Mr.コンティのRising JAPAN

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NAKAMURA スコットランドへ その2

2005-07-27 | EURO Football
“弱きを助け”過ぎが原因かもしれない。 74年大会はアフリカの ザイール から2得点しか挙げられず、78年大会は エース ウィリー=ジョンストン が違反薬物使用で第二戦以降失格となりイランに 1-1 で引き分け、しかも スコットランド の得点は相手の自殺点。82年大会でもニュージーランドに勝ったが2失点を喫し( 得点は 5-2 ) 3大会連続で得失点差で2次リーグに進めなかった。その原因は守備に難点がある、と言うよりもサポーター達の醸しだす独特の雰囲気に載せられて中盤から前の選手に守備の意識が無いからと皮肉られていた。1995年のキリンカップで来日した スコットランド相手に0-0 と日本は引き分けた。当時の スコットランドは 来日メンバー を別にすれば翌年にはイングランドで開催された欧州選手権の本戦に出場し、3年後のワールド杯フランス大会にも出場するなど今よりもチーム力はあっただろう。そのスコットランドと引き分けるのだから本当に70年代の頃と比べると隔世の思いだ。
彼らが弱体化しすぎたのか、日本が強くなりすぎたのか?その証明は中村がしてくれるであろう。
最後に一言。私はスコットランドの国歌 Flower of Scotland が好きだ。これをバグパイプで演奏されたらたまらない。1989年、日本ラグビーは秩父宮でスコットランド代表相手に歴史的な勝利を収めたが、試合前の国歌演奏のセレモニーで何と日本側はイングランドの国歌 God Save the Queen を演奏したのだ。相手に対する心理戦なら失礼極まりないし、知らなかったでは無知を曝け出しただけであった。これが理由で棄権されても致し方が無いハプニングであった。その3年後商用で欧州を訪れたとき偶然 ヒースロー 空港で5カ国対抗戦の遠征最中であった Scotland チームと売店で一緒になった。 そして選手の一人にその事を詫びると、何人かは苦笑いをしていた。そして一人が “ Unfortunately “ と。試合結果か、国歌の事か?それ以上は訊けなかった。 中村の移籍を機会にネス湖のネッシーばかりでなくスコットランドの事を勉強してみようと思った。

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