午前中「磯っ子」へ行き、茄子、胡瓜、花を買い、大磯図書館国府支所によりヴァレリー・アファナシェフの「平均律クラヴィエール曲集」2巻を借りた。
これは一般的には「クラヴィーア」と云っているようだが、英語読みだとクラヴィエールになるのかな。
この人、特異的に演奏がゆっくりだという事だが、聴いてみると中々いい。
まあ、あまり音楽の才能は無いので、直感的な感想に過ぎず、参考にはしないで欲しいけどね。
家に帰ると妻が熱心に栗を剥いていたので、昼は栗ご飯になるらしく、一人で向いていたので申し訳なく思い、それなら葉唐辛子の佃煮を買ってくるよと云って、わくわく間で出かけることにした。
経験的に塩味の炊き込みご飯には葉唐辛子の佃煮が一番合う。
わくわくの前に二宮の図書館でアンドラス・シフのバッハ、モーツアルト、シューベルトのピアノ曲のアルバムを2枚借りた。
クラシックについては全くの不案内なので、偶然聞いてみていいと思われる曲や演奏家のものを取り合えず借りて聴いてみることにしている。
今のところ残念なことに感動的に良いという曲は無い。
日本の女性歌手の曲に心揺さぶられるのは、日本語が母国語であるという点と、作詞作曲編曲が日本人なので、日本人に受ける詩と曲の研究がなされているからだと思う。
その点はフランスの3☆レストランで食べる料理が、そのままでは日本人に受けないのと一緒で、先人が塩加減や脂っぽさや量、魚の鮮度の悪さを改善して、日本人に合うようにしてきた歴史の積み重ねがあるのと同じだと思う。
特にフレンチは明治期に入って来たものは、カツレツ、カレーライス、コロッケ、オムライスくらいしか残っておらず、それも可成り日本的に変形したものだったと思う。
今でも、本格的なフレンチは中々成功しないのは、一度食べたら、その後当分食べたくなることで、やはり諄さがネックになっていると思う。
それに比してイタリアンは、素材の味を前面に出す傾向が強いので、日本において圧倒的な数の店があり隆盛している。