五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

空海の風景

2017年06月14日 | 第2章 五感と体感


空海の風景 2017年6月14日

司馬遼太郎の書いた「空海の風景」を読み直しています。
37年ぶりに真面目に読み返しているのですが、改めて司馬遼太郎の取材力と想像を繋げる力の凄さに感心しながら読んでいます。19歳の自分も夢中になって読んでいたはずなのですが、知識も経験も薄すぎたようです。
ようやくこの小説と正面きっての対面をしています。
私の今までの学びが、案外蓄積されていることに、小さな喜びも感じながらの読書です。

讃岐佐伯氏である空海こと、真魚は、母方の叔父阿刀(あと)の大足や、佐伯今毛人を後ろ盾にして学問の道に入ります。
真魚の奇才は幼いころから発揮されていたようですが、学問をすればするほど、宗教学的、哲学的な宇宙の世界に焦がれてゆく真魚の様子が司馬遼太郎の言葉でひしひしと伝わってきます。
かつて「空海の風景」を読んでいた頃の自分と真魚の行動を、ようやくこの年になって俯瞰できるようになっていることに気づき、小説の面白さに呑み込まれています。

しかも、讃岐の善通寺の場所で生まれた真魚が、国を出て学びを得た教授が、同郷讃岐の岡田牛養(うしかい)です。
私の父方の姓が岡田を支配していた岡田であり、ドンピシャな附合に、今更ながら驚きつつ、小説の中では、岡田という地名は今は無いと書かれていますが、琴平線の駅に岡田という駅が残っている事だけが唯一の祖先の証であることは身内から確認しています。

奈良東大寺の学び舎で学び、段々と衰退する奈良の都。長岡京を造った桓武天皇、そして乙訓寺に入る空海の履歴を辿ってきた私自身、東大寺講堂跡から二月堂を結ぶ小路を歩くと、自分が小僧になった気分になり、わくわくと魂が震える感覚になるのは、やはり、祖先の魂の記憶が身体に宿っている証拠であることが確信的に思えるのです。

奇才が故に、求めることを形にしていこうとしていった空海の業は、枠にはまらない壮大なものであったわけで、それを高野山で成したことは、改めて日本人のアイデンティティの素なっていることは、間違いなさそうです。

ただ今「横浜そごう美術館」にて「司馬遼太郎展」が開催されています。
歴史の深い場所に行くときには、軽く「街道をゆく」シリーズに目を通したりします。
司馬遼太郎の記したものも、日本の宝物の一つでありましょう。
歴史好きにはタマラナイ展覧会。
歴史好きとご一緒しないと、怪しい独り言のおばさんになりそうです(笑)


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