今大会の組み分けが発表された時にまず思ったのは、“また All Blacks かよ….何点取られるンやろ…”
初めて New Zealand の地を訪れたのは1999年の4月だった。そしてタクシーの運転手にこう言われた。
“どこから来たんだ?”
“日本から。”
“日本?あぁ前のワールドカップのスコアーを憶えているか?”
“憶えている 17-145 だろ?”
“そうか日本は17点も取ったのか?”
マオリ系の運転手だった。もう前のワールドカップはとっくに終わって次のワールドカップが数カ月後に控えているという時期だったのに…ここで日本はそういう見られ方をしているのかぁ…と思った。今でも同じ質問は受ける…
“145点も取られたのは All Blacks が100%の力を出してくれたから。日本相手では50%の力でも勝てるのにフルパワーを出してくれた事に感謝しているよ。“と答えるのが精一杯だった。 あの時こう答えたらと後悔している。
“ワールドカップだろ?日本はアルゼンチンに 0-1 で惜敗した。ニュージーランドなんて出ていたか?あぁあれはサッカーのワールドカップだった。4年も前のワールドカップは憶えていないなぁ…..”
6日前のフランス戦を観て、世界の列強相手でもある程度戦える事が解った。
そして All Blacks の Graham Henry監督は日本戦は何人かの主力を休ませると言っていた。 更に試合の前日、既にスタメンとベンチ入り選手が発表された後に Richard McCaw が怪我の為に日本戦を欠場するとの“吉報”もあった。
これで16年前の様に145点も取られる事は…何とか100失点未満に…と思った。
しかし日本側も John Kirwan 監督が5日後のトンガ戦を見越して James Alridge ら主力を休ませるとのコメントをオーストラリア紙上に見つけた。 あぁ..これでまた大量失点の懸念がまた大きくなって来た。
Auckland から約100km程度離れた街 Hamilton に取引先のTさんに連れて行って頂いた。 勿論仕事もきちんとして。
前から Hamilton は行ってみたい街であった。人口は15万人程度らしいが日本ではお目にかかれない立派な綺麗なショッピングモールもあった。
“雨が降らないと良いですがね…” とTさんが言った。そしてもっと寒くなる事も案じた。初戦のフランス戦はものすごく良い天気だったのになぁ…
競技場入りする前に何かを食べに街の中心街に出た。もう完全に黒一色。まさに “All Blacks ”だった。ここはニュージーランド当たり前の事だけど….それでも日本人サポーターの方々も少なくはなくお互いに連帯感が生まれた。そしてこう言いあった。
“頑張りましょうね。”
まぁ頑張るのは選手達だけど出来ればこの試合で日本の存在感を見せてくれればと思った。フランス戦の様に….
そして Kiwi の子供にはこう尋ねた。
”今日 All Blacks は日本に何トライくれるの?”
競技場であるWaikato Stadium はさすがにワールドカップを開催するだけあって立派な競技場。日本にこれだけの競技場があるのは Hamilton よりももっと大きな都市でないと…さすがラグビー大国。羨ましく思った。
座席はこの試合もカテゴリーAをTさんが準備してくれた。前の方には日本の応援団が陣取るが周囲は Kiwi 達ばかり。
完全アウェーと思った。Kiwi 達も“ Hey Japan !! ”と街中でも声を掛けて来るが様相は余裕100%と言ったとろか?
“余裕ですね…羨ましい。“とその度に Tさんと言い合った。誰も日本に負けるとは思っていなかっただろうなぁ…
この試合もフランス戦同様に和太鼓のデモンストレーションが試合前にピッチで繰り広げられた。
メンバーの中にはTさんの知り合いもおられるらしかった。
素晴らしい和太鼓のパフォーマンスも終わり、選手達が大歓声に包まれ控室に戻りそしていよいよ試合開始時間が近づく。
両チーム選手達が再び大歓声に包まれて入場し整列しニュージーランドの John Philip Key 首相とラグビーではお馴染みの閣僚森元首相が震災、被災のコメントを述べて1分間の黙祷に入った。 前の週に Christchurch に行った時にまだ被災の爪跡が深くはっきりと残っていたのを見てさすがの私も本当に言葉を失った……
両国国歌が斉唱される。今度はここの地元合唱団の声を聞きながら君が代を口ずさんだ。
そしていよいよ恒例の HAKA が始まる。ワールドカップで日本相手に行われる HAKA に嬉しさを感じた。そして思った。
試合前の素晴らしい和太鼓の音の様に健闘しれくれるよ… 怯むなよ何点取られても最後まで勇敢に闘ってくれよ…
All Blacks のスタメンは1週間前のトンガ戦から9人メンバーを替えて来た。 Conrad Smith 、Ma’a Noun らは Tri Nations でのレギュラーメンバーはスタメンだったが McCaw, Daniel Carter らはベンチにも入っていなかった。 Tri Nations の最終戦 Wallabies 戦のスタメンだった Tony Woodcock, Keven Mealamu ら9人がこの9人がスタメンだった。
一方の日本代表は初戦のフランス戦からメンバーを10人も入れ替えた。8月13日のイタリア戦に先発した選手は菊谷主将をはじめ宇薄、平、マイケルリーチら4人。ベンチ入りした選手達の中でもイタリア戦に出場したのは半分の11人だった。
All Blacks 相手に大丈夫だろうか…と本当に心配した。
日本のキックオフで始まったゲーム。何とか先制点を挙げられれば…との淡い期待もむなしく開始3分右から左に展開され Colin Slade にトライを決められてしまい conversion kick も Slade が難なく決めてしまった。 大歓声が沸き上がる。日本相手にそんなに喜ばんといてくれよ…と思う。 こりゅあ何点入れられるか…と思った。
更に8分48秒、反則を取られ PG を選択される。 もうPGを狙うのかよ…と思うと観客からもブーイングが沸き起こる。しかし Slade はこのPGを失敗した。あまり難しい位置では無いと思ったのに。 更なるブーイングが地元サポーター達から起こる。
そして10分48秒今度はAll Blacksに反則があった。日本はPGを狙わずタッチラインに蹴りだした。すると観客から大拍手が沸き上がる。本音はPGを狙って無失点を避けて欲しかったんだけど…
この影響か?14分28秒、また日本が反則を取られた時はAll BlacksはPGを狙わすに外にボールを出した。再び観客から拍手が上がった。 日本は先制トライを許してから結構ボールを繋ぐシーンが続き追加点を容易には許さなかった。ボールキープをする時間を長くして失点を防ぎあわよくば…と思った。
しかし16分またも右から左に展開され最後は Richard Kahui にトライを決められた。それにしても早いパス回しだなぁ….とTさんと感心してしまった。 そしてこの後のconversion kickは Slade は失敗してくれた。 日本もボールを繋ぐのであるが22mラインをなかなか突破出来ない。そしてスクラムも押されっぱなしだ。
7月にテレビで観た Tri Nations ではボール支配率は低くてもディフェンスラインを作るのが早いので 南アフリカ、オーストラリアに連勝していたのだ。Springboks、Wallabies でさえ突破出来ないD-Lineを日本が簡単に….と思った。
更に23分 Jerome Kaino、31分 Keven Mealamuにも連続してトライを決められる。 Kaino は Tri Nations 3試合、 Mealamu は2試合出場した選手。日本のディフェンスも最終ラインで必死に粘るのだけど最後は押し切られるといった感じだった。
更に35分にもAndy Ellis にトライを決められ、その後のconversion kickも決まり得点は 0-31 になってしまった。
何とかPGでもDGでも良いから日本の得点シーンが観たかった。 しかし37分に Ma’a Noun の突破から Conrad Smith, Isaia Toeavu に繋がれ最後は Slade に渡りトライを決められた。 さすがにAll Blacksのレギュラークラスのボール展開だった。
そしてconversion kickも決まり前半は 0-38 で終わった。いや済んだ…
両チーム選手交替無くAll Blacks のキックオフで後半に入った。先に点を取ってくれ、長い間オールをキープして失点を少なくしれくれ…と願うのだけど立ち上がりの10分足らずに3トライを喫し 0-59 となってしまった。 後半のAll Blacks は右から左に展開す事が多かったが後半の日本のディフェンスラインの真ん中を突破する様になる。 ボールを受け取りする選手だけでなく“第3選手の動き”が効果的でラインに穴が空いたところを素早く突破されてしまう。 日本も後半は前半よりかは良い動きを見せている様に見えた。そして53分に反則でPGを得ても狙わずに外とに出した事に地元ファンも拍手を送っていた。 46分には負傷した平浩二に替ってトンガ人の Alisi Tupuailai が投入されるのが 116kg のTupuailai が良く攻撃の起点になっていた。53 分にはラインアウトからチャンスを掴むが菊谷が惜しくもボールを奪われてしまった。
そして59分私達日本人達が最も沸き上がるシーンが。 All Blacks 陣の22mラインのやや前、All Blacksボールとなり左から右に展開されたが Colin Slade から Sam Whitelock へのパスがやや浮いたところを小野澤が見事なインターセプトそしてそのまま疾走しAll Blacks からトライを決めた。 これで小野澤は3大会連続トライを決めた事になったらしい。33歳ベテランの素晴らしいインターセプトだった。 このトライが無ければ自分はどうやって Hamiltonから帰っただろう…
そして conversion kick もMurry Williams が決めて 7-59 とした。
Tさんとトライを喜んでいると周囲の人達がハイタッチや握手を求めて来た。 おいおい Kiwi 達余裕だなぁ…と思っていると彼らは Scotland から来た人や Scottish 系の Kiwi 達だった。なんだそれなら最初から良いのに…特に隣の男性には試合前All Blacks の事ばかり質問してしまっていたではないか…それでもしっかりと全て答えてくれたなぁ…
日本ベンチは北川、バツベイが投入される。 何とかもう1トライを決めて存在を見せて欲しいなぁ…と T さんと話しだすが、日本のトライはその後のAll Blacks の猛攻を呼び寄せるものだった。 1987年All Blacks を迎えた時に沖土居が歴史的なトライを決めたその後の様に…..
キックオフ直後には右から左に展開され途中出場の Andrew Hora が、そして62分には 191cm 110kg のCTB Sony Bill Williams が右から左に日本のDF陣3人を跳ね飛ばし疾走し Ma’a Nonu のトライをお膳立て。 76分にはラインアオウトからあっさりと繋がれ Adam Thompson に決められ、78分には左タッチラインで Nonu からボールを受けた Cory Jane が中央に走り込んだ S.B. Williams にキックでパスを送りそのままトライを決められ 7-83となってしまった。 まぁ100失点には届かないから良いかなぁ..と自虐的におもった。ラグビーと言えば巨漢な選手の体力勝負と思っていたけどAll Blacksの猛攻を見ているとスピードと判断の速さが全く違う事が良く解った。更に S.B. Wiiliams の様に110kgもある選手でも手足が長くスピードがある。ちょっとこういう日本人はいないなぁ….とも思った。
けど最後に何とか意地を見せて欲しかった。日本だって猛攻を受けている間チャンスが無かったわけでは無かった。68分には日和佐が大きくゲインしチャンスを作るも今村がノックオン。 その直後にも左に展開し畠山がボールを背後に回して小野澤にパスを送る。完全にフリーになった小野澤がAll Blacks陣の最終ラインを駆け抜けるが惜しくも畠山の技ありのパスがスローフォワードにとられた。
デジタルが80分を示す S.B. Williams がボールを落としたところを大野が詰め寄りボールを奪い Webb 将武に繋ぐ。ウェールズ人の Nigel Owen 主審からのラストプレーとの声が聞こえる。 一旦はAll Blacksにボールを奪われ日本陣内に攻め込まれるがインターセプトで取り返し一気にゲイン。そしてキックパスをAll Blacksゴールラインの裏に蹴り込み大野が走り込むがその前にいた S.B. Williams が外に蹴りだしノーサイドとなった。 観客からはこのプレーにブーイングが沸き上がった…..
あぁ…これが世界のトップクラスとの差か…と思ったけどこの日のAll Blacksはベストメンバーでは無かったんだなぁ….
試合終了前の10分間は隣の Scottish の男性とずっと話していた。1989年に東京で日本は Scotland に勝った事がある。と話すとそれは Football か?と訊かれたので、いや間違いなくラグビーだ。 今なら Football だったら日本は充分に勝つ自信はあるしここ2試合負けていない。と言うと Scotland はもう3大会もワールドカップに出ていない…と首を振っていた。
一体Scotland はどうしてしまったんだ? 1970年代はEngland より強かったんじゃないか? 1974, 78年大会は UKから Scotland だけが地区予選を突破していた… ダルグリッシュは Liverpool でジョーダン、バッカンはManchester United の中心選手だったしあのアーチー=ゲミルもいた。と言うと、スーネスもいた。 Liverpool だった。とサッカー談議に花を咲かせていた。
それから Celtic でプレーしていた Nakamura はまだプレーを続けているか?と訊ねられたので今は日本でプレーしていると答えた。そしてストラカンは選手としても監督としても素晴らしかったと言うと、中村の Manchester United 戦のFKの話をしてきた。少し一矢報いた気がした…. 関係ないか??
この男性とその向こう側の御夫人と握手を交わし、周囲の Kiwi を含んだ人達とも握手を交わし席を立った。
ピッチでは日本選手達がスタンドに歩み寄りサポーター達に挨拶をしている。この試合ベンチ入りをしなかった James Arlidge が丁寧に写真撮影やサインに応じていた。彼としては出場したかったんじゃないかな…
点差がついたけど楽しかったですね…. T さんがこう言った。
そうですね、最後にもう1トライきまっていればなぁ….
帰りもTさんに車で Auckland まで送ってもらった。途中まで凄い渋滞だった。
これみんなラグビー見た人ですね。こんなの初めてですよ… Tさんも驚いていた。
2時間半のドライブでようやく Auckland に到着。 T さんに何度も礼を言い握手をして車を降りてホテルに向かった。
この日は Public Viewing の前の通りである Quay Street は閉鎖されていた。多くの Kiwi 達が騒いでいた。 Friday Night だからなぁ….. でもこの試合とフランス戦を見る限り次のトンガ戦とカナダ戦には期待できそうだ…とこの時は思っていたんだけど….
ホテルの部屋に戻りAll Blacks 対日本戦の再放送をしていた。 風呂に入って寝ころんで見ていたので知らない間に眠ってしまった… 夢の中でもAll Blacks の猛攻を見ていた様な気がした…
でも我が代表は最後まで勇敢にプレーしてくれたと思った。
初めて New Zealand の地を訪れたのは1999年の4月だった。そしてタクシーの運転手にこう言われた。
“どこから来たんだ?”
“日本から。”
“日本?あぁ前のワールドカップのスコアーを憶えているか?”
“憶えている 17-145 だろ?”
“そうか日本は17点も取ったのか?”
マオリ系の運転手だった。もう前のワールドカップはとっくに終わって次のワールドカップが数カ月後に控えているという時期だったのに…ここで日本はそういう見られ方をしているのかぁ…と思った。今でも同じ質問は受ける…
“145点も取られたのは All Blacks が100%の力を出してくれたから。日本相手では50%の力でも勝てるのにフルパワーを出してくれた事に感謝しているよ。“と答えるのが精一杯だった。 あの時こう答えたらと後悔している。
“ワールドカップだろ?日本はアルゼンチンに 0-1 で惜敗した。ニュージーランドなんて出ていたか?あぁあれはサッカーのワールドカップだった。4年も前のワールドカップは憶えていないなぁ…..”
6日前のフランス戦を観て、世界の列強相手でもある程度戦える事が解った。
そして All Blacks の Graham Henry監督は日本戦は何人かの主力を休ませると言っていた。 更に試合の前日、既にスタメンとベンチ入り選手が発表された後に Richard McCaw が怪我の為に日本戦を欠場するとの“吉報”もあった。
これで16年前の様に145点も取られる事は…何とか100失点未満に…と思った。
しかし日本側も John Kirwan 監督が5日後のトンガ戦を見越して James Alridge ら主力を休ませるとのコメントをオーストラリア紙上に見つけた。 あぁ..これでまた大量失点の懸念がまた大きくなって来た。
Auckland から約100km程度離れた街 Hamilton に取引先のTさんに連れて行って頂いた。 勿論仕事もきちんとして。
前から Hamilton は行ってみたい街であった。人口は15万人程度らしいが日本ではお目にかかれない立派な綺麗なショッピングモールもあった。
“雨が降らないと良いですがね…” とTさんが言った。そしてもっと寒くなる事も案じた。初戦のフランス戦はものすごく良い天気だったのになぁ…
競技場入りする前に何かを食べに街の中心街に出た。もう完全に黒一色。まさに “All Blacks ”だった。ここはニュージーランド当たり前の事だけど….それでも日本人サポーターの方々も少なくはなくお互いに連帯感が生まれた。そしてこう言いあった。
“頑張りましょうね。”
まぁ頑張るのは選手達だけど出来ればこの試合で日本の存在感を見せてくれればと思った。フランス戦の様に….
そして Kiwi の子供にはこう尋ねた。
”今日 All Blacks は日本に何トライくれるの?”
競技場であるWaikato Stadium はさすがにワールドカップを開催するだけあって立派な競技場。日本にこれだけの競技場があるのは Hamilton よりももっと大きな都市でないと…さすがラグビー大国。羨ましく思った。
座席はこの試合もカテゴリーAをTさんが準備してくれた。前の方には日本の応援団が陣取るが周囲は Kiwi 達ばかり。
完全アウェーと思った。Kiwi 達も“ Hey Japan !! ”と街中でも声を掛けて来るが様相は余裕100%と言ったとろか?
“余裕ですね…羨ましい。“とその度に Tさんと言い合った。誰も日本に負けるとは思っていなかっただろうなぁ…
この試合もフランス戦同様に和太鼓のデモンストレーションが試合前にピッチで繰り広げられた。
メンバーの中にはTさんの知り合いもおられるらしかった。
素晴らしい和太鼓のパフォーマンスも終わり、選手達が大歓声に包まれ控室に戻りそしていよいよ試合開始時間が近づく。
両チーム選手達が再び大歓声に包まれて入場し整列しニュージーランドの John Philip Key 首相とラグビーではお馴染みの閣僚森元首相が震災、被災のコメントを述べて1分間の黙祷に入った。 前の週に Christchurch に行った時にまだ被災の爪跡が深くはっきりと残っていたのを見てさすがの私も本当に言葉を失った……
両国国歌が斉唱される。今度はここの地元合唱団の声を聞きながら君が代を口ずさんだ。
そしていよいよ恒例の HAKA が始まる。ワールドカップで日本相手に行われる HAKA に嬉しさを感じた。そして思った。
試合前の素晴らしい和太鼓の音の様に健闘しれくれるよ… 怯むなよ何点取られても最後まで勇敢に闘ってくれよ…
All Blacks のスタメンは1週間前のトンガ戦から9人メンバーを替えて来た。 Conrad Smith 、Ma’a Noun らは Tri Nations でのレギュラーメンバーはスタメンだったが McCaw, Daniel Carter らはベンチにも入っていなかった。 Tri Nations の最終戦 Wallabies 戦のスタメンだった Tony Woodcock, Keven Mealamu ら9人がこの9人がスタメンだった。
一方の日本代表は初戦のフランス戦からメンバーを10人も入れ替えた。8月13日のイタリア戦に先発した選手は菊谷主将をはじめ宇薄、平、マイケルリーチら4人。ベンチ入りした選手達の中でもイタリア戦に出場したのは半分の11人だった。
All Blacks 相手に大丈夫だろうか…と本当に心配した。
日本のキックオフで始まったゲーム。何とか先制点を挙げられれば…との淡い期待もむなしく開始3分右から左に展開され Colin Slade にトライを決められてしまい conversion kick も Slade が難なく決めてしまった。 大歓声が沸き上がる。日本相手にそんなに喜ばんといてくれよ…と思う。 こりゅあ何点入れられるか…と思った。
更に8分48秒、反則を取られ PG を選択される。 もうPGを狙うのかよ…と思うと観客からもブーイングが沸き起こる。しかし Slade はこのPGを失敗した。あまり難しい位置では無いと思ったのに。 更なるブーイングが地元サポーター達から起こる。
そして10分48秒今度はAll Blacksに反則があった。日本はPGを狙わずタッチラインに蹴りだした。すると観客から大拍手が沸き上がる。本音はPGを狙って無失点を避けて欲しかったんだけど…
この影響か?14分28秒、また日本が反則を取られた時はAll BlacksはPGを狙わすに外にボールを出した。再び観客から拍手が上がった。 日本は先制トライを許してから結構ボールを繋ぐシーンが続き追加点を容易には許さなかった。ボールキープをする時間を長くして失点を防ぎあわよくば…と思った。
しかし16分またも右から左に展開され最後は Richard Kahui にトライを決められた。それにしても早いパス回しだなぁ….とTさんと感心してしまった。 そしてこの後のconversion kickは Slade は失敗してくれた。 日本もボールを繋ぐのであるが22mラインをなかなか突破出来ない。そしてスクラムも押されっぱなしだ。
7月にテレビで観た Tri Nations ではボール支配率は低くてもディフェンスラインを作るのが早いので 南アフリカ、オーストラリアに連勝していたのだ。Springboks、Wallabies でさえ突破出来ないD-Lineを日本が簡単に….と思った。
更に23分 Jerome Kaino、31分 Keven Mealamuにも連続してトライを決められる。 Kaino は Tri Nations 3試合、 Mealamu は2試合出場した選手。日本のディフェンスも最終ラインで必死に粘るのだけど最後は押し切られるといった感じだった。
更に35分にもAndy Ellis にトライを決められ、その後のconversion kickも決まり得点は 0-31 になってしまった。
何とかPGでもDGでも良いから日本の得点シーンが観たかった。 しかし37分に Ma’a Noun の突破から Conrad Smith, Isaia Toeavu に繋がれ最後は Slade に渡りトライを決められた。 さすがにAll Blacksのレギュラークラスのボール展開だった。
そしてconversion kickも決まり前半は 0-38 で終わった。いや済んだ…
両チーム選手交替無くAll Blacks のキックオフで後半に入った。先に点を取ってくれ、長い間オールをキープして失点を少なくしれくれ…と願うのだけど立ち上がりの10分足らずに3トライを喫し 0-59 となってしまった。 後半のAll Blacks は右から左に展開す事が多かったが後半の日本のディフェンスラインの真ん中を突破する様になる。 ボールを受け取りする選手だけでなく“第3選手の動き”が効果的でラインに穴が空いたところを素早く突破されてしまう。 日本も後半は前半よりかは良い動きを見せている様に見えた。そして53分に反則でPGを得ても狙わずに外とに出した事に地元ファンも拍手を送っていた。 46分には負傷した平浩二に替ってトンガ人の Alisi Tupuailai が投入されるのが 116kg のTupuailai が良く攻撃の起点になっていた。53 分にはラインアウトからチャンスを掴むが菊谷が惜しくもボールを奪われてしまった。
そして59分私達日本人達が最も沸き上がるシーンが。 All Blacks 陣の22mラインのやや前、All Blacksボールとなり左から右に展開されたが Colin Slade から Sam Whitelock へのパスがやや浮いたところを小野澤が見事なインターセプトそしてそのまま疾走しAll Blacks からトライを決めた。 これで小野澤は3大会連続トライを決めた事になったらしい。33歳ベテランの素晴らしいインターセプトだった。 このトライが無ければ自分はどうやって Hamiltonから帰っただろう…
そして conversion kick もMurry Williams が決めて 7-59 とした。
Tさんとトライを喜んでいると周囲の人達がハイタッチや握手を求めて来た。 おいおい Kiwi 達余裕だなぁ…と思っていると彼らは Scotland から来た人や Scottish 系の Kiwi 達だった。なんだそれなら最初から良いのに…特に隣の男性には試合前All Blacks の事ばかり質問してしまっていたではないか…それでもしっかりと全て答えてくれたなぁ…
日本ベンチは北川、バツベイが投入される。 何とかもう1トライを決めて存在を見せて欲しいなぁ…と T さんと話しだすが、日本のトライはその後のAll Blacks の猛攻を呼び寄せるものだった。 1987年All Blacks を迎えた時に沖土居が歴史的なトライを決めたその後の様に…..
キックオフ直後には右から左に展開され途中出場の Andrew Hora が、そして62分には 191cm 110kg のCTB Sony Bill Williams が右から左に日本のDF陣3人を跳ね飛ばし疾走し Ma’a Nonu のトライをお膳立て。 76分にはラインアオウトからあっさりと繋がれ Adam Thompson に決められ、78分には左タッチラインで Nonu からボールを受けた Cory Jane が中央に走り込んだ S.B. Williams にキックでパスを送りそのままトライを決められ 7-83となってしまった。 まぁ100失点には届かないから良いかなぁ..と自虐的におもった。ラグビーと言えば巨漢な選手の体力勝負と思っていたけどAll Blacksの猛攻を見ているとスピードと判断の速さが全く違う事が良く解った。更に S.B. Wiiliams の様に110kgもある選手でも手足が長くスピードがある。ちょっとこういう日本人はいないなぁ….とも思った。
けど最後に何とか意地を見せて欲しかった。日本だって猛攻を受けている間チャンスが無かったわけでは無かった。68分には日和佐が大きくゲインしチャンスを作るも今村がノックオン。 その直後にも左に展開し畠山がボールを背後に回して小野澤にパスを送る。完全にフリーになった小野澤がAll Blacks陣の最終ラインを駆け抜けるが惜しくも畠山の技ありのパスがスローフォワードにとられた。
デジタルが80分を示す S.B. Williams がボールを落としたところを大野が詰め寄りボールを奪い Webb 将武に繋ぐ。ウェールズ人の Nigel Owen 主審からのラストプレーとの声が聞こえる。 一旦はAll Blacksにボールを奪われ日本陣内に攻め込まれるがインターセプトで取り返し一気にゲイン。そしてキックパスをAll Blacksゴールラインの裏に蹴り込み大野が走り込むがその前にいた S.B. Williams が外に蹴りだしノーサイドとなった。 観客からはこのプレーにブーイングが沸き上がった…..
あぁ…これが世界のトップクラスとの差か…と思ったけどこの日のAll Blacksはベストメンバーでは無かったんだなぁ….
試合終了前の10分間は隣の Scottish の男性とずっと話していた。1989年に東京で日本は Scotland に勝った事がある。と話すとそれは Football か?と訊かれたので、いや間違いなくラグビーだ。 今なら Football だったら日本は充分に勝つ自信はあるしここ2試合負けていない。と言うと Scotland はもう3大会もワールドカップに出ていない…と首を振っていた。
一体Scotland はどうしてしまったんだ? 1970年代はEngland より強かったんじゃないか? 1974, 78年大会は UKから Scotland だけが地区予選を突破していた… ダルグリッシュは Liverpool でジョーダン、バッカンはManchester United の中心選手だったしあのアーチー=ゲミルもいた。と言うと、スーネスもいた。 Liverpool だった。とサッカー談議に花を咲かせていた。
それから Celtic でプレーしていた Nakamura はまだプレーを続けているか?と訊ねられたので今は日本でプレーしていると答えた。そしてストラカンは選手としても監督としても素晴らしかったと言うと、中村の Manchester United 戦のFKの話をしてきた。少し一矢報いた気がした…. 関係ないか??
この男性とその向こう側の御夫人と握手を交わし、周囲の Kiwi を含んだ人達とも握手を交わし席を立った。
ピッチでは日本選手達がスタンドに歩み寄りサポーター達に挨拶をしている。この試合ベンチ入りをしなかった James Arlidge が丁寧に写真撮影やサインに応じていた。彼としては出場したかったんじゃないかな…
点差がついたけど楽しかったですね…. T さんがこう言った。
そうですね、最後にもう1トライきまっていればなぁ….
帰りもTさんに車で Auckland まで送ってもらった。途中まで凄い渋滞だった。
これみんなラグビー見た人ですね。こんなの初めてですよ… Tさんも驚いていた。
2時間半のドライブでようやく Auckland に到着。 T さんに何度も礼を言い握手をして車を降りてホテルに向かった。
この日は Public Viewing の前の通りである Quay Street は閉鎖されていた。多くの Kiwi 達が騒いでいた。 Friday Night だからなぁ….. でもこの試合とフランス戦を見る限り次のトンガ戦とカナダ戦には期待できそうだ…とこの時は思っていたんだけど….
ホテルの部屋に戻りAll Blacks 対日本戦の再放送をしていた。 風呂に入って寝ころんで見ていたので知らない間に眠ってしまった… 夢の中でもAll Blacks の猛攻を見ていた様な気がした…
でも我が代表は最後まで勇敢にプレーしてくれたと思った。
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