Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Asian Cup それから…. 開催国カタール

2011-02-06 | Football Asia

日本の4度目の大会制覇で幕を閉じた Asian Cup 2011。
今大会は中東勢が1カ国も準決勝に残れなかった。その原因は色々挙げられているがかつて湾岸諸国、西アジア諸国に対抗出来たそれ以外の国は韓国でしかなく1990年代に入りようやく日本がそして2006年オーストラリアが AFC に加盟し西アジア、アラブ諸国勢力一辺倒から勢力図が書き換えられる様になってきた。
中国は1988年のソウル五輪では“東アジア地区”での予選を最後は日本を破って出場を果たしたので本当に西アジア諸国を破っての予選突破となると2002年のワールドカップの時くらいだ。
今回23年振りに Asian Cup ホスト国となったカタールは11年後のワールドカップ開催国。大会運営ぶりも注目されたと思う。 実際に現地に行っていないので詳細は解らないが改善の余地はまだまだあったらしい….

カタールは Football が出来る事を証明した。 1月22日 日本戦を終えて….

ワールドカップへのチェック、スタジアム計画。それらは済んだ。今やカタールはピッチの外でも共に壮大な計画を共有するサッカー代表チームを携えている…
カタール代表チームはFIFAランクで76位も上回る日本を相手に2度のリードを奪いながらもわくわくする様な準々決勝戦で敗れた。Al Gharafa 競技場に集まった約20,000人のカタールサポーター達は絶え間なくカタール代表に声援を送り続けたが終了直前の Masahiko Inoha の得点により10人の日本代表が 3-2 で勝利を収め準決勝進出を果たした。

我々は世界中にカタールチームが Football が出来る事を見せる事が出来た。 日本選手達のリアクションをみて彼らにとってこの試合がどれだけ難しかったかが解る。 もし良いチームを相手にしたのでなければ、2度もワールドカップで成功したチーム( 2002年大会と2010年大会の事か??) で成功したしームがあんなに喜んだりはしないだろう。“ 試合後 Bruno Metsu カタール代表監督は語った。

カタールは Asian Cup に感銘を受けた…
1月24日 準決勝進出戦を前に 1月24日、準決勝戦を前に Mohamed Bin Hammam AFC 会長はカタール主催の Asian Cup を賞賛しこの経験は2022年に当地で開催されるワールドカップへの良い予兆をなると語った。

“大会運営は非常によく準備されている。2022年まで12年(実際は11年半?)あるが今大会は大変良いリハーサルとなっている。” “今大会には非常に優れたチームが参加している。少なくとも10チームは大変レベルが高い。 ウズベキスタンは高い前評価は無かったが今や素晴らしいチームだ。それに日本、韓国、オーストラリアと云ったアジアでもトップクラスのワールドカップ出場国が残っている。
しかしカタールもよくやった。それにイラン、イラク、 ヨルダン、シリア。多くの国が良いプレーを見せた。” とこの様に語り、 Al Jazeera 紙はこのアジア大会と 2022 年ワールドカップの違いは華氏 122度 ( 摂氏50度 ) にも上るコンディションで試合を行わないと言う事でこの事に就いては今後も協議され続けるだろう。 と述べている。また今年5月に開催される今は Sepp Blatter 氏が就いているFIFA 会長選挙に就いては出馬を諦めないとも語っているらしい。アジアのレベルが上がり Asian Cup が世界でも認められる大会になる事が彼の会長になる手助けとの事だった…

この声明が地元紙に掲載されるなど発信されたのは準決勝戦が始まる前、まだ大会の全日程が終了していなかった。




決勝戦 入場出来なかった多くの人が… 

日豪対決の決勝戦が行われた裏では… 日本対オーストラリア戦の1時間前に多くの人達が競技場に入れずに騒ぎになったらしい。(日本のマスコミはあんまり伝えていないらしいけど。)
決勝戦翌日 Jassim Al Romaihi 大会運営委員長は “前日 ( 決勝戦当日 ) 競技場敷地内に入ろうとした数千人の殆どがチケットを持っていなかったと発表したが約700人はチケットを持っていたのに警備上の都合からキックオフの1時間前に入場門を閉められ競技場への入場を拒まれたらしく、大事な事はこういった事が2022年ワールドカップで再び起きない様にすることだ。我々は試合前に“早く来るように”促した。前日は警備上の都合から約3,000人の観衆が中に入れなかった。多くの人達がチケットを持っていたので問題が大きくなってしまった。チケットを持っていた人には申し訳ないと思う。この事が大会に悪印象を与えない事を願っている。 と語ったらしい。

しながら事実は異なる様でこの件に就き地元放送局 Al Jazeera には数え切れないくらいの抗議文が寄せられ Facebook, Flicker にも実情が寄せられていた。

決勝戦当日 Khalifa 競技場にいたあるボランティアによると“午後3時15分にゲートの1つが空きインド、フィリピン、パキスタンからの労働者達が競技場内に入って来て午後4時までには両方のゴール裏が満席となった。そしてまだ他のバスが待機していて午後4時半から5時の間にバスから降りて来た人達がスタンドの真ん中あたりに着席し始めた。”と語っていたらしい。
大会の観客の入りは比較的乏しく、世界に中継される決勝戦を満席にするだけでなく当日観戦に来た Sepp Blatter FIFA 会長への“デモンストレーション目的”も考えられ、空席を避ける為に海外労働者を動員したのだがそれが裏目に出た様だ。

Jassim Al Romaihi 運営委員長はチケットを持っていない人達がグランドに入ろうとした、とこの事実を認めていないが、前出のボランティアは

“外にいて入れなかった人達はみなチケットを持っていた。彼らはそのチケットを手に持って訴えていた。 競技場内に入れられた人達はみな風船や旗を持って本当のファンの様に自らを装っていた。”

と語ったチケットを持っていながらん入場を拒絶された人達の中にはこの試合を見ようと地球を半周してやってきた人もいたらしい。 チケット代金は払い戻されるそうだが Al Jazeera 紙に寄せられたコメントはそんなことで済まされないと言うコメントばかり。
“払い戻し? そんなのは忘れるべきだ。 大変な目にあった人達はどうするんだ。”  “失望感まで払い戻しできない。 無作法で冷淡な警備員が肩をすくめたり、せせら笑っていた事をどうやって払い戻せるのだ?” 
“私は100人くらいの人達と共に次々に別のゲートに案内された。グループの中には女性も子供もいた。” “警官達は普通の人達をフーリガンに見立てた。かれらこそ危険で無責任だ。”

日本が優勝を飾った決勝戦の裏側ではこんな悲劇が起こっていた。
100% 大会当局の責任者達は罪の意識を感じていないだろう。それに被害者達の為に再試合等出来ないので救済処置は事実上ないわけだ。

チケットがあって入れない…

思い出すのは1993年10月私がルーマニアに行った時だ。ワールドカップ予選のルーマニア対ベルギーの試合があるので現地事務所の人がチケットを手配してくれた。 試合開始30分ほど前に競技場に着いたのだけど多くの人達が中に入れない。そしてみんなチケットを振りかかざしている。最後は遂に警官隊が物を投げた群衆に突進した。幸運にも?私は警官隊との衝突には巻き込まれなしなかったが結局あきらめてホテルで数人に現地スタッフ達とピザとビールを飲みながらテレビ中継を見ていた。
試合はルーマニアが 2-1 で勝った。 ハジ、ポペスク、ラドチョイ、ペトレスク…ルーマニア歴代最強のチームだった。ベルギーもシーフォがいて結構なゴールデンカードだった。 そしてテレビに映し出された観客席は超満員だった… ドーハの悲劇の2週間程度前だったなぁ……

もし自分が Asian Cup でこういうトラブルに巻き込まれていたら…悔しくて何をしでかすかわからない…カタールだったら牢屋にぶち込まれる様な事をしたかもなぁ…

でもこれで1つの教訓。やっぱりキックオフ前に競技場に入らないとなぁ….ここ最近キックオフの笛を競技場で聞いた事が無い、要するに遅刻を繰り返しているのだ….. でも4時間前には行けないなぁ…
2022 年のワールドカップと云わずに次の Asian Cup オーストラリア大会ではこういう事が無い様に祈る。 何しろ現場観戦を考えているのだから……




Egyptian Premier League 延期
1月27日エジプトサッカー協会は反政府デモが三日目に突入した事を鑑み Premier League の延期を決めた。
今シーズンの Egyptian Premier League は15節まで終了しており1月28日から後半戦となる第16節の試合が始まる予定であったが以降まだ再開されていない。  Ismailia と云う Premier League の試合が行われる街では数百人の一般市民と警官隊が衝突し催涙ガスが使用された他との事だった。ここを本拠地とする Ismaily は目下首位を行く Zamalek とは勝点3差の2位につけている。 2月18日にはこの両チームが直接対決の予定であったがそれまでにリーグ戦は再開できるのだろうか…




今のエジプト情勢を見て思い出すのは自分の大学時代。
当時のサダト大統領こと Muhammad Anwar al-Sādāt 氏が暗殺された事。
大学の図書館にあった英字新聞でその記事を見つけたのだけど、夥しい流血がショッキングだった。その3年前にノーベル平和賞を受賞して名前だけは知っていた。

当時はイランがアジア代表で出場した1978年ワールドカップアルゼンチン大会後にイランでイスラム革命がおこったり、1980年8月にイランイラク戦争が勃発したり、中東事情と云うよりもイスラム教を背景にした紛争が絶えまなく起こっている気がした。 大学の教授からは“こう言った事をしっかりと掌握しないと世界に出て行って仕事なんて出来ないぞ….” と言われた。
そして自分なりに勉強した。イランイラク戦争の時には米ソを初め後に侵攻を受けたクウェートまでイラクを支援していた。そしてイスラエルがイランを支援する様になり形勢が逆転して行った。 イスラエルがまだAFCに加盟してた時からワールドカップ出場権を争って両国は対戦していたからなぁ….とその当時思った…
まさか自分がその後イスラエルに行くなんて思わなかったし、ワールドカップがアジアで開催されるとも思わなかった。 




この Asian Cup を気にまた中東、イスラム事情を勉強しなおそうかなぁ….もちろんサッカーがらみで。