Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Scotland 3大会連続の......

2009-09-27 | 夏季五輪

9月9日 Scotland Glasgow Hampden Park  オランダは既に予選を突破していたがほぼベストメンバーを組んできた。 スタメンは全て9月5日に行われた日本戦に出場した選手。
一方のScotland は負傷で出られなかった GK Craig Gordon に替って起用された David Marshall と MF の Steven Naismith 以外は全て 9月5日のマケドニア戦に出場した選手。

開始4分にはオランダ Wesley Sneijder のヒールパスを受けた Kuyt が強烈なショットを放つ。怪我で出場できないCraig Gordon に替って出場した David Marshall はファーサードに飛んだ弾道をただ見送るばかりだったが、ボールはクロスバーを叩きそのままゴールラインを割った。  Van Persie はその後 Darren Flercher へのチャージで警告を受けるがこれは11日前の Manchester United 対 Arsenal の延長に思えた。 
11分には Scotland が決定機を迎える。 Alan Hutton のクロスはファーサイドの Scott Brown に向かって飛ぶがジャンプ一番ヘッドで捕えたがポストの左に外れて行った。 オランダは Sneijder, Robben が連続してシュートに持ち込むが Marshall がファインセーブで防ぐ。 15分には Miller が Joris Mathijsen を振り切り上げたクロスに Brown が走り込みボレーを放つがクロスバーを叩いた。その1分後、 Scotland は更に決定機を掴む。 Naismith が弾道の低いライナーのショットを放つと GK Michael Vorm が弾く。そのこぼれ球に Miller が詰めるが4ヤードの位置から放ったシュートは Vorm の手に収まってしまった。 その直後、今度はオランダがビッグチャンスを迎えた。  Sneijder のCK に Kuyt が走り込みフリーでヘッドを放つ。しかし2ヤードの位置から放たれたヘッドはクロスバーを越えてしまった。 前半終了間際には両チームが1回ずつチャンスを迎える。 まずオランダが Sneijder のボールを受けた Robben が Hutton をかわしてシュートに持ち込むが GK Marshall が弾き出す。 そして Scotland は Miller が Naismith のゴール前に通したパスを Vormが掴む前に撃ったシュートが僅かにそれた。
後半に入りこの日何度もチャンスを逸した Miller が10ヤードの位置からフリーで放ったシュートはまたも Vorm に阻まれた。そして82分、51,230人以上集めた Hampten Park が静まり返る時間を迎える。 ゴール前に放り込まれたロビングは Scotland DF David Weir がかぶってしまい、そこに走り込んだ 途中出場の Elia がループ気味に撃ったシュートは Marshall は止められずオランダに均衡を破られた。そしてもう Scotland には追いつく力は無く、ノルウェーがホームでマケドニアを 2-1 で破った為グループ3位が決定。 3大会連続での地区予選敗退が決まってしまった。

試合前から Scotland Football Association の George Peat 会長は“グループ2位以内に入れなければ完全な失敗以外の何物でもない。” と語ったが、 George Burley 監督は続投を志願したとか。

“全ては SFA の決定によるが、私は次の試合が楽しみだ。 ワールドカップに出られない事は受け入れがたい事だが、我々は一定の改善は見いだせた。私自身、監督としてそして選手達も。最後の2~3試合、選手達の予選突破への執念を見た。選手達の態度やコメントからもチームがビルドアップされ前進してきた事が見受けられた。 我々はこの試合から何かを得られたと思う。だから試合終了後観客達は拍手を持って我々を迎えた。そして選手達はプライドを持って退場していった。”

しかしオランダ戦の約1か月前の8月12日、アウェーのオスロ Ullevaal競技場で2位争いの当面のライバルであったノルウェーに 0-4 で完敗した事がこの結果を暗示していたとも思われる。
かつては英国4協会の中で連続して欧州地区予選で敗退した England に替り唯一1974, 1978 年大会は予選突破を果たした Scotland だった。しかも当時は出場枠が今の半分の16 の時代だ。その Scotland が1998年のワールドカップフランス大会以来、欧州選手権を含めて6大会メジャー大会に出場出来ていない。出場枠が広がったにも関わらず。何故 Scotland はこんなに弱体してしまったのだろう…

1974 年から1978 年のワールドカップメンバーの所属先を調べてみた。すると面白い事が解った。

1974年西ドイツ大会
Leeds United : David Harvey, Willy Bremner, Joe Jordan, Peter Lorimer,
Gordon McQueen,
Manchester United : Jimmy Holton, Martine Buchan, Willy Morgan
Liverpool : Peter Cormack Manchester City : Willy Donachie Dennis Law,
Coventry City : Tommy Hutchison Rangers : William Jardine,

Celtic : Daniel McGrain, Jimmy Johnston, Kenny Dalglish , David Hay
Rangers : William Jardine

Coventry City とLeeds United は当時は1部リーグ ( 今の Premiership ) に所属しており Leeds United は 1970-71 から2シーズン連続で2位になり、1973-74 のシーズンでは26試合無敗記録を樹立して優勝し翌シーズンの Europe Champios Cup では決勝まで進出( Bayern Munchen に敗れる ) したほどの強豪であった。

1978年アルゼンチン大会
Coventry City : James Bryth
Manchester United : Martine Buchan, Gordon McQueen, Joe Jordan, Lou Macari, Manchester City : William Donachie, Asa Hartford, Liverpool : Kenny Dalglish , Nottingham Forest : Kenneth Burns, Archie Gemmill, John Robertson,
                            Graeme Souness
Rangers : William Gardine, Thomas Forsyth, Derek Johnston

Nottingham Forest は 1977-78 シーズンの覇者で翌シーズンから2シーズン連続で Europe Champions Cup のタイトルを手にした程の強豪だった。

1982年スペイン大会
Arsenal : George Wood
Aston villa : Alan Evans
Ipswich : Alan Brazil, John Wark, Geroge Burley
Leeds United : Frank Gray
Liverpool : Graeme Souness, Alan Hansen, Kenny Dalglish
Manchester City : Aisa Hartford
Nottingham Forest : John Robertson
Tottenham : Steve Archibald
AC Milan : Joe Jordan
Celtic : Danny McGrain, David Provan

Ipswich Town FC はこの頃 Manchester United や Liverpool と優勝を争うほどの実力があり、1977-78 には FA Cup のタイトルを勝ち取り 1980-81 から2シーズンリーグでは2位であった。そして1980-81 のシーズンには UEFA Cup で優勝している。 Aston Villa は1981-82 のEurope Champions Cup の覇者だった。

上記の様に England の主要クラブに所属する選手が多く、彼らは Dalglish や Souness の様にその所属クラブでも中心選手であった。

今回のワールドカップ予選の最後の3試合 ( Norway, Macedonia, Holland ) でベンチ入りを含めてメンバー入りした選手はのべ26名いた。Scotland Premier League の Celtic と Rangers でプレーする選手達は下記の通りに多数いた。

Celtic , DF Gary Caldwell, Stephen McManus,  MF Scott Brown, Shaun Maloney

Rangers, GK Neil Alexsander DF Steven Whittaker, David Weir, FW Kenny Miller, Steven Naismith

しかしPremiership の主要クラブに所属していたのは DF Alan Hutton ( Tottenham ) と MF で主将の Darren Fletcher ( Manchester United ) の二人だけだった。他には Birmingham City が3人、 Burnley が2人そして Wolverhampton が1人であった。

1970年代と今では色々事情が異なる。当時は今とは異なった外国人枠があり、イタリアなどは外国人枠が再び設けられたのはワールドカップアルゼンチン大会終了からだ。またアフリカや東欧の選手達を経済的や政治的な変化からスカウトし易くなり Scotland からの“需要”が少なくなったことも一因だろう。 
1986年のワールドカップメキシコ大会ではあの Alex Ferguson が指揮を執ったがこれは前年の欧州地区予選の最終戦でアウェーの Wales 戦後に心臓発作で倒れ、そのまま亡くなってしまった Jock Stein 監督の後を継いだものでその後の Australia とのプレーオフから指揮を受け継いだ。

10月10日来日する Scotland 代表はどういう顔ぶれなのだろう…..

1995年キリンカップで来日した Craig Brown 監督率いる Scotland とは 0-0 の引き分けだった。その時のメンバーには DF カルダーウッド ( Tottenham ) FW W.マッキンレー ( Blackburn Rovers ) , J スペンサー ( Chelsea ), MF G. バーリー ( Chelsea ) , D ジャクソン ( ハイバーニアン ) と云った翌年欧州選手権に出場した選手が5人含まれていた。あのウェンブリーで England と歴史的な試合を行う12日前だった。

今や Scotland は欧州の中では完全に“射程距離内”になっている。 中村俊輔の大活躍で日本サッカーの存在を良く知る地元の人達も増えたと思うが、30年間の両国間の接近を地元の人達はどう思っているだろうか…… 

  

( 最上段の写真のシーンは先日の Scotland vs Holland 戦のものではございません。) 


Melbourne での掘り出し物

2009-09-27 | Aussie & Kiwi
約3カ月ぶりで訪れた Melbourne 。ここに来た時は必ず寄るところがある。
街の中心街を走っている Flinders Street を少し歩いて行くとMelbourne Cricket Ground が見えるところに1軒の本屋がある。スポーツ関係の書籍を専門店でここはオーストラリアのマニアの間でちょっと有名らしい。
私が来た時も遠方から来られた馴染みの方がおられ、店長さんと仲良く話し込んでいた。
私も年に数回しか来られないのだが店長さんは覚えていてくれて、6月のワールドカップ予選の前日はここで翌日の試合に就いて1時間近く話し込んでしまった。
彼の話だと A-League 発足後ずいぶんとサッカーファンが増えたらしいが、発足してから数カ月後に32年ぶりのワールドカップ出場を決め、更にワールドカップでは決勝トーナメントに進出するなど今オーストラリアのサッカー人気は追い風が吹きその風は“台風並み”だったそうだ。
前に1974年西ドイツ大会の時に日本の専門誌に掲載された Socceroos の写真をコピーしてあげたりすると
“ I’m almost crying !! “ と大変喜んでくれた。
ここには70年代のオーストラリアサッカーを知る人達も訪れるらしい、一度その人達と私を引き合わせたいと言ってくれた。

今回の話の話題は年末に行われるワールドカップの組み分け抽選。
“この前みたいに日本と同じ組になる事はない。今まだ世界各地では予選が行われているが、アルゼンチン、フランス、ポルトガルが苦戦している。強豪が消えてくれればオーストラリアにもチャンスが生まれてくる。”
こう言っていた。
“前回のオーストラリアは見事に決勝トーナメントに進んだ。しかし日本だって最後の8分間を凌いでいればチャンスだったんだけど…”
まぁ終わった事を言っても仕方がない。今回も話は尽きない。 A-League そして Asia Champions League…..
名古屋に行った Kennedy はどうしている….
店長さんはあらゆるスポーツに精通されており、何とか鈴鹿で開催される F1 に観戦に行ったさいに J-League の試合を観たい、出来れば Kennedy のいるグランパスも一緒に観たいけど鈴鹿と名古屋は近いか….とも訊かれた。
鈴鹿と名古屋は近いけど上手くスケジュールが合えばいいけど、J-League は東京付近にもチームが多いからホームでなくてもスケジュールさえ合えば…….ってな話をした。

そしてここに来る楽しみは何といてもレアーな“文献”を探しだす事。今回は結構な掘り出し物があった。
尊敬する Johnny Warren と Andrew Dettre が監修する Soccer in Australia という写真集だ。
ここには Warren が出場した3大会に渡るワールドカップ予選の模様が写真と Warren のコメント入りで紹介されている。そのコメントの中には試合の様子が詳細に書かれており、ゴールを決めた選手がオーストラリアのみならず対戦国の選手の名前まで詳細に…..
もっとも有難かったのは1965年11月13日と21日にカンボジアのプノンペンが行われたアジア・アフリカ地区予選の唯一(実際には2試合)の試合、朝鮮民主指示人民共和国との試合も写真付きで紹介されていた事だ。
当時の国家主席シアヌーク殿下が試合前に両チームの選手達に挨拶をしている写真もあった。
う~ん、涙が出そうなほどの掘り出し物だった。

そして1996年 Sydney と Brisbane で行われた The International Travellers vs The True Blues という試合のプログラムもあった。
これは当時海外でプレーしいていたオーストラリアの選手達 ( The International Travellers ) が国内リーグ National Soccer League 選抜の選手との“オールスターマッチ”だった。
International Travellers には Aurelio Vidmar ( 現 Adelaide united 監督: 当時 Sion Switzerland 所属 ) Mark Bosnich ( 当時 Aston Villa , 現解説者 ) Zeljko Kalac ( 当時 Leicester City , 現 AC Milan, 2006年ワールドカップメンバー ) らの名前があり、 Lucas Neil, Paul Agostino そして Mark Viduka と云った今でも顔なじみの選手達の名前があった。NSL 選抜となる The True Blues の中にも Paul Wade, Frank Farina と云ったベテラン選手達そして Tony Popovic, Craig Foster, Clint Bolton らの名前がある。あぁこの試合のビデオないかなぁ……

前にも1998年2月に開催された Optus World Series のプログラムを見つけたのもここだった。
1997年11月に MCG の悲劇でイランと引分けワールドカップ出場が叶わなかったオーストラリア協会が“再出発”とシドニー五輪に向けての強化の一環として日本、韓国、チリを招いて国際試合3連戦を組んだ。日本代表の紹介ページには“ King KAZU “ が大きく取り上げられていた。そして12年前の岡田監督….若いなぁ…..
日本代表は2月15日に Adelaide の Hindmarsh Stadium で試合が組まれ 3-0 で勝っている。ただこの時のオーストラリアは若手主体と云うよりも“国内組”主体で Kewell, Viduka と云ったシーズン真っ最中の欧州ベースの選手がいなかった。

代金を支払おうとするも店長さんは受け取ってくれない。 “日本からはるばるやって来てくれた。その上、写真やDVD(オーストラリアがらみの昔の試合)を持って来てくれた…..
私が上げたものは元手がかかっていないから支払いは受けてくれよ……..

結局私の支払いは受け取って貰えず、日本に来る時は事前に必ず連絡をくれる事と次回私が Melbourne に来た時は必ず立ち寄る事を約束し店を後にした。

帰国したら神保町を回ってみよう。そしてオーストラリア関連の資料を探そう…次回の訪問までに…..
そして国会図書館にも行こう……..

温暖化が感じられる暖かい Melbourne の夕暮れを歩きながらそう想った…….