第4戦 10月20日 後楽園球場
中 日100002000=3 金田 1勝
ロッテ000303000=6 渋谷 1敗
本塁打:高木1号(金田)マーチン1号(金田)弘田2号(渋谷)有藤2号(渋谷)
前日の公式有料入場者数は3万に及ばず興行的な面が危惧されたが、この日は4万3千以上の観衆が集まった。中日は高木守道が初回先頭打者本塁打で先制。これで中日が4戦連続先手を取った。しかしロッテはシリーズ初先発の稲葉から4回先頭打者の得津が歩くと、山崎、弘田の連打で同点し稲葉を降板させた。続く水谷からも有藤、ラフィーバーが連打。都合4連打で 3-1 と逆転。中日は6回、遂に4番マーチンが1号ソロホームランを放ち、大島、木俣の連打で同点に追い付く。尚も好機は続いたが広瀬、代打ウィリアムスの後続が成田に討ち取られ逆転には至らず。すると直後の6回裏替わったばかりの4番手渋谷から弘田、有藤の連続ホームランと1番岩崎のタイムリーで3点を追加する。ロッテは好機に投手に打順が巡りそこで2併殺を喫したが、金田監督はこの試合から岩崎を1番に置き、弘田を5番に据えた。その采配が当りそれぞれの打順で好機が巡り両者で3打点を叩き出した。守っても金田の後を受けた村田が3回を1安打に抑える好投でシリーズを2勝2敗のタイとした。金田留広が勝利投手となり兄である金田監督と兄弟で日本シリーズの勝利投手となった。
第5戦 10月21日 後楽園球場
中 日000000000=0 木樽 1勝
ロッテ100000010=2 鈴木 1勝1敗
これまでとはうって変っての白熱した投手戦。初回ロッテは先発鈴木から先頭の岩崎が出塁。2番飯塚が送った走者を3番得津の適時打で還すと言う中日のお株を奪う攻めで先制。
しかし鈴木孝正も2回以降は快速球でロッテ打線に追加点を許さない。だがそれ以上に好かったのはロッテ先発の木樽。かつての20勝投手の前に凡打の山を築き2安打完封を許す。ロッテは7回に村上の貴重なスクイズで2点目を挙げ王手をかけた。
中日は前日負傷でベンチに下がった高木守道が使えず1番には藤波を入れ、島谷を2塁手に回したが高木の穴は埋められなかった。
第6戦 10月23日 中日球場
ロッテ0100100001=3 村田 1勝1敗
中 日0010000100=2 星野 1勝2敗
本塁打:千田1号(松本)大島1号(村田)
後が無い地元名古屋に戻った中日は高木を1番に復帰させ第4戦で好投した松本に全てを託す。一方のロッテは遂に村田が先発のマウンドに。2回にロッテは山崎が2塁打で出ると弘田が先制打を放つ。一方中日は3回に3本のヒットで1死満塁と先発村田を攻め、木俣の犠打で同点に。尚もチャンスは続き与那嶺監督は早くも島谷に替えて江藤を代打に送るが内野ゴロで逆転はならす。するとロッテは5回に千田の本塁打で追加点を上げ、続く江島、山崎の安打でさらにチャンスを広げる。ここでバッターはシリーズ大当たりの弘田。そして与那嶺監督はこれまで連続KOの星野仙一を3試合の投入。ここは弘田を併殺に討ち取り星野に軍配が。6回には中日大島の本塁打で同点とする。村田は大島までの5打者を連続三振に打ち取っていたのだが。後に星野、村田の緊迫した投手戦が続いたが、10回表1死2塁の好機に巡ってきた弘田が今度は勝ち越しのタイムリーを放ち5回の雪辱を。その裏村田は3人でそして最後の打者を三振に討ち取り、日本一の栄誉を手に入れることとなった。村田は全10インニングに毎回三振を達成。毎回三振は以降81年にジャイアンツの西本が達成したがその試合は9イニングスであった。
このシリーズロッテは木樽が完封、村田が完投を果たしたが中日投手陣では完投者はいなかった。ペナントレースでもリリーフエース的に使われた星野仙一が同様の使われ方をしたが調子が芳しくなくそれが敗因の一つでもあった。投手コーチの近藤貞雄は完全分業制を敷き8年後に監督として日本シリーズに出た時も完投した投手はいなかった。 MVP は10安打7打点の弘田が選ばれた。弘田は11年後に阪神のユニフォームを着て再び日本シリーズに登場する事になったが、ロッテは以降31年日本シリーズへの出場をまたねばならなかった。胴上げされる金田監督を見て“すぐにでも巨人と金やんロッテが日本シリーズで顔を合わせるだろう”と子供ココロに想像していた。だがまだその願いは叶っていない。
中 日100002000=3 金田 1勝
ロッテ000303000=6 渋谷 1敗
本塁打:高木1号(金田)マーチン1号(金田)弘田2号(渋谷)有藤2号(渋谷)
前日の公式有料入場者数は3万に及ばず興行的な面が危惧されたが、この日は4万3千以上の観衆が集まった。中日は高木守道が初回先頭打者本塁打で先制。これで中日が4戦連続先手を取った。しかしロッテはシリーズ初先発の稲葉から4回先頭打者の得津が歩くと、山崎、弘田の連打で同点し稲葉を降板させた。続く水谷からも有藤、ラフィーバーが連打。都合4連打で 3-1 と逆転。中日は6回、遂に4番マーチンが1号ソロホームランを放ち、大島、木俣の連打で同点に追い付く。尚も好機は続いたが広瀬、代打ウィリアムスの後続が成田に討ち取られ逆転には至らず。すると直後の6回裏替わったばかりの4番手渋谷から弘田、有藤の連続ホームランと1番岩崎のタイムリーで3点を追加する。ロッテは好機に投手に打順が巡りそこで2併殺を喫したが、金田監督はこの試合から岩崎を1番に置き、弘田を5番に据えた。その采配が当りそれぞれの打順で好機が巡り両者で3打点を叩き出した。守っても金田の後を受けた村田が3回を1安打に抑える好投でシリーズを2勝2敗のタイとした。金田留広が勝利投手となり兄である金田監督と兄弟で日本シリーズの勝利投手となった。
第5戦 10月21日 後楽園球場
中 日000000000=0 木樽 1勝
ロッテ100000010=2 鈴木 1勝1敗
これまでとはうって変っての白熱した投手戦。初回ロッテは先発鈴木から先頭の岩崎が出塁。2番飯塚が送った走者を3番得津の適時打で還すと言う中日のお株を奪う攻めで先制。
しかし鈴木孝正も2回以降は快速球でロッテ打線に追加点を許さない。だがそれ以上に好かったのはロッテ先発の木樽。かつての20勝投手の前に凡打の山を築き2安打完封を許す。ロッテは7回に村上の貴重なスクイズで2点目を挙げ王手をかけた。
中日は前日負傷でベンチに下がった高木守道が使えず1番には藤波を入れ、島谷を2塁手に回したが高木の穴は埋められなかった。
第6戦 10月23日 中日球場
ロッテ0100100001=3 村田 1勝1敗
中 日0010000100=2 星野 1勝2敗
本塁打:千田1号(松本)大島1号(村田)
後が無い地元名古屋に戻った中日は高木を1番に復帰させ第4戦で好投した松本に全てを託す。一方のロッテは遂に村田が先発のマウンドに。2回にロッテは山崎が2塁打で出ると弘田が先制打を放つ。一方中日は3回に3本のヒットで1死満塁と先発村田を攻め、木俣の犠打で同点に。尚もチャンスは続き与那嶺監督は早くも島谷に替えて江藤を代打に送るが内野ゴロで逆転はならす。するとロッテは5回に千田の本塁打で追加点を上げ、続く江島、山崎の安打でさらにチャンスを広げる。ここでバッターはシリーズ大当たりの弘田。そして与那嶺監督はこれまで連続KOの星野仙一を3試合の投入。ここは弘田を併殺に討ち取り星野に軍配が。6回には中日大島の本塁打で同点とする。村田は大島までの5打者を連続三振に打ち取っていたのだが。後に星野、村田の緊迫した投手戦が続いたが、10回表1死2塁の好機に巡ってきた弘田が今度は勝ち越しのタイムリーを放ち5回の雪辱を。その裏村田は3人でそして最後の打者を三振に討ち取り、日本一の栄誉を手に入れることとなった。村田は全10インニングに毎回三振を達成。毎回三振は以降81年にジャイアンツの西本が達成したがその試合は9イニングスであった。
このシリーズロッテは木樽が完封、村田が完投を果たしたが中日投手陣では完投者はいなかった。ペナントレースでもリリーフエース的に使われた星野仙一が同様の使われ方をしたが調子が芳しくなくそれが敗因の一つでもあった。投手コーチの近藤貞雄は完全分業制を敷き8年後に監督として日本シリーズに出た時も完投した投手はいなかった。 MVP は10安打7打点の弘田が選ばれた。弘田は11年後に阪神のユニフォームを着て再び日本シリーズに登場する事になったが、ロッテは以降31年日本シリーズへの出場をまたねばならなかった。胴上げされる金田監督を見て“すぐにでも巨人と金やんロッテが日本シリーズで顔を合わせるだろう”と子供ココロに想像していた。だがまだその願いは叶っていない。