大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第171回

2020年08月07日 21時36分45秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第170回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第171回



『紫さまが小さな愛らしいお手で民の頬を触った。 民に喜びが込みあがる』
『紫さまがお走りになった。 なんど転げられても懸命に走られる。 そのお姿が愛らしく、民が笑む』
『お花の種を埋められた。 毎日毎日ご自分でお水をまかれている。 健気なお姿に民の頬が緩む』
『小さな子をお抱きになられる。 まだご自分もお小さいというのに。 慈愛をお持ちのお方である』
『初めて犬に触られた。 恐々触られていたが、すぐにお慣れになり抱きつかれる。 紫さまは何をも愛す方である』

等々、今度は持ち上げ一辺倒だ。 何枚もページをめくって読み進めるが、些細なことを、まるで育児日記のように書かれてあった。
そして最後近くのページにあの忌まわしい日のことが書かれてあった。

『民から是非とも見て頂きたい花があると聞かれて、十年に一度しか咲かない花を愛でに領土の端に出かけられた。 このとき必ず同行する古の力を持つ者が臥せっていた。 領主が尋ねられると “民が知らせてくれたのです。 是非にとも見に行きたいです” と民に添ったお言葉を返され “私にはいつも付いて下さっている方々がいます” と話された。 民を信じる心をお持ちである。 民は幸甚の至りである』

まだ書ける隙間があるというのに、そのページはここで終っていた。 ページをめくる。

『花を愛でに出かけられた紫さまが襲われ、領土からお姿を消された』 それだけが書かれていた。

ページをめくる。

『この日より、お力がお出になることになっていた。 もう一年早く、九の歳にお力を解放していれば紫さまは今もここにおられる』 それだけが書かれていた。

ページをめくる。

『紫さまが微笑まれれば民が微笑み、悼みを抱かれれば民が心沈む』

最後に書いてあったのは、葉月から聞いていたこの文面だった。
パタンと書を閉じた。

他の代の書も見るつもりであったが、祖母のことを考えると今は無理だ。
葉月も言っていた 『紫さまが微笑まれれば民が微笑み、悼みを抱かれると民が心沈む』 それが大きな理由だった。

今ここには梁湶と紫揺しかいない。
梁湶は領土史を読んでいたことは読んでいたが、紫揺が来てからは文字を追うだけで頭には入っていなかった。 二人だけしかいない空間。 紫揺がページをめくる音しか聞こえていなかった。 そんな時にあの異音が聞こえた。

ゴン!

梁湶が振り返り紫揺を見た。 見紛うことなくしっかりと、紫揺の額が机に落ちていた。

「紫さま!」

思わず叫んでしまったその口を手で押さえたが、時遅し。 昨日のことが頭の中を走った。

「あ・・・聞こえちゃいましたか?」

紫揺がゆっくりと顔を上げる。 大きな音が響いたのは自分の耳にも聞こえていた。 反響が大きすぎるだろうというくらいの音だったのだから。

「あ、いえ、何も聞こえてなど・・・」

「聞こえましたよね」

「いえ、全く・・・そのような」

これ以上、梁湶を追い込んでもなにもない。 と言うか、追い込むつもりもない。

「まだ読みたいんですけど、今日はこれくらいにしておきます」

「では返しておきますので湖彩を呼びます」

「いえ、自分の手で返します。 どこに返せばいいんですか?」

梁湶が健気だなと思った。
紫揺の元に行くと二つの塊の六冊を手に取った。 自然に紫揺が残りの一つの塊である四冊を抱える。
「こちらです」 そう言うと梁湶が歩き出した。 あとに紫揺が続く。
梁湶が六冊を棚に戻すのに倣って紫揺も棚に戻した。 場所は覚えた。 ことりと最後の一冊、祖母の書を棚に戻した時、梁湶の声がした。

「いつでもお気になる書が御座いましたら、お申し付けください。 持ち出しは出来ませんがすぐにお席にお持ちします」

「どうして持ちだせないんですか?」

出来るのならば祖母の肖像画を今晩も見ていたい。

「外気に触れると書が傷みます。 紫さまがおられた地のように印刷物ではありません。 二冊とない唯一の書ですので」

梁湶が静かに言った。 持ち出せない理由が分かった。

「ここへは自由に出入りしてもいいんですか?」

「はい。 誰しもに許されています。 紫さまにもです」

じゃ、明日も来ていいんですね、とは聞かなかった。

「分かりました。 有難うございした」

ペコリとお辞儀をすると踵を返した。
梁湶が口の端を上げ、幼気(いたいけ)な子を見るように鼻から短い息を吐いて紫揺の後につく。
紫揺が扉を開けようとするが、思った以上の扉の重さに一瞬開けることが出来なかった
「お開けします」 後ろから梁湶が片手で扉を開いた。


湖彩の後ろを下を向いて歩いている。

『紫さまが微笑まれれば民が微笑み、悼みを抱かれると民が心沈む』

(お婆様は愛されていたんだ。 信頼されていたんだ。 でもそれは紫だからだろうか、一個人としてだろうか。 他の書を読んでみないと分からない、か)

失敗したなと思う。 一冊でも他の書を読んでおけばよかったと。 だが、あの愛らしい姿の祖母のことを思うと、二歳で母親を亡くしたのに、それでもああいう風に書かれるということは、凛と生きていたのだろう。 そう思うとそれ以上思考が働かなかった。

明日の昼を過ぎてから始まる最後の日のお祭も夜通し続けられる。 明後日の朝まで。 明後日に帰るのならばそれまでに時間はある。 焦らなくても出直せばいい。

「むらちゃきちゃま」

ずっと下を向いて考え込んでいた紫揺の耳に可愛らしい声が入ってきた。 顔を上げ見てみると五歳くらいの女の子が三人それぞれに花を持っている。
湖彩を見ると頷いてみせた。

「お早うございます」

子供たちの前に屈む。

「おはな」

三人が三人とも両手に持った色とりどりの花を紫揺に差し出した。 きっと摘んできたのだろう。

「くれるの?」

三人が頷く。

「ありがとう」

小さな子供が両手に持っているといえど、それが三人前であろうと、決して大きな手ではない紫揺でもまとめて持つことができる。 右手で一人づつから受け取り、それを左手でまとめて持った。

「お名前は?」

「さしょう」 「ふうき」 「こなり」 と順に名乗った。

「何歳?」

さしょうが指を四本立て、ふうきも同じく四本立てた。 そしてこなりが「五歳」 と言って、小さい掌をいっぱいに広げた。 かなりリキが入って見える。 一番年上だから頑張っているのだろうか。

「そっか」

小さな子と話したことなどあまり経験がない。 ほぼ無だろう。 記憶にさえないのだから。 せいぜい北でミノモと話したくらいだ。 この先の会話が思い浮かばない。

「怪我しないで遊んでね。 じゃね、ありがとう」

思い浮かばないならピリオドを打つしかない。 一応、一人づつの頭を撫でておいた。

湖彩が歩き始め紫揺も続いた。 それからも時折同じようなことがあった。 小さな子たちが寄ってきては花を差し出す。 会話を続けられない紫揺は全員に同じことを言うしかなく、湖彩の手を借りて花を持ってもらった。
湖彩が足を止めた。 どうしたのかと紫揺が湖彩を見ると「お待ちください」 と言って紫揺の後ろに歩き出した。

振り返ってみてみると、何人もの子供たちが付いてきていた。 その中に花を渡してくれた子が全員そろっているのが分かる。 ・・・多分。

「もう遠くまで来たよ。 お家にお帰りなさい」

子供たちが頬を膨らませる。

「ほら、父さんや母さんが心配する」

「しなーい」

「そんなことはない」

「だって、かーさんもついてきてるもん」

指さす先を見てみれば、数人の女たちが家々に身を隠してこちらを見ている。
湖彩が人差し指でこめかみを押さえた。

「・・・湖彩さん」

「あ、申し訳ありません。 参りましょう」

「いえ、あの女の人達に私がなにか言えばいいんですか?」

「そのようなことは・・・お疲れになられたでしょうから」

ということは、疲れてなければ何か言えばいいということだ。

「私、会話はあまり得意でないんです。 何を言えばいいか教えてください」

「・・・民は・・・。 紫さまのお声を聞き、お顔を拝見できるのを何よりもの喜びとしております。 先の紫さまはそこにご尽力されておられました」

たしかに。 書いてあった。

『五の歳を迎えられた紫さまが、民のいる所にお出向きになると仰せになる』
『六の歳になられても一日とかかさず、民の元にお出向きになられる』
『六の歳を三月過ぎ、お付きの者がお身体の心配を進言す。 お付きの者の心を痛めさせていたとお謝りになられ、その日より十日に一度はお休みになられる』
『七の歳を迎えられ辺境まで行かれる。 辺境に住む民が涙を流して喜んだとお付きの者から聞く』

それ以降も、辺境と言われる所に何度も足を運んだと書かれていた。

「分かりました」 って分かるわけないだろう。 何て言えばいいんだよ。 と悪態をつきたいが、まさかそんなことを言えやしない。
女たちが居る方に歩きだした。 呼ぼうかとも思ったが、どう言って呼んでいいのかも分からない。 湖彩が慌てて後ろにつく。 その後ろを子供たちがついて歩く。
女たちが「きゃっ」 とか「紫さま」 とか「どうしよう」 とか言っているのが丸聞こえだ。

(いったい何人いるんだよぉぉ・・・)

心の中の口が悪くなってくる。

(あぁぁ、面倒臭いぃぃ・・・)

こんな所で開き直りは出来ない。

紫揺が急に振り返った。 湖彩が慌てて足を止める。 その湖彩に自分が持つ花を預けると、女たちに向かって一気に走りだした。

「は? え? わっ! 紫さま!」

手には先に預かった花を握り、無理矢理押し付けられた花は両腕で胸元に抱えている。 それはそれは、無様な走り方で紫揺の後を追う。

「お早うございます!」

女たちの元に駆け寄った紫揺が淑やかにではなく元気よく言う。
女たちが慌てて頭を下げた。

「お子さんたちに、お花をたくさん頂きました。 有難うございました。 可愛いお子さん達ですね」

とここまで一気にまくし立てるように言い、あとの言葉が思い浮かばない。 そんな時にはこちらから質問するに限るだろう。

「今何をされてるんですか?」

紫さまの後を追ってます、などと誰も言わないであろう。
女たちが互いを見る。 女たちの服は半袖の作務衣に似た服を着ている。 これは作業用だろうか。

「お家の掃除とかですか?」

女たちが縦に何度も首を振る。

「大変ですね。 毎日のことお疲れ様です」

そう言うと後ろを見て子供たちを呼んだ。

「沢山歩いたね。 みんな元気だね。 さ、お母さんのところに帰ろうね」

それじゃあ、明日ね。 とは口が腐っても言いたくない。 こんなことは不得意中の不得意だ。
女たちにお辞儀をすると、待っていた湖彩の元に行き、抱えていた花を受け取った。
そしてしばらく歩くと第二弾が始まった。


「お疲れ様でございました」

此之葉が茶を持ってきた。
花冠を頭に載せ首に花輪を下げ、両手首に小さな花輪をつけた紫揺が卓に突っ伏している。 部屋の中には花を入れた壺がいくつも並んでいる。 家から出てきた紫揺を見つけた女や子供たちが一斉に花を摘みに行き、帰ってくるのを待っていたようだった。

「疲れましたー。 お婆様はこんなことを五歳からしてたんですよね。 それも自分から言って」

私には無理ですー。 とは付け加えなかった。

「はい、幼いお歳で。 先の紫さまは生まれ持っての慈愛のお心を持たれておられたのでしょう」

そう言ってから、あ、と言って口を押えた。

「けっして、紫さまが何と言っているわけではございません」

「いえ、気にしないでください。 当たってますから」

「そのようなことは」

「私、子供とか・・・人ってあんまり得意でないんです」

身体を起こすと薄緑の色をした茶が入ったカップに口をつけた。

「ゔっ」

決して美味しいとは言えない。

「薬湯でございます」

(はい、口に苦しですね)

「そんなことは御座いません」

心の内の声を聞かれたかれたかと驚いたが、そうでは無かったようだ。

「紫さまは私とも葉月とも気軽にお話しくださいます。 それに領主にも独唱様にも、ご自分のお考えを仰います」

「そこのところは、けっこう北で鍛えられたと思います」

いや、どうだろう。 進学指導の教師である堂上が聞けば「ふざけんな」 と言ったであろうか。

「人見知りでおられるだけなのではございませんか?」

「人見知りはあります。 でも・・・慣れてる人でものれないって言うか」

「のれない?」

“のれない” の意味が分からないようだ。

「えっと・・・慣れている人でも、その人が今話していることに対してどう考えてるんだろう、それに見合った返事をしなくちゃって考えてしまって、話が続かないっていうか。 面倒臭いから話したくなくなるって感じで」

「それは、お相手様のお心を考えていらっしゃるということです。 紫さまがその様なことをお考えになられなければ、お相手様のお考えに添わないことを仰るということです。 紫さまはお相手様のことを慮(おもんばか)っておられるのです」

いや、そんな上等なもんじゃありませんけど、と言いたかったが言い方を変える。

「そんなことって誰でも考えます。 だけど思うだけじゃ何もないじゃないですか。 その先に何かを言う。 そこで慮るというのはやっと成立すると思います。 私はそれが面倒臭いんです」

「それはいつごろからそう思われました?」

「え?」

「ご幼少の時からでございますか?」

「・・・」

そんなことない。 自由に生きられていたはずだ。

「人には得手不得手がございます。 先の紫さまは民の心に添う。 失礼な言いようになりますが、それは先の紫さまの得手であられたのでしょう。 先の紫さまにも不得手が御座いましたでしょう。 紫さまは紫さまであられます。 紫揺さまは紫揺さまであられます。 紫揺さまらしくが紫さまでございます」

領主からはこの領土に入ると紫揺のことを紫と呼ぶといわれていた。 それを了承してほしいと。 なのに此之葉は今、紫揺といった。

『紫さまは紫さまであられます。 紫揺さまは紫揺さまであられます。 紫揺さまらしくが紫さまでございます』

祖母の真似をする必要などないんだ。 紫として努力しなくてもいいんだ。 自分そのままが紫なんだ、そういうことだろうか。

「何となく分かったかな。 ありがと。 此之葉さん」

自分そのままが紫と考えると、ある意味重荷になるが、片意地を張らなくていいのだと、頑張らなくていいのだと。 だが自分の性格が紫という立場に十分でないことは分かっている。

(人間として成長しなくちゃいけないってことかな) 今の自分は祖母の五歳の時より劣っている。

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