、あくまでも紫揺にしてみれば、である。

「どれを読んだらいいんだろ」

端から見渡していく。


「紫さま、此之葉にございます」

返事がない。 耳を澄ますが音も声も聞こえない。 まだ寝ているのだろうかと思うが、昨日のことがある。 体調を崩していては大変だ。 様子を確認しなければ。

「失礼いたします」

戸を開け、部屋を見回す。

「紫さまが・・・いらっしゃらない」

青菜は朝飯の担当だ。 紫揺の膳を下げた後、ここにはもう居なかった。

「此之葉、どうした?」

茫然と佇む此之葉の後ろから野夜の声がかかった。


「ふーん、紫は基本一人で住んでないんだ」

両親の元を離れるのは個人の自由だったが、遅くとも十五歳までには両親の元を離れ、いま紫揺が寝起きしている家に住んだようだ。
その時にお付きの者達がその家に泊まり込むと書かれている。 “古の力を持つ者” は通いで紫に付くらしい。
“古の力を持つ者” は “古の力を持つ者” の何かの括りがあるのだろう。

「ああ、そういえば歴代の “紫さまの書” に書かれてたあれって、そういう意味だったんだ」

例えば先の紫の先代 “紫さまの書” にはこう書かれていた。 『十四の歳にてご勇断を下され、居を離れられる』 と。

「あの家には代々の紫が住んでたってことか。 きっとお婆様もあの部屋に居らしたんだ」

祖母は二歳で母親を失ったと聞いていたが、父親のことは聞いていない。 “紫さまの書” にもそのことに触れられていなかった。 もしかしたら、二歳の時からあの家にいたのかもしれない。
“紫さまの書” によれば一度は潰したようだが。


「紫さまを見なかったか?」

歩いている女を止めて訊く。 女が首を振る。 二人が目を合わせまた走る。

「北ってことはないだろな」

「まさか」

二人組となったどの組も民の誰に訊いても同じように首を横に振られるだけだった。
それはそうに違いない。 紫揺は人目に触れない道を突っ走ってきたのだから。

「塔弥、書蔵に行ってみよう」

此之葉が走って領主の家に行くと、阿秀もそこにいた。 阿秀はお付き達に指示を出したあと、さすがにこの時ばかりは、独唱についていた塔弥を呼びに行き、二人で独唱の家から出て来た。

「書蔵ですか?」

「昨日は長い間、書蔵にいらした」

走っていた足を早めると塔弥がそれに続く。

「あれは・・・?」

「阿秀と塔弥だ」

走りながら互いに目を合わす。
別な所では。

「あれぇ? 阿秀が走ってる。 珍しいなぁ」

「・・・行くぞ」

醍十が目の先の方向を変えた。
もう一か所では。

「さすがに塔弥も独唱様の元を離れたか」

「阿秀も出てきたか。 ということは」

二人が同時に走った。

三組が、詳しく言うと醍十を除く三組の五人が、常に独唱に付いている塔弥が出て来て、阿秀さえ走っている。 何かあった以外考えられない。 もしや、北の影でも見たのだろうか、そう思って阿秀たちの方に走り出した。


ことりと一冊目の本を棚に戻した。

「あー、疲れた。 そろそろ帰ろかなぁ」

この一冊を探すだけでも疲れたのだから。
そう言った時、扉が開いた。 あの重い扉が勢いよく。
振り返るとそこに阿秀が居た。
額から汗をにじませ肩で息をしている。

「・・・こちらに居られましたか」

ゆっくりと中に入ってくる。
阿秀の後ろから塔弥が姿を現した。

「良かった・・・」

膝に手を付き、荒い息を繰り返している。

「本を読まれておいでですか?」

「はい」

「まだお読みになられますか?」

「いえ、そろそろ戻ろうかと」

「そうですね。 そろそろ昼時になりますから、その方がよろしいかと」

と、その時、

「わぁー!」 と、幾人かの声が重なって聞こえた。
膝に手を付いていた塔弥に後ろから思い切りぶつかってきた二人がいた。 塔弥は思い切りお尻にぶち当たられ、そのまま前に飛ばされ、後ろから来た二人は重なり合って倒れた。

「・・・何をしてるん―――」

まで言うと、第二弾が飛び込んできた。 足元に二人が重なり合って倒れているのだから、当然この二人も倒れる。

「ワァ―!」 やら 「グウェ」 やら、叫び声と共に、カエルの潰れたような声が聞こえる。
阿秀がこめかみに手をやった。 ここは涼しいので額の汗はもうひいている。 どちらかと言えば、背中に流れていた汗が冷えて寒いくらいだ。

「お見苦しい所を・・・」

振り返り紫揺に軽く頭を下げる。

「どわっ!」 「バッ!」 「ギュエ」 「ゴゥ」 などとまた聞こえてきた。

目の前で紫揺が目を丸くしている。 何が起きたか想像は出来る。 阿秀がゆっくりと振り返る。 想像通りの図があった。 だから出た言葉は一人だけに向けられた。

「塔弥、大丈夫か」

尻を高く上げ、膝と顔を地面につけている塔弥にだけ。

「おお、阿秀、ここに来たのかぁ」

起き上がった醍十が胡坐をくんで言う。

「てめっ、でっかい図体して人の上で器用に胡坐かいてんじゃないよ!」

野夜が醍十の下で叫ぶ。 その下では「苦し・・・」 「い、息が・・・」 と聞こえ、一番下になっていた湖彩と悠蓮が今にも潰れそうだ。

塔弥の腕を取り立たせると、下穿きの膝の部分が破れ、額と鼻の頭から血を流していた。

「手で受けられなかったのか?」

「一旦は受けたんですけど、汗で手が滑ってしまって・・・情けないです」

戸口を見ると、醍十を除く五人がまだもつれ合っている。 醍十は堂々と野夜を踏みつけ、その場から抜けたのだか、あとの五人は足元は広い道、頭は書蔵に入っているのだから、縦にはどれだけもスペースはあるが、残念ながら一番必要とする横には扉の幅しかない。 横に転がってその場から外れるということが出来なかったのである。

野夜が醍十と同じように起き上がって下にいる二人を踏みつけようとしたが、この二人が暴れるものだから、二人の上にまた転んでしまった。

「醍十、助けてやれ」

五人の醜態を見学していた醍十が両方の眉を上げて応える。

「野夜、いつまで遊んでんだぁ?」

野夜の身体をヒョイと抱え上げ、一番下になっている湖彩と悠蓮を引っ張り出した。 あとの二人は上下の人間がいなくなったのだから、勝手にやってくれと言わんばかりに醍十が手を引こうとしたが、下の二人を抜いたことで、この二人の身体がスッポリと扉の枠にはまってしまっている。 仕方なく醍十が手を貸した。

湖彩と悠蓮はまだ息絶え絶えになって、膝に手を付き前屈みになってゼーゼーと言っている。

「いい加減にしろ。 紫さまの御前だぞ」

「そんな、気にしないでください」

紫揺が言うが、お前が気にしろ、とは誰も言わなかった。

「えっと、皆さんも本を読みに来られたんですか?」

書蔵に来たのだからそれ以外ないであろう、それとも下手な質問だっただろうか、よく考えると昨日お付き達は梁湶以外は書蔵に入ってきていなかったのだと考えるが、言ってしまった。

湖彩と悠蓮の手が膝から滑った。 その理由を紫揺は知らない。

「ええ、ですが少し遅くなりました。 もう戻りましょう。 昼時に間に合わなくなります」

阿秀が振り返って紫揺に言った時、チラッと阿秀の後ろにいた塔弥の顔が見えた。

「え? 塔弥さん?」

阿秀の横から塔弥を見る。

「大丈夫ですか?」

ポケットからハンカチを出して塔弥の額と鼻の頭を拭こうとしたが、塔弥が身を引いた。

「これくらいなんともありません」

「でも」

「何ともありませんので」

紫揺に言うと阿秀を見た。

「それでは独唱様のところに戻ります」

独唱と聞いて、あっ、と思い出したことがあった。

「ああ、ご苦労だった」

返事をした阿秀の後に次いで、紫揺が口を開いた。

「塔弥さん訊きたいことが」

「はい」

踵を返そうとしていた塔弥の足が止まった。

「独唱様って、ご姉妹がいらっしゃいます?」

「え?」

「お歳を召すと、皆さん似てこられるから何とも言えないですけど、よく似てらっしゃるなって方がいて・・・」

塔弥の目が見開かれたと思った途端、座った。

「・・・阿秀、紫さまを領主の家にお連れして下さい。 俺は独唱様のご様子を見てから行きます」

今の紫揺の言葉に何かあるのだ。
独唱と塔弥、お付きの誰しもがこの二人だけしか知らない何かがあるのは分かっていた。
紫揺の言葉が何を指し示したのかは分からないが、紫揺が塔弥を止めて問うたことで塔弥が阿秀に言ったのだから。

「・・・分かった」


「紫さまご無事で・・・」

今にも泣きそうな顔で此之葉が迎えた。

「書蔵に居られた」

「書蔵に・・・」

そうか、どうして一番に考えなかったのだろう。

「“領土史” っていうのを読んでいました」

「そうでございますか」

悪びれることもなく言ったことに、今にも此之葉の膝の力が抜けていきそうだ。

「領主は?」

「中に居られます」

「塔弥から紫さまを領主の家にお連れするように言われた。 塔弥は独唱様のご様子を見てからこちらに来るそうだ」

「分かりました。 では紫さまどうぞ」

紫揺を此之葉に預けると阿秀が家から出て行った。

以前に阿秀や塔弥、お付きの六人から挨拶をされた部屋に通された。 ここが領主の家だとは知らなかった。 この大きなテーブルはお付き達や沢山の民と言われる者たちが領主を訪ねてきた時用だったのか。 ではどうして家人は領主以外他に見ないのだろうか。

テーブルに茶を置いた此之葉に訊く。

「ここって領主さんの家だったんですね」

「はい」

「奥さんや子供さんは?」

「奥様は四年前にお亡くなりになられました。 お子様・・・と言っても、もう大人ですが、お二人とも辺境に行かれて治安をみておられます」

「え? じゃあ、領主さん一人でここに住んでるんですか?」

「阿秀や女たちも毎日来ていますので」

「そうなんですか」

だから家人を誰も見なかったのか。
紫の家にしても領主の家にしても他人が簡単に上がるようだ。 他の家々もそうなのだろうか。 そうであるならば、この領土では家という概念が日本とは違うようだ。

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