Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

南米予選 オーストラリアとの対戦相手は??

2005-10-12 | Football 北米 南米 
本日10月12日、世界各地で開催されるワールドカップ予選で更に3カ国の予選突破国が決まり、11月のプレイオフを経て参加32ヶ国が出揃う。南米予選では前節の予選5試合でパラグアイ、エクアドルが前回に続いての連続出場を決め、あとはオーストラリアとのプレーオフに臨む1ヶ国を巡る争いになった。
最終節を残して5位争いはウルグアイが勝点 22 でコロンビア、チリを1勝点リードしている。最終戦はホームモンテビデオにアルゼンチンを迎える。ここモンテビデオではウルグアイは滅法強くアルゼンチンとてここ50年程勝星を挙げていない。アルゼンチンを破れば、他国の結果に関係なくプレーオフ進出を決められる。前回に続いて2大会連続でオーストラリアとのプレーオフが実現するかもしれない、が今のアルゼンチンとの力の差を鑑みれば勝点3を上げる事は容易ではない。しかも、ここ20年間では3度モンテビデオにアルゼンチンを迎えたが黒星こそ無いが3引分で勝利は無い。最後にアルゼンチンから勝利を挙げたのは 1989 年ブラジルで開催されたコパアメリカ以降16年間10試合無くこの間5敗5分だ。
そうなるとチリ、コロンビアにチャンスが訪れる。チリはホームにエクアドルを迎える。1962年地元開催のワールドカップで3位に入賞以来3大会南米予選を突破したがその間未だ勝利が無い。1974年の前回のドイツでのワールドカップでは1次リーグでオーストラリアと対戦し 0-0 で引分けている。対戦する エクアドル は勝利が期待できるが得失点差で –4 と苦しい。しかも何故か試合開始時間が他の2会場よりの早いのではないか? 
こうなると、アウェィながら既に予選突破を決めているパラグアイとの対戦を残すコロンビアに最も可能性が残るか?チリとの直接対決も 0-0 1-1 で五分。そして得失点差が +7 で(ウルグアイは –6 ) この点では ウルグアイ チリ よりも優位に立てる。
かつて南米はアルゼンチン, ブラジル, ウルグアイの3強時代が続いた。本大会出場国数が拡大された82年以降に入ってもパラグアイ、エクアドルが本大会に進出する事は考えられなく、誰も期待はしていなかった。しかし、結局返上になったがコロンビアは 1986年の地元開催を目指して強化は続けており、パラグアイは1979年のコパアメリカで優勝して以来、ワールドカップにも顔を出すようになった。
その反面70年代に旋風を巻き起こしたペルーは80年代以降、82年スペイン大会に出場した以外は目立った成績は無く、先に行われた地元開催の FIFA U-17 では1次リーグで消えた。

どこが5位になっても個人的には Socceroos を応援するのだが…..

Ukraine Girl realy knock me out

2005-10-12 | EURO Football
日本代表東欧遠征の初戦、エストニア戦は 2-2 の引分けに終わった。2点を先制しながら追いつかれて引分けたという結果にマスコミは不満な様だ。勿論、代表監督も実際に戦った選手も満足はしていないだろう。2点のリードを守れない、格下に勝てないなどの批判の中、それほど悲観、非難する内容とも思えない。 エストニアは来年のワールドカップでは既に欧州予選落ちが決まってはいるが全くの格下であろうか?昨年はトルコを押さえて欧州選手権本大会に出場しており、14人の選手が日本戦にエントリーされた。そして西欧のクラブでプレーする選手も7人含んでいる。そしてゲームはホームのリガで行われた。日本は何故かこの時期にオールスター戦(私はサッカーのオールスターは本当にお祭り以外の何物でも無いと思う)と重なり宮本、大黒といった選手が合流していない。そして小野が怪我で離脱。これだけみてもゲーム自体がそれほど easy なものではなかったと言える。
明日12日に行われるウクライナ代表戦こそ、今の位置を測れる試合となるであろう。既に本大会出場を決めており、ワールドカップでは日本を含めアジアの国と同組になる可能性もあるから、彼らもこの試合には価値観を見出しているはずだ。
大エース、シェフチェンコ そしてブンデスリーガ、レーヴァークーゼンでプレーするボローニン、そして地元 ディナモ=キエフ の正 GK ショフコフスキー と欧州でもトップクラスの選手が揃う。 
ショフコフスキー や以前 シェフチェンコ が所属した ディナモ=キエフ はウクライナと言うよりも旧ソ連邦時代から ソビエトサッカー の中心と言えた。1982年のワールドカップスペイン大会、3大会振りに本戦出場を決めたソ連代表22名の中には8名のディナモ=キエフ所属の選手がいた。当時のソ連のエースは現在ウクライナ代表監督を務める オレグ=ブローヒン。1975年の欧州最優秀選手を受賞。1978年にソ連代表の一員として来日したが、膝を痛めておりその快足は少ししか披露出来なかった。しかしワールドカップでの初戦のブラジル戦では快足を飛ばしてブラジル DF を何度も振り切った。中継をしていた NHKのアナウンサーが “ブローヒン!ブローヒン!俊足ブローヒン!100m10秒台”と連呼していたのを思い出す。だが当時は他にも欧州カップ戦を制した事もある ディナモ=トビリシ からもシェンゲリア、チバーゼ等4選手が選出された事も特筆事項だ。次のメキシコ大会になると、ディナモ=キエフ所属の選手は12名と半分以上を代表に占めるようになる。そこにはベルギー戦でソ連史上初めてワールドカップでハットトリックを演じた 1987年欧州最優秀選手 ベラノフ やラッツ、クズネツォフ, ザバロフ らがいた。そして2年後の1988年欧州選手権。当時のソ連代表こそ史上最強のチームではなかったか?その中心は20名中11名を占める ディナモ=キエフ の選手達。先述の3選手に加えて、プロタソフ、デミヤネンコ、ミハイリチェンコ。そして名将 バレリー=ロバノフスキー 。準決勝のイタリア戦は史上最高のゲームで, ビアリ、マンチーニ, アンチェロッティ らのいた イタリア を気迫と運動量で圧倒。 2-0 と粉砕した。決勝戦こそ フリット、ファンバステン のオランダに敗れたが同年のソウル五輪で金メダルを獲得するなどイタリアワールドカップに期待が寄せられた。この時も ディナモ=キエフ の選手を9名含んでいたが、更に特筆べきはペレストロイカ の波が押し寄せ西側の門戸が開かれ 7名の選手が西欧クラブに所属していた。だがその政変が足を引っ張った。準備不足からソ連特有の鉄の規律がかげりだし、大会直前には中心選手の一員 ミハイリチェンコ が骨折で離脱。初戦のルーマニア戦を落とすと ディナモ=モスクワ所属の世界NO.1 GK リナト=ダサエフ が ウクライナ 偏重の ロバノフスキー監督を批判。以降の試合、ディナモ=キエフ所属の第二GK ウバロフ が登用されるなどチームは崩壊、1次リーグ敗退を余儀なくされた。そしてソ連邦崩壊直後のCIS 独立国家共同体として臨んだ1992年欧州選手権、ディナモ=キエフの選手はアフリク=ツベイバのみであった。しかし、20名中11名が既に西欧クラブ所属で、ディナモ=キエフ のエース であった、アレクセイ=ミハイリチェンコ は イタリア の サンプドリア を経て グラスゴー=レンジャーズ に所属していた。 
この様に1980年代からペレストロイカ時代まで旧ソ連邦サッカーを語るにはウクライナ、ディナモ=キエフを語らずして語れない。私も個人的に12年前商用で ウクライナ を訪問し、早朝に憧れの ディナモ=スタジアム 内をジョギングした事があった。ディナモスタジアム にはモニュメントがあるらしい。第二次大戦中、この地域を占領した ナチス=ドイツ チーム が ディナモ=キエフ と試合を行い、激戦の末 ディナモ が勝利を収めた。だが試合後 ナチス は ディナモ の選手7名を処刑した。その選手達の追悼らしい。映画“勝利への脱出”さながらのストーリーであるが、この試合事態、戦後ソ連共産党の作り出したプロパガンダとも言われている。何しろこの試合を観戦したと言う人が現れていないからだ。 
昨年末はオレンジ革命も起こるなど歴史に翻弄されたウクライナ共和国との一戦。どんな試合になるかが楽しみだ。