五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

もがりの森

2009年06月19日 | 第2章 五感と体感
「亡くなった人が自分が亡くなったということを意識していない場合もある」というセリフが印象的だった映画シックスセンス。

亡くなった人と遺された人との魂の交わりが描かれたサイコセラピーの映画だと解釈しています。
これは、普遍的な愛の物語ではありますが、日本人の描いたものではありません。

ようやく「もがりの森」を観ました。

日本の映画に限らず、死者との対話をテーマにしたものはたくさんあります。

今回観た「もがりの森」は、‘ストーリー,というよりも大切な人の死による自己の感情のプロセス、つまり、もがりの時間を映画観賞者とともに過ごす‘映像,とも云ええるのではないか?と思いました。

‘もがり,とは、敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間。または、その場所の意、だそうです。

里山。茶畑。そして、山深い場所。森。立ち木枯れの杉。

人を弔うための風習。

森の中を歩いているのは、自分なのだ、という錯覚に陥る監督の意図。
カンヌ映画祭で主演女優賞を取った主人公の感情移入。
喜怒哀楽のわからないあいまいな玉虫色の表情から変化していく浄化への経過。

ほとんど無いに等しいセリフが、登場人物の行動を「穢れのないもの」「言いわけのないもの」という表現をより効果的に表しています。

日本の奈良を舞台に描いたもがりの森。
古事記や日本書紀、仏教以前の、もっともっと人の精神と自然、そして死が混在
していた時代に戻ろうとする人の無意識が森を歩ませます。内在する答えが自分の内に降りてくるまで、歩いて歩いて歩き通すのです。

森の中でふつふつとわき出す喜怒哀楽を見ている私たちも同じように経験していきます。

もがりの時。魂と対話するとき、そこに必要なのは、感じる感性だけで充分なのでしょう。

感性は、解釈をし、解決に至らす。

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