キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

雨の一日

2018年07月07日 | Weblog
台風のせいなのか梅雨の戻りなのか知らないが、やけに雨が続くね。
今朝も朝の散歩を止めてしまったが、JA湘南へは自転車を飛ばして「湯上がり娘」を買いに行った。
他に胡瓜と谷中、ズッキーニを買った。

家に帰ったら庭のミニトマトを妻が収穫してあって、雨が降ったせいで裂果していたが、よく実っていて美味かった。

廊下で庭を眺めながら西部邁の「国民の道徳」を膝に開いて読んだが、673ページの大冊なので読みにくい、ちょうど昼寝の枕にすると好いサイズなのだが、二つくらいに引き裂いてしまおうかと装丁を見たが、バラバラになると厄介なので思い止まった。

毎日妻が庭石にご飯の余りを撒いているが、そこへ雀が大量にやって来る。
みんなに行き渡る量ではないが、此処に餌があることが分かっているので、一時間ばかりの間に何波かに分かれてやって来ては啄んでいてひどく可愛い。
喰い損なっているのもいるはずで、台所からご飯を持ってきて撒いてやりたいなあと思うが、近在の雀数百羽がやって来ると隣近所に迷惑が掛かるので控えている。

昼前に息子二人が車で何処かへ出掛けた、妻に聞いたら二人で外食するとのことで、昼は妻と二人なのだが、何故か天婦羅を揚げていて、蕎麦を茹でて昼にするらしい。
玉葱、獅子唐大小、隠元、豚肩ロースの天婦羅に大根おろし、葱、山葵で盛り蕎麦を食べた。
揚げ物は自殺行為だと友人の医者連中に云われているが、母方の祖父は70を越えても昼には祖母に天婦羅を揚げさせて食べていた。
百姓だったので身体を使っていたからだけど、祖父に倣って晴耕雨読で昼には天婦羅を喰いたい。
だが百姓はどうも性に合わないから晴釣雨読を考えてみたが、中々実現出来ないでいる。

プレシネはThe Sun Shines Brightで面白かった。
1953年の米映画でジョンフォード監督、町の判事の酒飲みのオヤジの活躍ぶりなんだが、小太りでユーモアすなわち余裕があって、人望がある。
元南軍のラッパ吹きで、当時の仲間がいまだに取り巻きでいて楽しそうなんだよね。
生き死にを一緒に過ごした仲間は一生強い絆で結ばれるが、平和ボケの拝金主義の時代の仲間は薄っぺらで駄目だね。


2階に上がり橋本治「乱世を生きる」を読む。
本人も何を書くんだかわからないと前書きに書いているくらいだから、分かりにくいのは仕方がないことだね。
夕方散歩をしようと思っていたが眠ってしまい、7時前に晩飯だと起こされた。
枝豆、米神の朝どれ鯵刺身、鯵をマリネにしたサラダ、冷奴、胡瓜の糠漬け、ミニトマトを食べた。

母の部屋で野球を見たが、広島戦で菅野が投げていて前半は神懸かった投球をしていたが、中盤からは崩れた。
それでも持ちこたえ勝った。
9時からは「新日本風土記釜石」を観た。
かつて北の鉄人と云われた新日鉄釜石はどうなったのだろうと思っていたが、久し振りに松尾の姿を観た。
鉄の時代が終わり、人口が減少していたところへ地震が来たので、散々だったなと思っていたが、1945年7月に米艦隊から艦砲射撃を受けて700人戦死していることを知った。
新日鉄釜石はタイヤに使う5ミリのPとSの少ない純度の高い鉄の生産を今も続けているらしい。
高炉の火が消えていないことを知っただけでも嬉しい。
人口が減少してそれを食い止めるために市役所がチョーザメの養殖の研給をして雇用拡大を狙い、その肉を知人からいただいたことがあり、その後どうなったのだろうと気になっていたが、それも震災前のことだった。

由紀さおりの音楽番組を惰性で観てしまった。
最後のゲストが荻野目洋子でダンシングヒーロー、六本木純情、湾岸太陽族と持ち歌3曲を歌い、最後に由紀さおりとメランコリーを歌ったが、すっかりオバサンで10代の頃の魅力の片鱗を伺わせるところは全くなかった。
昔の女には逢わない方がいいと云われるが、時代に鍛えられた言葉には従った方がいい。
コメント
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