Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

第55回全日本大学サッカー選手権 大学サッカーの人気

2007-01-11 | 五輪 U-20, U-17
関東地方は今日も晴天。日中の最高気温は11度程度だけど無風で日差しが心地よい。全国高校サッカー選手権大会の興奮が冷め遣らぬ今日この頃、全国大学サッカー選手権、インターカレッジ、インカレの決勝トーナメントが開催されている。大学スポーツは競技種目によって存在価値はまちまちだが、サッカーに関してはこの10年、要するにJリーグが発足して以降急速に後退してしまったのではないか? 
私の記憶では最後に現役大学生で代表Aマッチを戦ったのはあの井原正巳(当時筑波大)が最後じゃないかなぁ?(もし知っている人がおられたらぜひ教えてください。) 80年代は大学生でありながら代表に名を連ねた選手は珍しくなかった。しかし1992年のバルセロナ五輪からプロアマを問わず23歳以下の大会とされてから優秀な大学生(年齢にもよるが)はまず五輪代表のカテゴリーに入れられる様になった。バルセロナ五輪予選に臨んだU-23代表は沢登が主将であったが、当時彼は東海大学の学生であった。だがそれ以上に1993年のJリーグ発足後、優秀な高校生達はすぐにプロチーム入りを目指す様になり、またプロ球団もユース組織が整備されるに連れて高校生達はそのままプロ契約の為のトップチームを目指す嗜好が強くなり大学サッカーはJリーグと高校サッカーの間でその存在価値がかつて程なくなりつつある。今般オーストリアのザルツブルグ入りが決まった元日本代表の宮本は同志社大学の学生でありながらガンバ大阪に“所属”しており大学サッカーの世界ではユニフォームの袖を通してない。しかし、大学サッカーはもはや“不要な”ものだろうか?
日本には今尚、学歴化社会と言うものが存在している。その賛否両論はともかく、存在している事は事実でそれは避けて通れない。優秀なスポーツ選手とて一寸先は見えない。不慮の事故で選手生命を突然絶たれるかもしれない。将来を嘱望されながら様々な理由で挫折していく事が多い。その際選手自身には何が残ると言うのだろう?そしていつかは引退をする日がやって来る。
私は大学卒業後、実業団に挑戦したがわずか2年で挫折して引退。今はサラリーマン生活を送っている。選手生活は精一杯やって何の後悔も無い。しかしこう言えるのもその後の人生を何とか過ごせているからで、それも大学卒業の肩書きが無ければこうは行かなかったと断言できる。いくら輝かしいスポーツ経歴を残せても、社会に出ようとした時に見られるのは年齢と学歴のバランスであって、選手時代の戦績では無い。従って”大学には進まずにレベルの高いプロにすぐに行け。回り道をするな。“と言う人々にはじゃぁ、あんたその人達の人生の面倒を見れるのかい?”と私はすぐに反論しよう。平山相太が国見高校から筑波大学に進学をした時には著名な評論家まで“何故プロに入らずに大学に行く必要があるのか?優秀な素質が勿体無い。”との批判が続出したが、果たしてこの人達は本当に平山自身の事を考えて発言したのだろうか?彼が大学を辞めたのは残念だが、みんなが“平山相太”になれはしないのは事実だ。そして大学サッカーのレベルを上げようと考える人達はごく僅かだ。そんな風潮が始まりだした時、1995年福岡で開催されたユニバーシアードでは決勝戦で韓国を破り初優勝を収めた。これは特筆すべき歴史事象であった。アトランタ五輪の前年、そしてフランスワールドカップの3年前の出来事だった。 

 ほとんどの学生スポーツがそうである様にサッカーも関東勢が優位だ。21年前の1985年大会では大阪商業大学と大阪体育大学が決勝戦で対戦。死闘は130分でも勝負が着かず(前後半45分。延長前後半15分。そして再延長10分)関西勢で優勝を分け合うと言う夢の様な出来事であった。しかしインカレで関西勢が優勝を果たしたのはこの年が最後。以降は関東勢の軍門に降り続けている。兎に角何でもいいから打倒関東を果たしてくれないものかと思い続けていたがアメリカンフットボールを除いて殆どの競技で関東勢の優位は揺るがなかった。ならば打倒関東は自らの手でと臨んだインカレは(サッカーじゃないけど)関東勢の強さを再確認させられるだけであった。 
 しかし、学生時代はサッカー部との交流も思い出の一つだ。私の母校のサッカー部は在学中に一時関西リーグの2部で2位に入り、1部リーグ入りを掛けて立命館大と入れ替え戦を戦うにまで至った時があった。残念ながら1部入りは果たせなかったが、同好会の様なレジャースポーツ的な仲良しクラブばかりの体育会の中でサッカー部は競技性を追求するクラブとして一目置いていた。そして次第に彼らとはお互いを認め合う仲となり、こちらが練習試合やリーグ戦を見に行く様に。そしてこちらが関西でも上位入賞を果たし全国レベルになって来るとサッカー部の“後輩達”が“先輩みたいに成りたい。”と行ってくれる様になった。こういうのを切磋琢磨するというのだろう。 
 またアルバイト先にも当時関西大学リーグ1部であった京都教育大学サッカー部の選手がいてすぐに親しくなり、試合を見に行く仲にもなった。そして彼からも関東勢のレベルの高さを聞いた事がある。
 今年も全国から24の大学がそれぞれの地域リーグで規定の順位内に入りインカレに進出して来た。そして4大学ずつ6つの組に分けられ総当りを行い上位1位校と2位の中で成績の良かった2校が準々決勝に進むと言う昨年末のアジア大会と同じフォーマット。リーグ戦は昨年末に関東のみならず、関西、東海地区で分散して開催され準々決勝からは西が丘、市原臨海競技場で開催され決勝戦は国立競技場で行われる。
今年はベスト8には関西からは関西大学と立命館大学が進出した。この2校は今シーズンの関西学生リーグの上位2校だ。昨年はこの2校と関西学院大が8強に残った。関学大は高校サッカーで準優勝した作陽高校のエース村井君が進学する。 毎年夏に大阪で総理大臣杯が開催されるが、昨夏は立命大が優勝を収めた。その立命大は、インカレでは早稲田大学に準々決勝で 1-4 と完敗。しかし関西大は関東学生リーグ3位の明治大学を 2-1 で降しベスト4に残った。明治大は今シーズン関東学生リーグでは後期10勝1分けと好成績を収め、その明治を試合内容ではかなり圧倒しての勝利だったらしい。 準決勝の相手は駒澤大学。関東リーグでは2位。そして過去のインカレでは同じ準決勝で 0-1 で敗れている。そしてインカレでは2連敗中の相手だ。今シーズンは明治大戦まで22連勝中との事。このまま連勝を伸ばして欲しいところだ。
 綺麗に手入れされた西が丘競技場のピッチ。1989年にはここでワールドカップ予選の試合が行われ日本がインドネシアを 5-0 で一蹴したがグランドコンディションが最悪で試合後“ここは本当にFIFA の査察を受けたのか?”とインドネシア監督に記者会見で言われてしまった。そしてそこに両校の選手が入場して来た… 続く


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (daikubo)
2007-01-13 16:12:06
はじめまして。自分はフットサルをやっていますが、もしよろしければチームのブログにいらして下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/daikubo335 
また、トラックバックとかリンクとかしていただけると幸いです。よろしくお願いします。
返信する

コメントを投稿