Mr.コンティのRising JAPAN

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Play Back 1981 日本シリーズ Part 2

2009-10-31 | プロ野球

エースの復活と左殺しで2勝2敗に

日本ハム 000 100 010 2  江川1勝
巨   人 001010 60x  8 成田1敗

平田1号(木田) 柏原2号( 江川 ) 河埜1号 ( 成田 ) 原1号 ( 杉山 )

ジャイアンツは中3日で江川が先発。日本ハムは前年新人ながら完投19 勝率 .733 投球回数 253回 奪三振 225 防御率 2.28 そして最多勝利22勝を挙げた左腕投手の木田勇。もちろん文句なしの新人王。しかしこの年は勝利数が半分の10勝に終わる等2年目の壁に悩んでいた。そして以降各球団の徹底的なマークにあい木田が二桁勝利を挙げるシーズンはなかった。
ジャイアンツは木田先発を見越して不振の篠塚をスタメンから外し、左殺しの平田がスタメン。初回その平田が早速ヒットで出塁し満塁のチャンスが訪れるがホワイトが併殺打に打ち取られ先制のチャンスを逃す。しかし3回には平田が木田からレフトオーバーの先制本塁打を放つ。 木田は4回5与四球とチームにリズムを与えられない投球内容で1失点ながら4回でマウンドを降りた。
一方江川は初戦で本塁打を喫したソレイタを三振に討取るなど3回まで1四球の好スタート。しかし4回に柏原に同点ソロ本塁打を浴びる。 柏原はこの日江川から本塁打を含む3安打。初戦でも江川から本塁打と2塁打を放っていた。しかし江川は柏原以外は良く抑え、特にソレイタは4打席2三振に抑え初戦の雪辱を晴らした。
同点に追い付かれたジャイアンツは5回河埜が2番手成田から勝ち越しの本塁打。7回には四球と野選で掴んだ1死満塁のチャンスから淡口の右翼越え2塁打で2者を迎え入れ、続くこの日は6番から7番に下がった原がシリーズ16打席目にして初本塁打をレフトスタンドに叩き込む。更に続いた山倉も本塁打を放ちこの回一挙6点を挙げ試合を決めてしまった。
江川は完投でシリーズ初勝利。奪三振6とシーズン中の豪快なピッチングは見せなかったが与四球が1。この日繰り出された日本ハム投手陣の与四球が9とは対照的。これでジャイアンツは再び星勘定をタイにしたがエース復活と左殺しで起用された平田が結果を出した事でシリーズの流れを掴む事になった。

打線爆発 西本完封 ジャイアンツ王手

日本ハム 000 000 000 0  西本2勝
巨   人 110 030 04x 9 高橋一三 1敗

平田2号 ( 高橋 ) 山倉2号 ( 木田 ) 篠塚1号 ( 木田 )

シリーズ5戦目ともなるとスタメンにも替ってくる。 日本ハムは前の試合まで16打数2安打と不振の2番打者高代を8番に下げ第3戦の殊勲者鍵谷を2番セカンドでスタメン。菅野がベンチスタートとなった。菅野は初戦こそ江川から3安打したが以降は無安打だった。ジャイアンツも不振の1番打者松本に替って河埜がトップに入り、左対策で中井が2番左翼でスタメン。そして平田がこの日も3番に。またV9戦士最後の生き残り柴田勲が前日に続いてトマソンに替ってこの日は6番左翼でスタメン入り。(前日は右翼)原は前日に続いて7番だった。
初回、スタメン抜擢の中井、平田の連打で先制すると2回は2塁打の山倉を置いて投手の西本がタイムリーを放つ。5回には平田がレフト越えのシリーズ2本目の本塁打を放ち尚も四球と柴田のタイムリーで追加点を挙げて高橋をKO 。初戦は好投を見せたが36歳の身体には中6日ではきつかったか?高橋一三と柴田の対戦は共にV9時代を支えた選手同士の対決で観ていて不思議に感じた。
一方の西本はこの試合が雨で順延となり中4日の登板となったが前回の登板と異なり連打を浴びる。2回には柏原の2塁打、井上のレフト前安打で1死1、3塁のピンチを招くが続く古屋の投手ゴロでフィルディングの良い西本は柏原を刺し、続いた大宮に安打を打たれるが後続の高代を併殺に打ち取るなど走者を背負っては得意のシュートが冴え、4併殺を奪いホームを踏ませない。結局13安打を打たれながら残塁11を記録させ完封でシリーズ2勝目を挙げた。
ジャイアンツは不振だった篠塚が8回に杉山から3ランホームランを放ち復活の兆しを見せるなど日本一に向けて視界が大いに開けて来た一戦となった。

江川完投で8年振りの戴冠  西本がMVP 

巨      人 032 000 100 6 江川2勝
日本ハム 000 001 020 3 間柴2敗

原2号 ( 工藤 ) 井上1号 ( 江川 ) 河埜2号 ( 岡部 )

後が無い日本ハム大沢監督は“総力戦で行く。この試合を取れば逆王手。”と試合前に話していたらしい。 2番には菅野を入れ、高代は8番に。高代はこの試合8番起用に奮起したのか3安打を記録した。先発は第二戦で最後にホワイトに逆転本塁打を打たれたとはいえ好投を見せた間柴。 
ジャイアンツはローテーション通りの定岡ではなく中3日で江川が先発。初回2死1塁でこれまで江川を8打席6安打中、2本塁打、2塁打2本と打ちこんでいた柏原を三振に打ち取るスタート。江川は柏原をこの試合では1四球を与えたが3打席無安打に抑えた。
2回のジャイアンツは先頭のホワイトが死球で出塁すると続く柴田がレフト前に何でもないフライを打ち上げる。しかし井上の突っ込みが悪くヒットにしてしまい、更に続いた原のショートへの当たりを高代がはじき(記録は内野安打)無死満塁。ここでこの日はスタメン出場(間柴が右腕投手だったので) した篠塚のタイムリーで先制。更に山倉の犠牲フライ、江川の送りバントがヒットになり相手守備の乱れからこの回3点を先制し主導権を握る。3回にはホワイトを1塁に置き原が2番手工藤からシリーズ2号本塁打を放つがホワイトの出塁は柏原のエラーによるもの。日本にシリーズで新人が2本の本塁打を放ったのは1958年のあの長嶋茂雄以来だった。
先発江川は終盤こそ疲れが出たか6回に井上の本塁打。そして8回は先頭打者の島田誠、続く菅野の連打をきっかけに2点を失うがそれ以上の失点は許さず。最終回は先頭打者の高代に2塁打を許すが後続を断ち最後は有名なシーン、五十嵐を投手フライに打ち取り開幕戦こそKO されたが以降は2勝を挙げ面目を保った。だがこの勝利が江川の最後の日本シリーズの勝利となるとは全く予想できなかった。

日本ハムはシリーズ序盤、先発投手の好投で主導権を握るかと思われたが1番島田誠が21打数4安打2四球といまいちで2番打者の高代が不振。ソレイタも第3戦以降は20打数1安打に抑えられた。そしてこの年はまだ指名代打が使えない時でこれも大きく影響した。さらにシーズン打率 .297 18本塁打 75打点のトミー・クルーズが怪我で (だったと思う) 出場できなかった事も苦戦の大きな原因となった。

シリーズMVPは2戦2勝の西本聖。ドラフト外選手の日本シリーズMVPなんて他に誰かいたかなぁ… シリーズ前に発表された“沢村賞受賞”の異議を自ら払拭した。
優秀選手賞には9打数7安打4打点の左腕キラーとして大活躍した平田薫。左腕投手以外の登板時も起用してほしかったなぁ…….そして1番、2番で起用され21打数9安打3打点の河埜と胴上げ投手になった江川の両名も優秀選手賞に。 
敢闘賞には初戦サヨナラ安打を放った井上が選ばれたが2本塁打の柏原でも良かったかと思った。 また23打数7安打2打点。第二戦で貴重な逆転2ランを放ったホワイトにも優秀選手に選んでほしかった。

優勝の瞬間実況アナウンサーが “ジャイアンツ日本一。8年ぶりです !! “ と叫んだが、V9 時代を見て来た自分は”そんなに日本シリーズで勝っていなかったのか??“ と驚いたのを覚えている。

当時の私は夜間大学1年生の苦学生で金が無く住み込みで新聞配達のアルバイトをしていた。他の大学生の様に女の子とデートをして青春を謳歌するなんて考えられなかった。サッカーは世界の舞台は遠く、とてもワールドカップ出場なんて夢にも出てこない時代。夕刊を配っている時に自分と年齢が変わらない男性が女性と楽しそうにドライブしているのを見て彼らとの隔差を嘆き悲観する日々だった。

朝刊を配り終えたあとスポーツ新聞に目を通しジャイアンツの快進撃を読むことだけが楽しみで心の支えだった。そして日本シリーズでは自分が好きだった西本、ホワイトが活躍したのが本当に嬉しかった。
1981年の日本シリーズを終えて、V9 とまでいかなくてもまたこれからジャイアンツの黄金期が始まる…と今後の巨人軍を大いに楽しみにしていた。

翌年ここで貯めた金を元に世話になった新聞営業所を出て大学近くのアパートを借りて1人暮らしを始め生活も徐々に“大学生”らしくなった。 そして学部への編入試験に合格し陸上競技を始め年々学生生活が充実し始めた。もちろんアルバイトは続けたが苦にならなかった。 

あれから28年が過ぎた。後楽園球場はもうとっくに無くて日本ハムは北海道にフランチャイズを移した。この日本シリーズも後に何かの思い出になるかもしれないので、開幕が非常に楽しみだ……

  

 



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