Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

憧れの高校サッカー決勝戦

2007-01-08 | 五輪 U-20, U-17
前日、前々日とはうって変わっての晴天の下、第85回全国高校サッカー選手権大会決勝戦が国立競技場で開催された。今日は成人の日、お休みと言う事で観客席も満員。高校サッカーの決勝戦でスタンドが満員になりだしたのは昭和58年度大会あたりから。そのカードは帝京高校対清水東高校。連覇を狙う清水東は前年度の中心選手、長谷川、大榎、堀池の3選手が残り、それに加えてFWに武田がいると言う豪華メンバー。帝京も後に全日空から横浜フリューゲルスに入団し、一時は代表のエースストライカーでもあった前田がいた。
以降、ほとんどの大会の決勝戦は満員となっている。 80年代に入っても日本代表はしばらく低迷を続け、サッカーと言えば全国高校サッカーと連想する人が最も多かった。あの“うつむくなよ、振り向くなよ~♪”のテーマ音楽に乗って。従ってサッカーイコール高校生までのスポーツで、大学になってもサッカーやスポーツをしている連中は “スポーツ根暗” ましてや日本リーグの様に“社会人”にまでなってスポーツをする大人は“頭がおかしぃんじゃないの?”が世の、特に女性たちの反応。 現役でプレーする選手達でさえ身内や職場以外からはこういう見られかれ方をしていたので、ましてや日本リーグの試合観戦に出かけていた我々はどういう見方をされていたか想像出来るだろう。それが90年代、Jリーグが発足する直前まで続いた。ブラジルからKAZUが帰国しても状況はすぐに好転しなかった。スポーツを見下していた女性達が母親になり、サッカーの少年団や野球のリトルリーグに我が子を入団させ髪を振り乱し発狂しながら声援を(たまに悲鳴に聞こえる)を送るのを観ていると非常に滑稽だ。 

我が母校、京都西高校のサッカー部はかつて日本代表のゴールを守った松井清隆先輩が在籍したが、(私は少し話をした事がある。)それでも私が高校時代は京都府予選でも3回戦で敗れる程度であった。サッカー部には友人も多かったので何度かインターハイや京都総体の試合を観に行ったことがある。そこで感じたのは、対戦相手の公立高校、男女共学高校の華やかさであった。こっちは男子校、どうがんばっても黄色い声は飛んでこない。対戦相手校を応援する女の子や女子マネージャーなんかを遠くから見て“いいなぁ。うらやましぃなぁ。”と思ったものだった。 西京極競技場に京都府対大阪府の高校選抜の親善試合をサッカー部の友人に誘われて観に行った事もある。残念ながら母校のサッカー部からはメンバーは選ばれなかったが大阪高校選抜には中学時代の友人と1年後輩が3人出ていた。この試合には将来のJリーガーが二人いた。洛南高校の草木は高校卒業後ヤンマーに入団し日本代表にも選ばれ、Jリーグ発足後はガンバ大阪でもプレーをした。そして北陽高校に久高がいた。惜しくも癌で亡くなってしまったが、卒業後は松下電器に入団し、ガンバ大阪、セレッソ大阪でもプレーした。他に東山高校に田村と言う後に日本鋼管に入団した選手がいた。 中学時代の同級生の活躍はともかく、まだ改装前の古びた石段のスタンドには女の子がけっこう目についた。きっと選抜メンバーの彼女達だろう、とは一緒に見に行った高校サッカー部の友人が言っていた。なんだか同じ高校生なのにえらく差をつけられているような気がした。いや、差をつけられていたのだ。スポーツのレベルも、女の子も。大学に入学して陸上競技を始め結構頑張ったのだが、スポーツの競技レベルが上がれば女の子の注目を浴びるのと言う現象は高校生までという事がその時になって初めてわかった。

今年の全国高校サッカー選手権大会の決勝戦も多くの人の関心が寄せられたことだろう。 大会を通しても色々話題があった。晴天の下で行われた決勝戦は盛岡商が逆転で初優勝を飾った。試合終了後に勇退される斉藤監督がインタビューされ、ジ~ンと来た。昨年、同じ岩手県の遠野高校に次いでの決勝進出。これで岩手県もサッカー列強県の仲間入りか? 1点を先制され、PKを失敗する流れの中でよく逆転勝利に繋げたと思う。それは決勝戦が45分ハーフであったと言う事も寄与するだろう。そして2得点とも左サイドの突破から。特に同点ゴールは投入されたばかりの大山君が左サイドから切れ込み、そのクロスを最後はPKを失敗した林君が決めたもの。これで一気に盛山商の選手は生き返っただろう。逆転ゴールは40分。左サイドを今度は成田君が突破し、入れたクロスを準決勝を累積警告で出場できなかったFW東館君がスルーし、走りこんだ千葉君が決めた。この40分と言う時間。決勝戦が45分になった事が盛岡商に味方をした事になるが、斉藤監督が20km走を練習メニューに入れたりして持久力をアップさせた事が優勝に結び付けた。逆転してからも盛山商の運動量は落ちなかった。 敗れた作陽高校。野村監督は選手時代(鹿児島実業)に続いての準優勝であったが、まだまだチャンスはあると思う。エースの村井匠君が後半開始からプレーをしたが怪我で十分にプレー出来なかったのが痛かっただろう。それでも先制点は彼の見事なボールキープとミドルシュートの跳ね返りを桑元君が押し込んだもの。卒業後は関西学院大学に進学するとの事。関学大は関西では一番偏差値の高い私立大学。さすが文武両道選手。関西学生サッカー界を押し上げてくれぃ。 

今大会も前回も決勝戦には関東勢は残れなかったが、これまで関東勢の快進撃には少し不満を抱いていた。(別に私が関西人だからというわけじゃないが。)首都圏開催になり西が丘、駒沢の東京のみならず、駒場、さいたま、三ツ沢、などの関東一円で試合が行われるのだが、東京都の高校が入ったブロックが西が丘や駒沢で試合を行い、埼玉県の高校が入ったブロックが駒場、さいたまスタジアムで試合を行い、神奈川県代表の入ったブロックが三ツ沢で試合を行う。千葉県代表もそうだ。公平の為にも埼玉県の代表が三ツ沢で、東京の代表がさいたまスタジアムで試合をしてもいいのではないか?またこうした開催競技場の事情が関東勢優位を少なからず助けたのではないか? 

しかし、両チームの選手が涙に暮れる決勝戦はいつも感傷的になる。感涙にそして悔し涙に。そしてスタンドには多くの3年生が同級生や後輩たちに声援を送っていた事だろう。彼らこそ卒業後も競技を続けて欲しい。注目度は下がるかもしれないが、まだまだチャンスはあると思う。それに今はスポーツ選手の見られ方が飛躍的に良くなっているから。
甲子園に高校サッカー、全国大会でも地方大会でも敗れた方の選手達やスタンドに目が行ってしまう。

今はもうこういう大会は観戦するだけだ、小学校5年生の子供に期待するか?でもレギュラーになれるかなぁ…?


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1 コメント

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こんばんは。 (追っかけタイ!)
2007-01-10 18:09:50
Mr.コンティさん。
初めまして。追っかけタイ!です。

深い洞察、鋭い意見感心いたします。
Mr.コンティさんはよく研究しているというか、データに基づいた記事はすごいと思います。

今後もお邪魔させていただきますね。
TB失礼いたします。
ありがとうございました。
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