少し前の話になるが、昨年バンコックに商用で訪れた時にドイツのスポーツ週刊誌 Sports Bild を購入した。バンコックは今や世界中のバックパッカーのメッカ。スックンビット通りには白人の老若男女が目に付く。そしてこちらとしてはありがたいのは、現地のコンビニエンスストアーでドイツやイタリアそしてフランスにスペインの新聞や雑誌が手に入ることだ。ドイツサッカー週刊誌 Kicker 誌に有名なピンクの紙面イタリアのガゼッタデルソポルティボ紙。価格は Sports Bild 誌が定価1.20ユーロ( 約190円 ) が250バーツ( 約750円 ) おそらく現地人は買わないだろうが、こちらはこの程度ならと思う価格だ。
そこで買った Sports Bild 誌12月6日号の後ろの方に気になる見出しが飛び込んできた。
“ Japaner wollen Kretzsche „ 直訳すると“日本人が Kretzsche を望む“ とでも言う意味か?
記事の内容は2008年に設立を目指す日本プロハンドボールリーグの看板選手にとドイツのハンドボール選手 Stefan Kretzschmar がオファーを受けているとの事。このプロリーグは 2012 年のロンドン五輪出場に向けて韓国等のライバルに対抗する為の強化策の為とこの記事には書いてある。Stefan Kretzschmar とは現在ドイツブンデスリーガ1部のチーム SC Magdeburg に所属するドイツと言うよりも欧州ハンドボール界ではカリスマ的存在の33歳の男子選手。 今のクラブとの契約が2008年で終わるのでその後に日本へと言うオファーを貰っているとの事。
(ハンドボールはまだまだ勉強中なので、 Kretzschmar の詳細はオイローパさんが開設するブログ、 Hurra! Handball in EUROPA をご参照ください。 http://blog.goo.ne.jp/europahand )
サッカー界で言うなら、70年代に学研の“学習”で見た “日本でプロサッカーリーグが設立され、ペレがやって来て釜本と対決する。”と言う初夢が現実となると言ったところかもしれない。 日本のハンドボールファンからすればKretzschmar の来日はともかく、日本でのプロリーグ設立自体、しかも2年後に、気配が感じられないらしい。そして記事にある Kretzschmar のコメントを見ると日本からオファーを提示されはしたが、74歳になる父親と、愛娘の事もありまだ回答はしていない様だ。
1996年のアトランタ五輪で男子サッカーがメキシコ五輪以来28年ぶりにアジア予選を突破し、以降3大会連続五輪に出場しているが、他の球技は反対に凋落している。かつて金メダルも勝ち取った事のある男子バレーボールはそのアトランタ五輪から3大会連続アジアの壁に跳ね返され、1970年代まで五輪、世界選手権では3位以下になった事の無かった“東洋の魔女”こと女子バレーは五輪出場権を勝ち取ってマスコミが騒ぐ始末。NBAのテレビ中継などで競技人気の高まっているバスケットボール、男子は1976年モントリオール五輪以降五輪には出てこられず、アジア予選を突破して世界の舞台に出てこられたのは1998年の世界選手権だけ。ハンドボールでは女子は最初に五輪種目に採用されたモントリオール五輪には出場を果たしたが以降出場権は勝ち取れず、男子が最後に五輪に出たのは1988年のソウル五輪。以降は韓国の軍門に降っている。水球は大麻事件のあったロス五輪以降、ソ連邦崩壊でカザフスタンがアジアに回ってきたこともあり五輪にはご無沙汰だ。頑張っているのは女子のバスケットボール(1996年、2004年五輪出場)と女子ホッケー(2004,2008年五輪連続出場)そして最近新設されたソフトボールと野球程度だ。 先のアジア大会では男子は6位、女子は銅メダルを勝ち取った。しかし五輪に向けて視界は良くないようだ。五輪出場の為にはプロ化が必要とJリーグ設立前の日本サッカー界と同じような“スローガン”がハンドボール界でも渦巻いているのだろうか? だが本場欧州でも全てのプロ契約選手がハンドボールだけで生活費を賄えているのでは無いらしい。だとしたら日本では??そのありも協会はアイデアがあるのか?確かに今の選手達の中には所属先の実業団とプロ契約をしている選手もいるらしい。サッカーの日本リーグでも晩年はライセンスプロと言って、例えば木村和司なんかは日産自動車とプロ契約していた。最初の年棒は確か600万円だったかな?
年頭に放映されたテレビ番組“筋肉番付”にハンドボール界から出場した宮崎大輔を番組内で紹介されているのを看た。試合後のサイン会の様子やハンドボールをメジャー化したいという思いが伝わってくる。こういうデモンストレーションは選手個人に頼るのでなくもっと協会挙げて出来ないものか?Jリーグ発足後かつて宮崎県のハンドボール国体選手だったそのまんま東さんを広告塔に“Jリーグに続け”とハンドボール協会が宣伝に力を入れたことがあったが人気はそれほど上がらなかった。やはり五輪に出なければならないか?しかし今の川淵三郎キャプテンが80年代末に、プロ野球ニュースに出て“みなさんどうぞ、サッカーの日本リーグの試合に来てください。先着1000名様にサポーターマフラーをプレゼントしています。”とお願いしていた。そして無知な女子アナが“サポーターって何ですか?それ包帯ですか?”って訊いていた。川淵キャプテンにとってはさぞ屈辱的であっただろう。何故マスコミはサッカーを知ってくれないのかと。現在他の球技協会でここまでする役人はおるか?
今の日本スポーツ界のレベルアップは何十年に一度生まれる天才の出現を偶発的に同時期に数人出て来る偶然を待つか選手個人の血の滲むような努力と犠牲でしか生まれないのだろうか???
そして今欧州で活躍する日本人ハンドボール選手は一人や二人ではないらしい。そして男子のみならず日本女子選手も頑張っているのだ。 2000年には沖縄出身の田場裕也選手がスペインのバルセロナでプレーし、その後もハンドボール列強のフランスリーグで活躍を果たし、昨年から沖縄にプロハンドチーム設立の為に尽力されているが、そういった事を、世に宣伝するだけでもハンド人気は上がると思うのだが。
また今月19日からドイツで男子の世界選手権が開催される。アジアからは韓国、カタール、クウェートが出場。残念ながら日本は出場権を獲得出来なかった。2005年チュニジア大会にはアジアを勝ち抜いて世界選手権に出場したのだが。
中学を卒業した私は高校に入ったらハンドボール部に入ろうと思っていた。私の出身地、高槻市は当時70年代後半から末期(今は知らないが)日教組が蔓延っていたおかげで高槻市内の公立高校で野球部を持つ高校は島本高校しかなかった。従って地元の公立高校に進学する野球部員のほとんどはハンドボール部に入部すると言っていた。その上、中学校の野球部は練習試合、公式戦で勝ったことが無いチームだったから高校に進学して野球を続けたのは一人だけであったが。体育の時間では1年の時から毎年ハンドボールがあった。そして3年の時私はゴールキーパーをやりけっこうシュートを止めたりして体育の先生から“おい、行けるぞ。”と言われてその気になったのだ。 しかし、進学した京都西高校にはハンドボール部は無かった。これが高校生活の躓きのはじまり。結局中学時代に続いて水泳部に入部(中学時代の水泳の戦績も悪くはなかったので。)したが、どの大会にでも決勝に残った事は無かった。たまに、“ハンドしたいなぁ”と思ったことも。卒業後付属の大学に進学したが、何と入れ替わりに大阪体育大学からハンドボールの先生が入ってきてハンドボール部が設立された。そんな殺生な…とショックだった。 しかし、大学に入って陸上競技で頑張って、その先生が話しかけてくれたりする機会にも恵まれ、“先生、何であと3年早く来てくれなかったんですか?”とか、大阪府の教員で形成されたハンドボールチーム“大阪イーグルス”の話をしてもらったりした。 そして先生と大学のカフェテリアで話しているところをクラスの女の子に目撃され“スポーツ選手同士が話しているみたいで格好良かった。”と言われた。(スポーツ選手なんだけど。) しかし、先生の話を総合すると身長180cmに満たなく、しかも決定的にてのひらの小さな私はハンドボール界に進んでも大成はしなかったと思う。でもスポーツを通じてようやくハンドボールにありつけた気がその時はした。だが1997年に熊本で開催された男子ハンドの世界選手権はBSチューナーが故障して満足に看られなかった、と言うよりももっと地上波でやれよと思った。同じ思いは昨年の世界バスケでも。
少子化とは言われるが、日本の子供人口は欧州よりも多いと思う。まだまだスポーツに触れていない子供がいるんじゃないかな? 子供たちよもっとスポーツを楽しもう。小学校5年生で身長が155cm近くある息子に親父の出来なかった夢を託す….. のは完全な親ばかだなぁ…… でも宿題はしたか??
宮崎選手のブログは下記まで。
http://blog.livedoor.jp/m_daisuke7
そしてかつてスペインのバルセロナでもプレーした日本人 田場裕也選手のブログは下記。
http://tabayuya.president-blog.jp
そこで買った Sports Bild 誌12月6日号の後ろの方に気になる見出しが飛び込んできた。
“ Japaner wollen Kretzsche „ 直訳すると“日本人が Kretzsche を望む“ とでも言う意味か?
記事の内容は2008年に設立を目指す日本プロハンドボールリーグの看板選手にとドイツのハンドボール選手 Stefan Kretzschmar がオファーを受けているとの事。このプロリーグは 2012 年のロンドン五輪出場に向けて韓国等のライバルに対抗する為の強化策の為とこの記事には書いてある。Stefan Kretzschmar とは現在ドイツブンデスリーガ1部のチーム SC Magdeburg に所属するドイツと言うよりも欧州ハンドボール界ではカリスマ的存在の33歳の男子選手。 今のクラブとの契約が2008年で終わるのでその後に日本へと言うオファーを貰っているとの事。
(ハンドボールはまだまだ勉強中なので、 Kretzschmar の詳細はオイローパさんが開設するブログ、 Hurra! Handball in EUROPA をご参照ください。 http://blog.goo.ne.jp/europahand )
サッカー界で言うなら、70年代に学研の“学習”で見た “日本でプロサッカーリーグが設立され、ペレがやって来て釜本と対決する。”と言う初夢が現実となると言ったところかもしれない。 日本のハンドボールファンからすればKretzschmar の来日はともかく、日本でのプロリーグ設立自体、しかも2年後に、気配が感じられないらしい。そして記事にある Kretzschmar のコメントを見ると日本からオファーを提示されはしたが、74歳になる父親と、愛娘の事もありまだ回答はしていない様だ。
1996年のアトランタ五輪で男子サッカーがメキシコ五輪以来28年ぶりにアジア予選を突破し、以降3大会連続五輪に出場しているが、他の球技は反対に凋落している。かつて金メダルも勝ち取った事のある男子バレーボールはそのアトランタ五輪から3大会連続アジアの壁に跳ね返され、1970年代まで五輪、世界選手権では3位以下になった事の無かった“東洋の魔女”こと女子バレーは五輪出場権を勝ち取ってマスコミが騒ぐ始末。NBAのテレビ中継などで競技人気の高まっているバスケットボール、男子は1976年モントリオール五輪以降五輪には出てこられず、アジア予選を突破して世界の舞台に出てこられたのは1998年の世界選手権だけ。ハンドボールでは女子は最初に五輪種目に採用されたモントリオール五輪には出場を果たしたが以降出場権は勝ち取れず、男子が最後に五輪に出たのは1988年のソウル五輪。以降は韓国の軍門に降っている。水球は大麻事件のあったロス五輪以降、ソ連邦崩壊でカザフスタンがアジアに回ってきたこともあり五輪にはご無沙汰だ。頑張っているのは女子のバスケットボール(1996年、2004年五輪出場)と女子ホッケー(2004,2008年五輪連続出場)そして最近新設されたソフトボールと野球程度だ。 先のアジア大会では男子は6位、女子は銅メダルを勝ち取った。しかし五輪に向けて視界は良くないようだ。五輪出場の為にはプロ化が必要とJリーグ設立前の日本サッカー界と同じような“スローガン”がハンドボール界でも渦巻いているのだろうか? だが本場欧州でも全てのプロ契約選手がハンドボールだけで生活費を賄えているのでは無いらしい。だとしたら日本では??そのありも協会はアイデアがあるのか?確かに今の選手達の中には所属先の実業団とプロ契約をしている選手もいるらしい。サッカーの日本リーグでも晩年はライセンスプロと言って、例えば木村和司なんかは日産自動車とプロ契約していた。最初の年棒は確か600万円だったかな?
年頭に放映されたテレビ番組“筋肉番付”にハンドボール界から出場した宮崎大輔を番組内で紹介されているのを看た。試合後のサイン会の様子やハンドボールをメジャー化したいという思いが伝わってくる。こういうデモンストレーションは選手個人に頼るのでなくもっと協会挙げて出来ないものか?Jリーグ発足後かつて宮崎県のハンドボール国体選手だったそのまんま東さんを広告塔に“Jリーグに続け”とハンドボール協会が宣伝に力を入れたことがあったが人気はそれほど上がらなかった。やはり五輪に出なければならないか?しかし今の川淵三郎キャプテンが80年代末に、プロ野球ニュースに出て“みなさんどうぞ、サッカーの日本リーグの試合に来てください。先着1000名様にサポーターマフラーをプレゼントしています。”とお願いしていた。そして無知な女子アナが“サポーターって何ですか?それ包帯ですか?”って訊いていた。川淵キャプテンにとってはさぞ屈辱的であっただろう。何故マスコミはサッカーを知ってくれないのかと。現在他の球技協会でここまでする役人はおるか?
今の日本スポーツ界のレベルアップは何十年に一度生まれる天才の出現を偶発的に同時期に数人出て来る偶然を待つか選手個人の血の滲むような努力と犠牲でしか生まれないのだろうか???
そして今欧州で活躍する日本人ハンドボール選手は一人や二人ではないらしい。そして男子のみならず日本女子選手も頑張っているのだ。 2000年には沖縄出身の田場裕也選手がスペインのバルセロナでプレーし、その後もハンドボール列強のフランスリーグで活躍を果たし、昨年から沖縄にプロハンドチーム設立の為に尽力されているが、そういった事を、世に宣伝するだけでもハンド人気は上がると思うのだが。
また今月19日からドイツで男子の世界選手権が開催される。アジアからは韓国、カタール、クウェートが出場。残念ながら日本は出場権を獲得出来なかった。2005年チュニジア大会にはアジアを勝ち抜いて世界選手権に出場したのだが。
中学を卒業した私は高校に入ったらハンドボール部に入ろうと思っていた。私の出身地、高槻市は当時70年代後半から末期(今は知らないが)日教組が蔓延っていたおかげで高槻市内の公立高校で野球部を持つ高校は島本高校しかなかった。従って地元の公立高校に進学する野球部員のほとんどはハンドボール部に入部すると言っていた。その上、中学校の野球部は練習試合、公式戦で勝ったことが無いチームだったから高校に進学して野球を続けたのは一人だけであったが。体育の時間では1年の時から毎年ハンドボールがあった。そして3年の時私はゴールキーパーをやりけっこうシュートを止めたりして体育の先生から“おい、行けるぞ。”と言われてその気になったのだ。 しかし、進学した京都西高校にはハンドボール部は無かった。これが高校生活の躓きのはじまり。結局中学時代に続いて水泳部に入部(中学時代の水泳の戦績も悪くはなかったので。)したが、どの大会にでも決勝に残った事は無かった。たまに、“ハンドしたいなぁ”と思ったことも。卒業後付属の大学に進学したが、何と入れ替わりに大阪体育大学からハンドボールの先生が入ってきてハンドボール部が設立された。そんな殺生な…とショックだった。 しかし、大学に入って陸上競技で頑張って、その先生が話しかけてくれたりする機会にも恵まれ、“先生、何であと3年早く来てくれなかったんですか?”とか、大阪府の教員で形成されたハンドボールチーム“大阪イーグルス”の話をしてもらったりした。 そして先生と大学のカフェテリアで話しているところをクラスの女の子に目撃され“スポーツ選手同士が話しているみたいで格好良かった。”と言われた。(スポーツ選手なんだけど。) しかし、先生の話を総合すると身長180cmに満たなく、しかも決定的にてのひらの小さな私はハンドボール界に進んでも大成はしなかったと思う。でもスポーツを通じてようやくハンドボールにありつけた気がその時はした。だが1997年に熊本で開催された男子ハンドの世界選手権はBSチューナーが故障して満足に看られなかった、と言うよりももっと地上波でやれよと思った。同じ思いは昨年の世界バスケでも。
少子化とは言われるが、日本の子供人口は欧州よりも多いと思う。まだまだスポーツに触れていない子供がいるんじゃないかな? 子供たちよもっとスポーツを楽しもう。小学校5年生で身長が155cm近くある息子に親父の出来なかった夢を託す….. のは完全な親ばかだなぁ…… でも宿題はしたか??
宮崎選手のブログは下記まで。
http://blog.livedoor.jp/m_daisuke7
そしてかつてスペインのバルセロナでもプレーした日本人 田場裕也選手のブログは下記。
http://tabayuya.president-blog.jp
私は勉強をしなかったので、公立には行けずに公立高校に通う同級生を見るたびに死ぬほど羨ましくて、勉強しなかった我が身を呪いました。
いつも通学のとき阪急電車から見える島本高校の校舎を見て羨ましくて何度も泣きそうになりました。
最近は少子化の影響でしょうか、島上高校と高槻南高校が統合されて槻の木高校となったらしいですね。
受験戦争真っ只中だった私たちは何かと損をしましたね。女の子も少なかったし....
またのコメント等をお待ちしております。