Mr.コンティのRising JAPAN

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ARIBA PERU は格下か???

2007-01-27 | Football 北米 南米 
韓国に敵前逃亡され、3月24日の今年最初の代表Aマッチの相手は南米のペルーにほぼ決定的だそうだ。マスコミ各社の表現を見るとこのペルーを“格下”扱いしている。本当に隔世の思いがする。

ARIIIIIIIBAAAAAAA !! PERUUUUUUUUU !! この叫び声を聞いたのは1978年ワールドカップアルゼンチン大会であった。2大会ぶりに出場を決めたこの大会でのペルーは1次リーグではオランダ、スコットランドそしてイランと第4組に入れられた。大会前の予想ではクライフ抜きとは言えオランダはシード国。もう一つの2次リーグ進出をスコットランドとペルーが争うと見られていた。しかし、スコットランドの優位をささやく専門家が多かった。16カ国しかワールドカップ出場枠が無かった当時、欧州第11
組1位のハンガリーと南米最終予選3位のボリビアとの直接対決の勝者に出場枠1つが与えられた。ボリビアは南米1次予選では当時常連であったウルグアイを破っての2次予選、プレーオフ進出であったが、このプレーオフでハンガリーがホーム 6-0 アウェー 3-2 と連勝した事から欧州では“ブラジル、アルゼンチン以外は格が落ちる”との見方があった。
そして当時のスコットランドは非常にタレント揃いでジョー・ジョーダン、マーティン・バッカンの Manchester United 勢、Liverpool の グレアム・スーネス、ケニー・ダルグリッシュそしてケネズ・バーンズ、ジョン・ロバートソンそして伝説のゴールを決めたアーチー・ゲミルらが Nottingham Forest の所属と欧州でもトップクラスのクラブの中心選手にスコットランド選手が並んでいた。
このスコットランド、ペルーの両国は1次リーグの初戦で激突した。開始15分にジョーダンが先制ゴールを上げるとスコットランドが主導権を握る。しかし、スコットランドはチャンスをものに出来なず43分にペルーのクエトに同点ゴールを許す。それでも後半17分にPKを得て追加点のチャンスを掴むがそこに立ちはだかったのはアルゼンチンからの帰化人GKキローガ。ドナルド・マッスンのPKを弾き出し絶対絶命のピンチを凌ぐと70分にはクビジャスが強烈なミドルを叩き込み逆転。76分にはまたもクビジャスがFKを直接決めて 3-1 とスコットランドを粉砕した。2得点のテオフィロ=クビジャスは前回ペルーがワールドカップに進出した1970年大会にも全ての試合に出場。1次リーグでは ブルガリア戦 ( 3-1 1得点 ) ,モロッコ戦 ( 3-0 2得点 ) 西ドイツ戦( 1-3 1得点 ) と大活躍で準々決勝に導いた。続くブラジル戦では 2-4 と敗れるもののここでも1得点を決め、この大会で全試合に渡り合計5ゴールを決めた“ペルーのペレ”と呼ばれた伝説の選手だ。
敗れたスコットランドはこの試合でグレアム=スーネスを使わず、他に明らかにフィットしていない選手を使った事で地元のマスコミはアリステア・マクロード監督批判が勃発。しかも、試合後はエースのウィリー・ジョンストンが薬物検査で陽性反応が出て失格処分に、続くイラン戦を1-1 で引分けずるずると空中分解に。
この試合で勢い付いたペルーは続くオランダ戦を 0-0 で引分け、1次リーグ最終戦のイラン戦では開始2分にベラスケスが先制するとクビジャスがハットトリック(うち2本はPK)を遂げ 4-1 でイランを圧倒。グループ首位で2次リーグに進んだ。しかし、2次リーグでは1次リーグで得点不足に悩まされたブラジルに 0-3 で完敗すると続くポーランド戦ではシャルマッフのヘディングに沈み、最後のロサリオでのアルゼンチン戦は 0-6 で粉砕され2次リーグは無得点12失点で終えた。しかし、8年前に続くベスト8進出は落胆させられる結果ではなかった。この大会でのペルーにはクビジャスの他に1970年大会でのレギュラー、チュンピタス。そしてボールテクニックの高いムニャンテらハイレベルの選手が揃っていた。しかしこれがペルーの世界での最後の栄光かもしれない。
続くスペイン大会でもウルグアイを破って南米予選を突破するが、カメルーン( 0-0 ) イタリア ( 1-1 ) ポーランド ( 5-1 ) と勝ち星を挙げられず1次リーグで帰国をする事に。クビジャスも3試合に出場したがノーゴールに終わった。この大会もあのアルゼンチン戦で6失点の喫したキローガがゴールを守っていた。他にも前大会経験者が合計9名もいたが、これ以降タレントが枯渇してしまったかのごとく、出場枠が拡がったにもかかわらず南米予選を突破できない。
1999年、日本が特別招待された COPA AMERICA の初戦でペルーと当たり 2-3 で敗れた事を記憶されている方も多いと思うが、その他のペルーの事で目立ったのは日系のフジモリ氏が大統領になったことと、そのフジモリ政権に反発する左翼ゲリラの日本大使館占拠事件程度か?
ワールドカップドイツ大会予選ではついにCONMEBOLではアウトサイダーと言われ続けていたベネズエラにホームで 0-0 アウェーで 1-4 と完敗し、9位に終わり最下位(ボリビア)を免れるのがやっとであった。 
そのチームにはPSV Eindhoven のジェフェルソン・ファルファン、Bayern Münchenのクラウディオ・ピサーロ、HSV Hamburg のホセ・パオロ・ゲレーロ、Newcastle のノルベルト・ソラーノそしてアンドレス・メンドーサ(昨シーズンまで Olympique de Marselle 今季の移籍先を誰か教えてください。)らがいたが3月24日の日本戦には彼ら(数少ない)欧州のトップリーグで活躍する選手達がやってくるだろうか??? 

1970年代後半にはブラジル、アルゼンチンに次いでウルグアイを抑えて3番手に着けた事もある強豪のペルーが30年経って日本から“格下”扱いされている事に月日の流れを感じる。それは逆に1982年ペルーで行われた女子バレーボールの世界選手権2次リーグで日本を破り(この時の日本は既に準決勝進出を決めていた)その6年後のソウル五輪準決勝でも大接戦の末、日本女子を破ったペルー女子バレーボールを育てた加藤明氏が天国で思った事と同じ思いを私はしているのかも知れない。 しかしオシム監督が言う様にペルーを格下扱いできるのかな??????とも思うが….


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2 コメント

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ペルー (まゆ)
2007-01-30 14:13:38
コメント、TBありがとうございました!!
ランクだけで格下格下言うのは失礼な気が
しますよね(笑)
ていうか格下って言う言葉が失礼・・・!?
でもオシムさんは厳しい目を持っているので
マスコミには踊らされませんね。
私はサッカー歴が短いのでペルーについては
よくわからないのですが、
オシムジャパン初めての欧州組招集などもあると思うので
なにげに楽しみです!!
ペルーについては、というよりペルーについても、
の間違いでした(笑)
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両国とも欧州組召集を (Mr.コンティ)
2007-01-31 09:19:51
まゆ様 コメント有難う御座います。70年代、全盛期のペルーの破壊力を今だに憶えているので、彼らがマスコミに”格下扱い”されていることでさえ、隔世の思いは否めません。この30年間で日本がそれだけ強くなったのとペルーが弱くなった結果でしょう。 FIFA ランクなどあてにはした事は無いですが、両国共に欧州でプレーする選手が召集できてベストメンバーで試合が出来れがお互いにとって実りのあるゲームとなると思います。 一ついえることは日本もこの30年間でペルーに相手にしてもらえるだけの進歩があったと言うことでしょう。
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