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五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

フツーの生活

2008年04月09日 | 第3章 無意識の世界
アートランドの勉強会。
日ノ出町界隈、大岡川の桜はすっかり散り、葉がずいぶん出てきました。川沿いの提灯もなんだかむなしく感じた今日の桜の風景です。

「私にとってのフツーの生活って何だろう、???」

「可もなく不可もなく、平平凡凡に過ごすのが人の幸せ、」などとよく口にしたりします。
けれども、その平平凡凡が、ままならぬ事態に陥るのが世の常、人の常。

だからこそ、平平凡凡が理想となったりするのかもしれません。

しかし、しかし、です・・・
「あなたのフツーの生活って何?どんな生活?」
と問うと、結構自分とは違う「フツーの概念」を耳にすることとなるのです。

自分の理想と現実がかけ離れるほど、人は不安に陥ると云います。

子供のころ、隣の家族が恨めしく見えたり、テレビのドラマに憧れたり、そのたびごとに、「家はフツーじゃない」と思ったりしたものです。
私のフツーは、他人にとってフツーとは云えません。

そんなことを思いながら、勉強会の時間が過ぎ、
今一度、自分の「普通」と「理想」の相互関係を考え直してみようと思いました。


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比較と否定と理性

2008年03月27日 | 第3章 無意識の世界
歴史上の人物であなたが尊敬する人は?

と問われたら、私は「ガンジー」と「マザーテレサ」と「南方熊楠」と答えています。「ガンジー」と「南方熊楠」に関しては、学生の頃から変わりません。

少数民族が他国に支配され、その民族の大半のアイデンティティとなっている宗教を否定され、ほかの思想を強要されるという残酷な現実に、深い悲しみを感じています。
その私の悲しい気持から頭に浮かぶ人物は上記三人。

人類誕生以来、繰り返し行われているこの出来事。この現実をくり返しながら人類は移動して新たな土地に定着していきました。

これが、人間のDNAに組み込まれた仕組みの一つなのかと思うと、何のために人はなぜ「自由意思」を与えられたのかな、と思います。

自由意思を与えられているからこそ、人は自分を守ろうと必死になります。

でも、その「守り」をしなくては、自分はすぐに絶えてしまいます。

「自由と平等と博愛」この理念は、フリーメイソンの理念であると聞いたことがあります。

この理念を守るためには、責任感と多少の教養とお金、そして理性が必要となっていうるように思っています。

自由にのびのびと、平安感を求めて暮らすには、背筋をのばして、お腹を引っ込め、自分を律し、緊張感を持ちながら暮らす覚悟も必要です。

平和構築のための理念を貫き通すことは、そうそう簡単なことではないようです。

相手を知り、簡単に否定せず、義理人情を欠くことなく、自分の意見をきちっと伝えられる人になりたいと思いつつ、現状では、とてもとても・・・・。

目指すばかりで生涯終えそうですが、でも、意識はしていたいと思うわけです。


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ギリシャ神話と心理療法

2008年02月20日 | 第3章 無意識の世界
生き甲斐の心理学教育普及活動をしながら、日々の学びは当然生涯のものです。
その中で宗教心理学という分野があります。この一年間、ギリシャ神話と人の感情の関係性を学んできました。というより、ようやく門の前に立ったくらいの程度です。

ギリシャ神話の神々は、倫理道徳とか常識とかが通用しません。
感情の湧き出るまま、自由に天空を駆け巡ります。

学びの中心は、ゼウスと関係した女性、そして生まれた多くの子供たち。
ゼウスは、ありとあらゆる性質の女性を愛します。
人の感情がひとつひとつそれらの女性に当てはまることが興味深く、自己分析は苦しいものがありますが、神話の女性を学ぶほうが、他人事で語ることができるので、ブレーントーミングが、一層盛り上がるのです。

昨日の勉強会のお題は「アルクメネと子のヘラクレス」。そして、その物語から私たちが見えてきた感情は「嫉妬」です。

先生曰く、
「あなたは嫉妬によって身を滅ぼしたことがありますか?」

その問いをめぐり、幼いころの兄弟関係、親子関係、学校での成績、職場での同僚との関係、大学でのポジション争い、、、「私は嫉妬なんて。。。。」と思っていたら大間違い。出てくる出てくる。小さなことから大きなことまで・・・

不安な感情と、嫉妬の感情、自分の内から湧き出てくる感情は、それらをの思索をくり返しながら、とどのつまり、自己愛の問題に突き当たるように思います。

防衛機制という心の壁を取っ払ってみると、ギリシャ神話の女神が自分の中にたくさんいるのがよくよく見えてくるのです。

そんな視点から、ギリシャ神話を楽しんでみるのはいかがでしょう?
自分の気持ちを代弁してくれている神々に出合うかもしれません。

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感情の流れ

2007年10月13日 | 第3章 無意識の世界
「感情の流れは川の流れと一緒」
そう思ったのは、ガンジス川のほとりに座った若かりし頃。

人には見えない感情の流れ。思い。そして行動。
自分にも見えない無意識の感情。思い。そして行動。
ガンジスの流れは、未熟で子供な私にそれを気づかせてくれました。

瞬時に変わりゆく自己の感情は、自分を取り巻く環境の変化に比例します。

先日、近所のお寺の≪今月の言葉≫に「好きな人とは、自分に都合の良い人である。嫌いな人とは、自分に都合の悪い人である。」と書いてありました。

どっきりする一言でした。そして、ふとガンジスの流れが蘇りました。

そうなのです。人の感情は一喜一憂。
昨日まで好きと思っていた人が明日には自分にとって悪人になっていることは、私にも経験があります。

子供の頃は、親がその対象になりやすかったように思います。
「可愛い可愛い」とばかり言われ続けて育つ人は、そういないでしょう。
時には、怒られたり、注意されたり。そんなことがあった日には、心底親が嫌いになったりしていました。

都合の良い。
都合の悪い。

自分にとっての「都合」とは、どんなことなのか。ちょっと考えてみたくなりました。

心を鎮めて思うには、都合の良い時の感情は、自分の平安感や統御感、幸福感から湧き上がってきます。
そして、都合の悪い時の感情は、不安や怒りです。どうもその中には嫉妬やコンプレックスが入り混じっているようです。

少なくとも、自己の「感情表現」が原因で、人のはしごを外すようなことだけはしたくないと思うのでした。
日々変わる自分の感情の流れを見つめながら、「自分の都合」も意識していきたいものです。

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憧れ

2007年09月11日 | 第3章 無意識の世界
何を求めて生きるか。

何を大切にして生きるか。

生を受けた瞬間から現在に至るまでの経験が、自分の体内の無意識から意識へと変換された瞬間を感じ取った三日間を体験しました。

それは夏の始まりに、ある観想修道会の儀式に招待を受けたことから始まったように思います。

生涯、その聖堂に足を踏み入れることは出来ないだろう、という思いと同時に、きっとその機会は訪れるだろう、という確信に満ちた期待が自分のイメージの中に共存しながら、ずっとずっと待ち続けていました。
35年前にその修道会で求めた十字架は、誰にも祝別されることなく、ずっと私の懐にしまわれていました。

(子供心にその十字架に惹かれ求めた話は以前、ブログに書きました。)

幼い頃に、祖父のアトリエで感じ取った「柱のようなもの」。神社の銀杏の木の下に佇み、機織り工場の音が響く中、そこから見えてきた「何か尊いもの」。
どれもこれも、私が生きるために必要なツールでした。

聖堂に座り、船越桂氏の作品、サルベの聖母像を見上げました。
その作品に出会うことは、私の「憧れ」。

1977年につくられた聖母。
船越桂氏も、まだまだお若い時でありましょう。
若さであるからこそ、表現し得たもの。
その聖母から、母性というよりも、処女性の強さを感じました。
若葉の香りというか、カモミールの香り、と表現するのが相応しいかもしれません。

青々しい香りの聖母が、イエスを抱き、音無く姿を顕わすのです。
とても静かです。

「自分の尊い命を 生涯その修道会に捧げる儀式」

戒律の生活。確かに厳しいでしょう。
私自身、式に臨むまで、かなりの緊張感がありました。
ところが、そこから見えてきたものは、生身の人間が醸し出す、「愛」そのものでした。
柱に殉じ、祈り、働き、学び、日々を繰り返すことは、自己の内を広げるための大きな役割を果たし、きっと修道者の方々の喜怒哀楽の豊かさは、多分私の想像を超えるものではないでしょうか。

・・・内なる内は外である・・・

内なるもの、本当に求めたいもの、本当に大切にしたいもの、それらを見据えると宇宙のように広がる外へと開放されていくのを感じます。

それは、言葉で表すならば、「愛」の一言かもしれません。
それ以外、思い浮かびません。

そして、ありがたいことに、35年前に求めた十字架は、ついに祝福を受けることとなりました。

人生における体験や解釈、そして想いの「パズル」が綺麗に繋がり納まる出来事は、やはり、憧れ、求め、大切に思い続けると、叶うようになっているのかもしれません。
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愛の原型って何?

2007年08月01日 | 第3章 無意識の世界
「食べてしまいたいほど愛おしい」

子供の頃、母と眠る時に、頬とか腕とか、お腹をくすぐられて、「美味しそうだから食べちゃおう~」と言われてくすぐられて、「ひゃひゃひゃひゃぁ~、、、」と喜び戯れながら眠ったことがふと遠い記憶から蘇ってきました。

妹が生まれてからは、一人部屋で寝かされ、お化けを想像しながら怖い夜をおくったことの方が鮮明に記憶に残っています。
あまりの怖さに、一人で一階の奥にあるお手洗いに行く時は、大き断ち鋏を両手で持ち、バチバチしながら歩いたものです。
そうはいっても、天井の節穴を眺めながら、カタチを想像し、いろいろな物語を作るのも私の楽しみでもありました。

無口な子供は、小さな頭で、想像を張り巡らしながら、心地良い自分のカタチを求めながら、喋ったり泣いたりして感情表現する以上に、何かを観ていたようです。
それに加え、幼い頃に、両極端な気候風土の土地を経験した私のよりどころは、二階の大きな和室の何も入っていない押入れの中でした。暗闇の中で膝を抱えてじっとしていると、不安や悲しみが、溶けていくような感じになるのです。何が正しいのか、何が間違っているのか、その自分の選択は、自分以外にはあり得ない、と、そこで感じ取ったようです。

そういえば、よく母に「ほら、また眉間に皺よせてる!」と言われていました。

「愛の原型」
それは、幼い頃、個人が愛された確かな経験のことを云います。
そして、この「愛の原型」は、個人の人生の選択や個性の持つ特有の傾向に大きな意味をもたらしていくのです。

「食べてしまいたい~」と云われて育った私の愛の原型は、その後の私の傾向や考え方にも大いに役立っているようです。
「愛されること」「愛すること」
それらをもう一度、振り返ってみるのもよいかもしれません。

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雑誌インタビュー

2007年05月27日 | 第3章 無意識の世界
介護・福祉の某雑誌インタビューを受け、6月号に掲載されました。
勿論、校閲を経ての掲載です。

初めての経験でしたが、聞き手の編集者の方が上手に個性を引き出してくださり、のびのびと語ることができました。

この「のびのび」が私の「性格または傾向」でもあるのですが、実にのびのび語っているのです。さすがに語ったことが記事となるとこの「のびのび談義」が自分の長所でもあり短所でもある、と嫌でも感じ取ることができるわけで、苦笑いしながら改めて記事を読みました。

話すことは、話したことに対しての責任が生じますが、同時に頭の中の整理も実現できます。話したことを文章にすると尚更明確になります。
初のインタビュー、反省も多いですが、心と言葉が限りなく一致していることに関しては、満足しています。

「生き甲斐の心理学」教育普及活動は、「身近な方々から」をモットーに、地道に活動しています。今後共、私達の活動の応援を宜しくお願い致します。

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水田という風景

2007年05月13日 | 第3章 無意識の世界
月に一度、大阪に行く用事ができました。
新横浜から新幹線に乗り、「のぞみ」ならば大阪まで2時間半の旅となります。

新幹線が開通して2、3年後に福井に住んだおかげで、東京の両親の実家に里帰りする交通手段は、米原から乗るあこがれの新幹線でした。

幼稚園に通っていた頃。

何故か、母の一番のお気に入りのワンピースを着せられ、白いタイツに黒いエナメルの靴をはかされ、新幹線に乗っていた記憶が鮮明にあります。その頃は、喋ることが苦手な無口な子供でしたので、車窓から眺める景色をひたすら堪能し、色々なとを想像しながら乗っていたのだと思います。

時代の流れを無意識に眺めながら車窓からの景色をみているのかと思うと、不思議な時空にいるような気になってきます。

そんな風景の中で、楽しみにしてるもの。それは、水田です。
基本的にひたすら平地を走っているので、水田が目に飛び込んでくるのです。
3月あたりは、乾いた田んぼが、そのままになっていて、4月は、蓮華草や菜の花が美しく広がり、そして5月の連休明けは、田んぼに水が引かれ、稲の植わっているところもありました。五月晴れの空が水田の水に映り、今までの土の風景から水の風景に変わるのです。そして、そこに日本人の清潔感を感じる私が居ます。田んぼは常に人の気配を感じさせます。住まう人々の働く姿を想像すると、なんて美しいのだろう、と思います。
人が定住する人里は、生きるための習慣が生まれ、風習がより暮しを豊かにしていきます。

白いお米。
私にとって こんな美味しいものは他にありません。

いまでは、一般的に特別な乗り物という感覚ではなく、関西まで簡単に日帰りできる便利な乗り物となってしまった新幹線。帰路の車中、おにぎりをほおばりながらそんなことを思いました。


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生き甲斐

2007年04月28日 | 第3章 無意識の世界
あなたの生き甲斐は何ですか?

こんな質問を真顔でされたことはありますか?

私はNPOの活動とカウンセリング通信教育の仕事を通して出会った方々に何気なく問いかけています。

とはいいつつも
私自身、この質問に「明確な答えを」返すことはできません。

「生き甲斐」とは、自分の生きる方向の道しるべでもあるように思っています。
暮しの中でふと感じる幸福感から辿っていくと、なんとなく自分の生き甲斐が見えてくるような気もします。

人類65億の個性全てに出合うことは不可能ですが、今日初めて出会った人々との個性の出合いはあります。
互いの違いを知り、それを受け容れること。
そして、自分自身との出合いと受容。

その人にしか出合えない経験をして人は生きています。それを尊重し、愛することが本当にできて初めて、「私は人のために仕事をしている」と胸を張って云えるのかもしれません。

私自身、まだまだ「自分のため」に生きるのが精一杯のようです。

私の生き甲斐は、猪突猛進して走るおっちょこちょいの私を陰で支えてくださる多くの方々の愛をしみじみ感じ取ることでしょうか。

1週間後、また違うことを言い出すかもしれませんが、これが人の感情の成せる技だと思います。
内なる自分の見方を変えて、時々立ち止まると、新しい風が吹いてくるかもしれません。


「生き甲斐の心理学」
この言葉をはじめて耳にされた方は、私のブログの横にあるブログリストをクリックして是非読んでみてください。


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生き抜くこと

2007年03月18日 | 第3章 無意識の世界
今日、一駅だけ目の見えないAさんと時間を共にしました。
私の腕に自分の身体を委ねるAさんから生き抜く美しさを頂きました。
人を信じることは、こんな小さな出来事から始まります。

幼い頃から、黙って大人の横に座り、静かに会話に耳を傾ける傾向があった私は、大人になってもその傾向が抜けず、実に多くの人々の生き抜いて来た話を聞いてきました。

「自分はどうやってここまで生き延びて来たか」
この内容を人によっては、親族に耳にたこが出来るほど聞かせる方もいるでしょうが、これは、話して確認したい本人の情動の強さなんだと思っています。

釧路湿原の風景絵を描くことで、シベリアの抑留時代を想い返している方がいました。かつて中国で諜報員として活躍した方です。彼は何十年も同じ風景を描き続け亡くなっていきました。中国に潜入してた頃、あるパーティで自分の目の前に「ドン」と日本酒が置かれたことがあったそうです。瞬時に覚悟したそうですが、動揺を見せず切り抜けたそうです。その話しを家族に話したかどうかわかりませんが、私はNOだと思っています。
単調な色使いに、淡々と描く湿原は、私の心にいつも寂しく写り、いつしかSさん本人に興味を抱くようになりました。私の祖父から絵を学び、公募展が開かれると必ずSさんのいらっしゃる日に伺い、控え室で、Sさんがタバコを燻らすのを黙って眺めます。

いつしか、とつとつと話しをしてくださるようになりました。

生き抜いてきた話を聞くことは、尊い命を守り抜いてきたその人の精神を見ることに通じます。

東欧のある国の思想がいくつかに分かれ、そこで生き抜けないと覚悟したKさんは、高熱をおしてドロミテ渓谷を越え、イタリアに逃げた経験を持っています。
生死に関わる緊迫した状態で見た渓谷は、望みの無い苦しみではなく歓びの美しい風景だった、とおっしゃいました。

その語りから「信念は、信じることから生まれるし、信じることは信念を生む。」と肌で感じました。

美しい、という概念は人それぞれです。

私が真から美しいと感じるのは、生き抜こうとする人の姿です。
どんなかたちでも生き抜く事を優先すると、扉が見えてくるようです。

取っ手を握り、扉を開ける歓びを私は生涯何度体験できるでしょうか。

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お水取りの松明

2007年03月12日 | 第3章 無意識の世界
関西の人々は、「お水取りが終わると春が来る」と口々に云います。
いつかはその時期に訪れたいと思い続け、ようやく念願が叶いました。

3月1日から2週間続く本行。正確には修ニ会(しゅにえ)と云います。
人の持つ「むさぼり、怒り、愚痴」の三毒によっての様々な罪を懺悔し、清浄な身心を得ることによって、災いを取り除き幸福を招くための行です。
簡単に云いますと、「人々の幸福を願う行事がお水取り」なのです。

10日、小雨がぱらつく中、東大寺の二月堂前で19時から始まる松明(たいまつ)の行を1時間ほど待ちました。
数時間前から火の粉を浴びる位置を陣取り日が暮れるのを待つ人、二月堂を遠めに眺め雑踏から離れて眺める人、それぞれです。
私たちは是非近くで見たいと願い、二月堂を間近に見上げることの出来る場所を確保することができました。始まる30分前には身動きが出来なるくらいの混雑ぶりです。
そうはいっても、松明を待つ大勢の人に苛立ちは無く、静かに時を待つ。そんな感じです。

いよいよ、
夕暮れが闇に変わり、七時の梵鐘とともに、お堂の明かりがいっせいに消されます。
皆息を殺して、音を待ちます。

暫くたつと、長い竹の枝の松明を持った練行衆が一人階段を駆け昇る音が聞こえてきました。そしてその松明を掲げ二月堂の角に立ちます。そこで燃える炎を安定させるように松明をゆすります。すると火の粉が大きく散ります。

大きなどよめき。大きな歓声。

「揺れる大きな炎は、魂で、生命の源だ」
初めて目の当たりにする松明の炎に、そういう想いが湧き上がりました。

「火は、生命の躍動を投影するもので、私の命もこのように躍動しているのかもしれない。」

意識せずして涙が流れ落ちていることに気付きました。
炎が舞い上がり、火の粉が大きく散る毎に、ため息と感嘆がどよめきとなり、人の声の渦となるのです。

自己と炎の姿を重ね合わせると、瞬間のうちに溜めた心を浄化されていくように感じます。不思議な浄化作用です。

松明の炎。
もう少し、思い巡らし、静かに自分を見つめたい、今はそんな想いです。


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黒の奥行き

2007年01月27日 | 第3章 無意識の世界
20数年前、ニューヨークに住む従姉妹の家に3ヶ月居候し、マンハッタン中を歩き回り、美術、映画、劇場を見尽くした経験があります。
20代前半の頃です。

20代の方にとりましたら、そんな昔、とお思いでしょうが、この年齢になってくると、昔のことが表裏一体のように瞬間的に思い出し、まるで昨日のことのように思えるのが不思議です。
歳を重ねる毎に物忘れもひどくなり、痴呆になると、瞬間的に本当に5歳の自分にになったり、20歳の自分になったりする現象が起きることが、なんだかわかるような気がします。

さて、本題。

20数年前。現代美術が、面白くなってきたころです。作家のスケールも壮大なプロジクトで行なわれるようになり、美術に興味がない人でも、普段の生活の中で目にすることができるようになったのもその頃からだと認識しています。

マンハッタンのお隣、クィーンズの倉庫が建ち並ぶ街に、廃校となった学校があり、それに目をつけたプロデューサーが、世界中から、各国で活躍する現代美術家を呼び、そこをアトリエにして、数ヶ月~数年の単位で活動していただく。
そこに従姉妹と訪れた時の話です。
廃校の中をぶらぶら歩き、それぞれの広い教室で、作品を手がけている作家を眺めていました。

廊下からアトリエを覗くと、黙々と描いている作家が見えました。

アトリエが、美術館のような、設定になっているので、作家とのコミュニケーションも自由気ままでにできます。

中にはいるなり、真っ黒の画面が、私を飲みこむように迫ってきたのです。
「本当の黒」、瞬間的にそう思いました。衝撃的でした。
重ねたその先は見えないけれど、黒を重ねたその奥行きは底無しのように深い・・・。

墨絵の黒には幅があり、奥行きには時間と空気を感じます。

彼の作品をひとたび見ると、その余裕は許されません。素粒子の狭間も許さない、そんな体感に、鳥肌が立ち、身震いをしました。
そして、観た私の感情の怖さと同時に、観続けると見えてくる「見えない柱」に感動する情動が湧き上がってきたのです。素晴らしい表現力に二度の、鳥肌。

(西)ドイツ人のアーティスト、キーファーとの出合いでした。

それから、数年後、ベルリンの壁が崩壊。

作品のイメージとはまったく違う、穏やかな目をした方。
「僕は、ベルリン中心にいろんな国で、回顧展してるんだよ」みせられた本は、立派な作品集でした。

日本に帰国し、彼が注目されている有名な現代美術家だと改めて知りました。

ちなみに、キーファーが描いていた「黒」は、コールタール。
素材は無限です。表現も無限です。

若い頃受けた五感は、無意識に私の方向付けをします。

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