Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Johnny Warren

2005-08-15 | Aussie & Kiwi
2002年秋、彼の著書 "Sheilas, wogs & poofters" を手にした。彼のサッカー人生と当時のオーストラリアのサッカー事情を描いた自叙伝でカンボジアで行われたイングランドワールド杯予選での北朝鮮戦の事、その試合に向けて準備らしい準備が行われず、予選敗退が決まってから何試合か遠征試合が組まれたりとか、以降8年に渡り悲願のワールド杯出場権を手にするまでの道程や70年代終盤、ニューヨークコスモスの親善試合を誘致した時の事やその試合の様相。そして所属クラブSt.George Budapestの一員として日本に遠征した時の事も書かれている。その以前にオーストラリア代表選手として対戦した日本代表のエース Kunishige=Kamamoto の名前が出てきたのには驚かされた。Sheilas とはオーストラリア英語の俗語で娘と言う意味。wogs, poofters とはある地域で白人を蔑称する意味である。それは当時オーストラリアにおいて全く人気の無かったサッカーで後ろ指を差されながら世界の舞台を目指した当時の様子が濃縮されている様に思う。読んでいて感じたのはJリーグ発足前の日本に類似していると言う事で、異なっているのは彼はワールド杯に出場し、日本はプロリーグ発足後にその悲願が達成されたという事だ。
また、Ray Baartz と言う Johnny Waren と共にワールド杯予選を戦い、遂に韓国を破って出場権を手にしながら直前のウルグアイとのテストマッチで頚動脈を負傷し、本大会に出場出来なかった、当時のマット=バスビー,マンチェスターユナイテッド監督から契約を熱望されながら故郷に残した母親一人を置いて George=Best,Denis=Law そして Bobby=Charlton とプレーできないとオーストラリアでのプレーを決めた選手の事を取材する記事を偶然目にした。 どこの国にもサッカーはある、欧州、南米のみでは無いと改めて認識した。彼らの意思を継いで今年 Socceroos が予選に臨む。

オーストラリア HYUNDAI A-LEAGUE

2005-08-15 | Aussie & Kiwi
先日まで商用で訪れていた南半球のオーストラリア,ニュージーランドでの人気スポーツと言えば大抵の人々はまずラグビーを思い浮かべるだろう。現地にはラグビー留学に来ている邦人の学生や社会人も多い。オーストラリアではラグビーと言えば二つの異なったルールの元に League と Union と言う団体がある。日本でも人気のあるラグビーは Union と言われている。またオージーフットボールと言うラグビーより更に激しい球技も有り、丁度メルボルンのチームの練習に参加していた日本人の事を地元メディアも取り上げていた。それらの球技に次いで人気のあるのはクリケットでイングランド、インドといった旧英連邦諸国とのテストマッチのテレビ中継もよく目にする。但し私は全く解らないが。サッカー人気はそれ以降の4番手、5番手と言ったところで、ゲームソフトでもPlay Station 対応の "Rugby ( Team を造ろう?)"や"Cricket ( 監督をしよう?)" が販売されているが、サッカーものは皆無だ。オセアニア州は他の地域と異なり、経済的にもオーストラリア、ニュージーランドが突出しすぎており経済的な面以外でも、特にサッカーでは近隣諸国との切磋琢磨と言う事が不可能だ。従ってサッカーでは最も後進な地域と言わざるを得なく、既に承認されたが、オーストラリアの熱望するAFC入りも理解出来る。ただ、今年からこの地域ではある改革が始まる。これまでオーストラリア国内のプロサッカーリーグ N.S.L. ( National Soccer League )から韓国の現代グループがスポンサーになり HYNDAI A LEAGUE が発足する。これは7つのオーストラリアのクラブチームとNew Zeland Knight と併せた8チームで始まる新プロリーグだ。隣国ニュージーランドを入れるの Rugby Union の SUPER12 に追随してか。(但しSUPER12には南アフリカ共和国も入っている。)開幕は8月26日の新リーグ、日本にも馴染みの選手が。まず Sydney FCの監督はあのリィティーことリトバルスキー氏が指揮を取り、年末にはオセアニア代表として世界クラブ選手権の為に来日する。 また優勝候補 Perth Glory の中心選手 Hiroyuki Ishida はかつて清水、ベルディ、そしてシンガポールでプレーをした。豪州に渡り Perth Glory, Olympic Sharks そして再び Glory と既に当地には3年以上在籍する。かつて Liverpool で活躍した Steve MacMahon 監督の信頼も厚い。なぜなら石田は更に欧州にステップアップを考え、プロ選手として何をすべきかを理解しているからだ。たかがオセアニア地域とは言うなかれだ。日本が世界の舞台を遠くから見ていた70年代から80年代にオーストラリア( 1974年西ドイツ大会 )ニュージーランド( 1982年スペイン大会 )に既にアジア・オセアニア地区代表でワールド杯に出場している。そしてオーストラリアサッカーを語るに忘れてはならない選手がいた。それは昨年11月惜しまれて亡くなった元サッカールー(オーストラリアでは代表選手の事をこう呼ぶ。サッカーとカンガルーとの造語らしい。)Mr.Johny=Waren だ。