Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

日韓戦 朝鮮日報 韓国語版から

2011-08-21 | 日本代表
折角韓国からお客さんが来て連絡をくれて会ってもお互いに日本語、韓国語を良く理解出来ないので突っ込んだ話が出来ない。でも顔を合わせるだけで伝えたい事は良く解るのだけど。せめて英語を解ってくれればなぁ….
それでも10日の日韓戦の事は話が出来た。李青龍の怪我が痛かったと話していたけどもう日本の方がずっと素晴らしいと言ってくれた。それが本当なら良いんだけど…

最近は翻訳ソフトなる便利なものがある。そして更に google 翻訳でもかなりレベルの高い翻訳がなされどんな言語でも英語までなら完璧に近い翻訳になって出てくることも。まだ日本語は英語ほどではないけど…
しかしその方が良い。不完全のままでないと私の様に外国語を勉強して来た人間の存在価値が無くなってしまうから…… 下記の記事は日韓戦後に朝鮮日報韓国語版から日本語版に載っていなかった記事を拾って Google翻訳で訳したもの。 韓国語が解れば微調整できるのだけどその辺はご勘弁願いたい。

한국축구, 떠난 박지성을 잊어라

韓国サッカー、去った朴智星を忘れろ


趙広来韓国代表が日本に0対3の惨敗を喫した事から国家代表を引退した朴智星 (30 •マンチェスターユナイテッド)の名前が頭を持ち上げる。 端的な例として、日本に負けた試合のメンバーにも入っていない朴智星が人気検索語に急上昇した。 また、ネットユーザーのコメントの中には朴智星がなくなったという式文がたくさん上って来た。

朴智星が今回の韓 - 日戦に出場した場合、試合の内容と結果が違っていただろう。 実際に日本の選手は朴智星に対する恐れがある。 日本のメディアは試合後、朴智星がない韓国が揺れてしまったと評価した。

▶7ヶ月の間に朴智星の不在は、忘れられていた

趙広来監督は去った朴智星を呼び戻す事が出来る。 しかし、冷静に考えれば、朴智星を忘れなければ韓国サッカーが発展することができない。 朴智星がすぐにでも引退宣言を撤回して戻って復讐をしてくれたら心を持ち直す事ができる。 しかし、それは韓国サッカーの発展を遅らせることになってしまう。

朴智星は今年2月カタールのアジアカップを終えて、代表引退を宣言した。 右膝が頻繁に悩みを起こしている状況で Manchester United のクラブの試合に集中したいというのが理由だった。 そして33歳になる2014年のブラジルワールドカップの時は今のような競技力を維持しにくいと考えた。 そのため、若い後輩たちに機会を与えるのが正しいとした。 それでも朴智星の復帰の可能性を完全に断念したわけではない。 韓国サッカーが本当に危機に陥ったとき、国民が朴智星を望めば、復帰を提案することができると趙広来A代表チーム監督は言った。
朴智星が引退してから韓国代表は5回の親善試合で3勝1分け1敗を記録した。 今回の日本戦での敗北まで連勝中だった。 朴智星の抜けた穴はそうすぐに埋まるのかという疑問まで聞いた。 朴智星がなくてもうまくいくという考えまで出た。
順調だった趙広来政権に急制動がかかった。 拙戦の末に負けたのはいうまでもない。
しかし、韓国サッカーが、朴智星を探すほど崩壊したわけではない。 まだ朴智星が救助の為に出場するような大きな危機ではない。 まだ趙広来政権下では次の公式戦は始まっていない。来月2日、レバノン戦からワールドカップブラジル大会アジア地区3次予選が始まる。



▶今の危機は、朴智星が出る時期ではない

趙広来代表は韓 - 日戦で一つの確かな教訓を得た。 朴智星が代表チームを去った7ヶ月の間、"第2の朴智星"とする代わりに育ててことができなかった点だ。 朴智星は、引退記者会見で、自分の後継者と金甫、孫興民 等の名前を言った。 趙広来監督は、池東元を朴智星のポジションで起用してみた。 朴智星が着けていたキャプテンマークは朴主永に渡した。 移籍するチームを探す為に訓練もまともにできなかったと言った朴主永が見せたパフォーマンスとリーダーシップは残念な結果に終わった。 誰もが最高としたが、そのリーダーシップが消えて、現在、代表チームには、危機の状況下で中心になって立ち向かってくれるリーダーがいない。

結局、時間が必要だ。 むやみに待つことはできない。 韓国サッカーは、ブラジルのW杯本大会までの3年以内に、"ポスト朴智星"を見つけて成長させなければならない。 韓国が格下だと思っていた日本のサッカーは中田英寿が2002年の引退以来、中村俊輔が舵を取ったし、今では本田と長谷部が主軸になっている。 香川の成長の非常に著しい。

▶ニューキャプテン朴主永がすぐに立て

韓国サッカーの朴智星の代わりを見つけられずにさまよってい続けたならば、日本とは全く別の凋落の道を辿ってしまう。
その典型的な事例がジダンが抜けたフランスのサッカーだ。 2006年のドイツワールドカップ準優勝以来、ジダンが引退したフランスは、2010年のFIFAワールドカップでは1次リーグ脱落という悲惨な結果を生んだ。 フランスに未だ存続しているその陰から抜け出すのは容易ではない。

朴主永が急いで主将の真の姿を示さなければならない。 そのために朴主永は急いで自分の所属先を定めなければならない。 そうすれば、競技力をきちんと維持することができる。 そうすれば、代表チームの後輩たちも朴主永を尊敬のまなざしで見る。 主将が、所属先を数ヶ月も探しているということは恥ずかしいことである。

また、朴智星の後継者として有力な候補に上がった朴主永は、プロ意識を持って急速に世界的水準に成長していかなければならない。 現在の実力に満足してはならない。 朴智星の抜けた穴をきちんと埋められない場合は、再び朴智星が帰ってくると、それより加えたチヨクスロンことはないだろう。 朴智星は、救世主として代表に帰って来た日があって韓国は日本にあった'8月10日の屈辱"を払拭することができる。




かつて愛する京都でプレーした朴智星が代表から引退して日韓戦は韓国の1分1敗。 今回の惨敗を見て朴智星復活を求める声がどれだけ高まっているのだろう?
朴智星は1人で局面を変える力があった。それはサッカーのみならず全ての球技で必要な選手だ。
日本もかつてフランスワールドカップ予選で苦戦を繰り返していた時にラモスを復帰させろとかジーコをテクニカルアドヴァイザーにしてベンチに置けとか当時磐田でプレーしていいた現役セレソンのドゥンガにアドヴァイスを求めよとか滅茶苦茶な意見が飛び交った。最終的に加茂監督更迭の後を受けた岡田監督がUAE 戦から北澤をトップ下に置くフォーメーションに変更し前線でボールが良く回る様になり最後の2試合、韓国、カザフスタン戦に連勝しジョホールバルでイランを破り悲願のワールドカップ初出場を決めた。 まさか朴智星が代表に復帰するとは考えにくいが…でもアルゼンチンもマラドーナが復帰したしなぁ….




下記の記事は日本語版に掲載されていた記事。

サッカー:あまりに大きかった朴智星の穴=韓日戦

リーダー不在で右往左往
朴智星(パク・チソン)=マンチェスター・ユナイテッド、以下マンU=は韓国代表を引退してもなお、話題に上ることが多い。
 韓国は10日、朴智星が代表を引退してから初となる韓日戦で0-3と完敗し、朴智星の存在がいかに大きかったかを実感した。
 昨年5月に行われた日本との親善試合で、朴智星はDF4人を交わして先制ゴールを決めると、ゆっくりと日本の観客席を見詰めた。その気迫に驚いた埼玉スタジアムは、しんと静まり返った。試合後、日本の取材陣は日本サッカーに対してコメントを求めようと、朴智星の周囲に殺到した。
 それから1年3カ月。朴智星のいない韓国代表は、全く異なる様子を見せた。朴智星はサイドと中央を駆け回り、攻撃と守備の双方に積極的に参加する「酸素タンク」だったが、その存在のない韓国はプレスが甘く、攻守の切り替えも遅かった。
 韓国代表の趙広来(チョ・グァンレ)監督は「朴智星が抜けたのは、チームの実力という面でも損失だが、もっと大きな問題は、朴智星に匹敵するリーダーが見つからないことだ」と語った。2008年10月から今年2月まで代表の主将を務めた朴智星は、ソフトなカリスマ性でチームを引っ張った。練習時間の調整などについて監督に直接意見するなど、選手とコーチ陣の間で橋渡しの役割を十分に果たした。朴智星を中心に固くまとまった韓国は、昨年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、自国開催以外での初のベスト16という快挙を成し遂げた。
確固としたリーダーがいない韓国サッカーは、今回の韓日戦で日本の波状攻撃に簡単に揺さぶられた。日本のファンは試合後「朴智星のいない韓国は、ライバルではない」「朴智星がいないのでラクな試合だった」などと冷笑混じりにコメントした。


「朴智星のいない韓国は、ライバルではない」「朴智星がいないのでラクな試合だった」と言った人はいたかもしれないが新聞記事にする程の事かなぁ….
朴智星もさることながらもっと深刻な問題はサイドバックのタレント不足だろう。 李栄杓が代表から退き、良い後継者がなかなか見つからないらしい。今回は金英権と車杜里が起用されたが金英権はどちらかと言えばCBタイプの選手。だが金英権が怪我で25分にベンチに退き替って入った朴源載が12分で怪我で下がってしまいDF面でパニックになってしまった。これは八百長問題で召集出来なかった洪正好の離脱(実際は不起訴になった)が痛かった。どちらかと言えば攻撃面で定評のあ新潟の曹永哲をサイドバックに回すほど(実際は起用されなかった)であった。そして左サイドに車杜里を起用した事により両SBに守備の面で不安最後まで抱えていた。
守備面での不安はMFも同じだった。 李青龍、孫興民、池東元の3人が召集出来なかった事から具滋哲を2列目右サイドで使わざるを得なく、金正友と李根鍋を2列目に並べたが共に Asian Cup ではメンバーに漏れた選手。李容来がボランチというよりも2列目に近い位置に入り奇誠庸の1ボランチの様な形が続いていたがこれにより香川をはじめ日本のMF陣に自由に中盤を制圧され常に後手を踏んでいた事が苦戦の原因でもあった。
反対にいえば 李青龍、孫興民、池東元、洪正好らがメンバーに居ればこんなに苦戦はしなかったとも言えるかもしれない。




[한일전]한국, 한-일전 57년 역사상 첫 0대3 치욕패
【日韓戦】韓国、韓 - 日戦57年の歴史上初めて、0対3の敗戦


韓国サッカーの恥辱の日だった。

趙広来監督が率いる韓国A代表チームが、日本の札幌ドームで開催されたた韓 日戦で0対3で大敗した。
3点差の敗北は、1974年第3回韓日定期戦で1対4で敗北した後、37年ぶりだ。 1ゴールも挙げられずにゴ3点差で負けたのは、1954年に初めて対決して以来75番目の試合ぶりのことだ。

完全に翻弄された一戦だった。 攻撃から守備まで、すべての選手たちが右往左往している。 実力の敗北だった。

日本が主導権を握って振り切った。 短いパスを使用して主導権を握った。
韓国は李根鎬からのパスを受けた車ドゥリのシュート以外にこれといったパフォーマンスを見せることができなかった。
韓国はプレスも、パスもしっかりされていない。

先制点は日本だった。 前半34分、香川が初ゴールを決めた。 遠藤のパスを受けた香川は李正秀をかわした後に、右足でシュートを決めてリードをした。

後半に入って韓国の守備は力なく崩れた。 後半序盤から揺れていた。 後半7分に追加点が決まった。 駒野のシュートがGK鄭成龍の手に当たってこぼれたところをPAの右角にいた香川が左足で軽く渡した。本田は間髪いれずに左足でシュートを放つとゴールネットを割った。 2分後、日本のゴールがまた決まった。 香川であった。 右サイドから清武があげたクロスをゴール前に走り込み右足で軽く方向を変えて入れた。 3点差を付けられた韓国の選手たちは更に浮足立った。本田に続けてシュートを撃たれた。後半25分には内田に1対1でシュートに持ち込まれた。 このシュートはゴールポストに当たって決まらなかった。

韓国にもチャンスはあった。 しかし、慢性的な決定不足が明らかになった。 後半27分には具滋哲が直接フリーキックをそのままヘディングシュートを放ったが、惜しくも外れた。 31分具滋哲はまたチャンスを逃した。 ゴールキーパーと1対1になるチャンスであったがシュートは浮かしてしまった。

以来、韓国選手はミドルシュートを乱発して自ら崩れ去った。 空にポンポンとシュートを撃ちあげると共に韓国サッカーの夢も虚空に飛んだ。


[박재호의 현장속으로]한국 삿포로에서 무너지다
[朴主永 試合の現場から]韓国札幌で崩壊だ


日本が韓国を打ち負かそうと決意して試合に臨んだことを韓-日戦の3時間前札幌ドームに入ると、すぐに知ることができた。 選手たちの覚悟の表れた動画が試合開始1時間前から順番に大型電光掲示板で流れた。
日本サッカー協会は、今回の韓-日戦の広報にものすごい神経を使ったという裏付けだった。 入場券 4万枚が売り切れた。 スタンドで空席を見つけることができなかった。 競技前、札幌ドームの外ではダフ屋と切符を買うために行き来する日本のファンたちで大変な混雑を成した。

競技前にはびっくりイベントもあった。 ある中年男性がグラウンドに入ると、札幌ドームの観客席から歓声があふれた。 佐々木則夫サッカー日本代表監督だった。 佐々木監督は、女子W杯優勝で、日本に"なでしこジャパン"ブームを巻き起こした主人公だ。 佐々木監督は、直接ファンに女子W杯優勝報告と感謝の挨拶をした。 それとともに、"今日の日本代表チームの善戦を祈願する"とし、ファイトを叫んだ。 観客席は、再度ヒートアップした。

日本の刺激パレードはここで終わらなかった。

今月初めに練習中、急性心筋梗塞で倒れ、死亡した元日本代表の松田の葬儀は二日前のことだった。 この日の競技前韓-日両国の選手たちは、冥福を祈る黙祷をした。 日本の選手たちは試合前から、"松田のために"と叫び、試合前に黙祷を捧げた。

実はこの日の試合に先立ち、日本サッカー協会は、韓国の五輪代表チームも呼んで、"ダブル韓-日戦"を開催したがった。 しかし、韓国は、五輪代表選手の多くは、A代表チームに属しているなど、物理的に困難があって難色を示した。 結局、この日、日本オリンピック代表チームは、エジプトの五輪代表を呼んで韓-日戦に先立って"オープニングゲーム"との評価試合を行った。 日本がエジプトに2対1で勝った。 この日の札幌ドームには7時間以上も日本のサッカーファンたちであふれていた。
日本代表サポーター"ウルトラニッポン"は最初から、"KING OF ASIA"と書いた文言を掲げた。 韓国を越えてアジアトップに立たうとする彼らの夢だった。
この日の試合はサッカーを超えて全面戦争、白兵戦だった。 タックルの強さと体当たりが通常の親善試合では絶対見られないレベルだった。 グラウンドの芝が原因で選手達がコントロールを失う場面が出てきたりもした。 金英権は、衝突時に左足首を痛めてしまい、朴周栄は相手シュートを顔面に受けて救急車に乗って病院でMRI撮影をした。

常に日本戦となると一層力を出した韓国。 1998年3月に東京で開かれたダイナスティカップで日本は韓国を相手に2対1で勝って以来、13年以上もホームで韓国を破ったことがなかった。 この日の試合前まで韓国はアウェーの韓-日戦で3勝2分で絶対的な優位を保っていた。

しかし、日本は緻密に韓国を崩す準備をしていた。 雰囲気作りだけでなく、それに対応する力も育てていた。 香川の先制ゴールに続き、本田のゴール、そして香川の3点目のゴールまで。 ゴールを作り出す過程が韓国の選手たちをより一層当惑させた。

札幌ドーム4万人余りの日本ファンが一斉に上げた歓声がこだましてずっと空がぐるぐる回った。 580人余りの"レッドデビルズ"の応援団は、韓国の選手たちが劣勢になればなるほど、より大きく"大〜韓民国"を叫んで、太鼓を打ち、鉦を打った。 しかし、この日だけはもう韓国がアジアの盟主ではなかった。




快勝の陰に隠れて日本も問題が無かったわけではないだろう。欠場した長友に替って駒野が起用されたが対戦相手がこの日の“韓国の様な”チームばかりでは無い。長友の替りが完全に務まるかわわからない。 そしてCBの高さもだ。
前回のワールドカップ予選ではセットプレーから闘莉王や中澤が高さを生かしたヘッドで何度も決勝点を齎してくれた。
ザッケローニ体制になりCBは入れ替えられている。吉田、今野、岩政、栗原…ワールドカップ予選を突破する為に闘莉王、中澤に匹敵するCBコンビは完成するのだろうか?最もこの2人はまだまだ代表から退く歳では無いと思うけど。
それから遠藤のバックアップは誰が担うのであろう? 遠藤が73分に退いた後に 3-0 でリードしていた事もあるがチャンスが激減したことも気になる。

キムチやマッコリ、韓国海苔、たっぷりとお土産を頂き堅い握手、抱擁をかわして分かれる時にお互いに誓った事は“次に会う迄にはお互いに韓国語、日本語をもっと勉強して、それぞれ相手の言葉で話せるようにしましょう….”
次に会う迄には、…そう今度こそ絶対に。新聞記事なんかを読めればもっと日韓戦も楽しめるしなぁ…. 次の日韓戦迄にも…. でも2週間もしないうちに今度は北朝鮮戦だ。 もっと早く勉強を始めておればなぁ…の後悔の方がまだ残っているんだよなぁ…. でも俺はラジオ講座を聴き続けているんだぞ…




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