Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

東アジア選手権シリーズ 韓国との激闘 1

2005-08-06 | Football Asia
北朝鮮が韓国と引分けたので、日本の優勝の可能性がこれで消滅した。日韓最終戦でタイトルを争うと言う企画はこれで潰えたが、1972年、ソウルで行われたミュンヘンオリンピック予選の最終戦を思い出す。両国揃ってマレーシアに破れて既に予選敗退が決まった後の盛り上がりを欠いた最終戦であった。反対に北朝鮮、中国で優勝を争う様なことでるとそれは昨年日本で開催されたU-17アジア選手権の再現となる。アジアにおける韓国のサッカー史は大変秀でたものだ。前回ワールド杯 4位に始まり本大会には6大会出場。五輪では1988年ソウル五輪から5大会連続を含む7大会出場。アジアカップは優勝、準優勝2回ずつ。サッカーこそが祖国の国技、世界のベスト4。アジアでナンバーワンの実力と実績を誇るサッカー大国と国民は誇っていることであろう。日本は韓国に対して過去12勝と日本のマスコミは紹介しているがこれは正しくは無い。1992,1995 年のダイナスティ杯決勝はPK勝ちなので公式記録では引分けだ。しかも1995年の大会の韓国、中国から派遣されたチームは五輪チームであった。だから過去の勝利数は10勝とせねばならない。それに対して韓国は日本に対して36勝18引分け10敗。この戦績からは日本は韓国を苦手というよりも格が違うと言わざるを得ない。しかし、日本がそうであった様に70年代の韓国サッカー界は暗黒の時期であった。アジアカップでは1956年第1回香港大会、1960年第2回韓国大会に連続優勝。1948年ロンドン五輪、1954年スイスワールド杯、1964年東京五輪とアジア代表で出場するが、白星を挙げたのはロンドン五輪のメキシコ戦(5-3 )のみで2回戦のスウェーデンに 0-12, そしてワールド杯ではハンガリー ( 0-9 ) トルコ ( 0-8 ) と連敗。東京五輪でもエジプトに 0-10 と敗れるなど惨敗続き。得点もメキシコ戦以外は東京五輪のチェコ戦で挙げた1点( 1-6 で敗戦)のみで世界の舞台で惨敗が続いた。そして1964年のアジアカップで決勝イスラエルに敗れ3回連続優勝を逃すと、アジアのタイトルとも無縁となり世界への挑戦権は1986年メキシコワールド杯出場まで22年間待たねばならなかった。 70年代に彼らの前に立ちはだかったのはマレーシアで上記した地元ソウル開催の五輪予選、8年後のマレーシアでのモスクワ五輪予選で共にマレーシアの軍門に下った。特にモスクワ五輪予選前にはアルゼンチンワールド杯予選でイランに次いで惜しくも2位(当時はアジアから1カ国のみ出場)78年アジア大会優勝、東南アジア諸国が集う79年ムルデカ大会にBチームを派遣して優勝した後で大変な期待が掛かっていた。予選敗退の結果に関係者の落胆振りは相当なものであった。そんな中、日本に連勝することのみがサッカーファンの間で溜飲の下がる事であった。1959年から15年間で7連勝,74年から5年間で8連勝、79年から3年間5連勝、85年から8年間6連勝そして5試合連続無失点。旧宗主国の日本に対してはサッカーだけは決して負けないと言う自負心は国民の皆が持っていることだろう。70年代まで、日本に勝てる球技と言えばサッカー以外殆ど見当たらなかった。しかし、81年の五輪総会でソウル五輪開催が決まるとあらゆるスポーツで強化が始まり、ソウル五輪から4大会連続して金メダルの数は日本を上回った。ソウル五輪がきっかけで強化の進まぬ日本を尻目にワールド杯では86年大会以降、五輪でもソウル大会以降現在に至るまで地区予選敗退は無い。次回以降は日韓の激戦の跡をご紹介しよう。