Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

近藤貞雄さん追悼 1982 ナゴヤ決戦その2

2006-02-04 | プロ野球
第25回戦 9月29日 ナゴヤ球場 中日11勝9敗5分け
巨 人000002000=2 浅野  2勝 4敗 3S
中 日20000130x=3 牛島  7勝 4敗 13S
本塁打:原30号( 都 )谷沢17号( 浅野 )
巨人:西本、浅野、定岡
中日:都、牛島、小松

この日も前期試験であった。ラジオで初回の攻防を聴いて大学に向かったのだが、初回に先制をしたのは前日と異なり中日であった。西本の立ち上がりを谷沢のタイムリー、大島の内野ゴロで2点を奪った。しかしその失点には巨人の守備の乱れからであった。遊撃手の河埜が怪我で離脱しこの3連戦には出場出来なかった。前日起用された鈴木康友は4三振。この試合は平田を二塁に入れ篠塚を遊撃に回す布陣だったが、篠塚の失策が先制点献上を招いてしまった。一方の中日は守備の定評の高くない宇野、田野倉が好手を見せた。この日は前期試験の最終日で試験後は何故か行きつけの喫茶店に友人と行ってしまった。そこには私と同じ夜間学部の学生が集う喫茶店でマスターも夜学生に好意を持ってくれていた。私の野球好き知るマスターは有線放送でこの野球中継をかけてくれた。すると6回先頭打者の原辰徳が中日先発、都から30号ソロを珍しくライトスタンドに叩き込み反撃の狼煙を上げる。この年16勝を上げた滋賀県出身の都裕次郎は巨人キラーで、原辰徳のバットもなかなか捕らえられなかった。この後ホワイト、中畑が連打で続き都をKO。二番手牛島から左の淡口が右翼に二塁打で同点とし、尚も逆転のチャンスであったが、後続の代打山本功二、山倉、代打柳田が凡退し同点止まり。その直後、中日は2番手浅野の代わりばなを大島、宇野が連打し中尾の犠飛で突き放す。宇野の安打は松本が目測を誤った感じであったが、松本は数試合前の広島戦で頭部に死球を受け前の試合まで欠場していた。この試合もその負傷を押しての出場で、普段の松本なら苦も無く捌いていた飛球であった。そして7回浅野は田尾、モッカを歩かせ谷沢にとどめの17号3ランをくらい中日の勝利を決定づけられた。
この年はストッパー角が今ひとつであったが8月終わり頃の優勝争いが激しくなる頃には浅野が台頭してきた。特に無死満塁からのリリーフ登板で連続して無失点に抑え、新ストッパーとして台頭していた。しかし前節の広島戦でリリーフ登板では4点を失い逆転負けを喫していた。角、浅野の投球内容に対し、中日は牛島、小松が好調。特に牛島は巨人戦には滅法強く、17 2/3 を投げて失点0 打たれたヒットはこの日の淡口の二塁打を含めて3本のみ。また巨人は打線のつながりも無かった。この試合では中日を上回る12安打を放った。これには1、2番コンビの松本、河埜が怪我で本調子でなかったり、離脱していたのが原因だった。これで中日は勝率で巨人を抜き、中日のマジックは10となった。いよいよジャイアンツは後が無くなって来た。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿