戦前の中国は清王朝を倒して設立された中華民国であった。その中華民国とは6度対戦しているが、1939年の極東選手権で引き分けた以外は全敗。1940年代になる満州事変、日華事変を経て混乱の時期に入り親日派であった汪兆銘政府が中華民国と認められ、そのチームとの対戦が中華民国との公式試合とされ、紀元2600年奉祝東亜競技大会や満州国十周年健祝大会などで対戦しそれぞれ勝利を収めているが真の中華民国代表とは言い難かった。戦後、中華民国が韓国と共にアジア代表で五輪に出場し1回戦でトルコに 0-5 と敗れた。その後毛沢東の共産党と蒋介石の国民党との間の争いが更に激化、1949年に毛沢東率いる共産党が天安門で新中国、中華人民共和国の設立を宣言。一方の国民党は台湾に逃れて中華民国の継続を宣言。それぞれが中国大陸、台湾は自国の領土と主張した。当時の蒋介石国民党は日本統治時代の建造物や個人財産を一方的に没収し世界一裕福な政権であった。それは我々祖先が当地に永年かけて築いた財産に他ならない。しかしながら、反共政策を採るアメリカの支持を受けた中華民国は国連安全保障理事国の常任理事国となるなど国際世界での地位を確保して言った。そして日本を含め多くの西側諸国がそれに同調し共産党政府は孤立していた。今中国が常任理事国であるが、それは当時の蒋介石政権が米国等に後押しされての事で、今の共産政権とは異なる国が選ばれただけだ。しかし、サッカーの世界では北京、台湾でそれぞれ統括されている両サッカー協会の存在が認められ、1957年スウェーデンワールド杯予選では中国代表がインドネシアと予選を行い敗れている。 1957年、当時北京政府と国交が無かったが日本代表は招待を受け中国に遠征。中国代表との試合は組まれなかったが人民解放軍チームの八一隊(代表選手になった賈秀全がガンバ大阪に移籍する前に所属した事もある)や上海、瀋陽、北京市のチームと7試合対戦。2勝1敗4分に終り帰国後は、中国選手の技術高さが報告されたらしい。当時は文革前で穏健派の劉少奇主席、周恩来首相が実権を握っていた時代で、外交活動も活発していたが、翌1958年のFIFA総会では台湾問題で脱退を表明してしまった。そして中華人民共和国代表チームと対戦することが出来たのは1975年香港で開催されたアジアカップ予選で、この時日本は0-1 で敗れている。日本が始めてアジアカップにフル代表を送った大会とされているが、エース釜本はこの大会には怪我のせいか参加していない。当時中国はFIFAを脱退中だったがAFCには所属しておりこの大会には問題なく参加していた。その中国に伝説の名選手がいた。
先週、人民元は11年ぶりに2%切り上げられた。日本ではあまり話題になっていないが今、欧米では安価な中国製の縫製品が年々跋扈しており当地のその分野の経済を駆逐している。縫製関係は昔仕事でかじっていたのでそのあたりの事情はよく分かる。特に米国では中南米、欧州では旧共産圏の人件費の安い地域に生産をシフトするために投資をして来たのに年々夥しい中国製品が入ってきてはその投資も無駄になる。米国の様にQuotas を与えていても西側から見れば人件費が0に近い生産地からくる製品は年々“値下がって”やって来ている。だから縫製品に限らず中国製品の氾濫は自国産業の構造を壊しかねない。それが地球的な見方だが、日本だけは“13億人市場の確保”とばかりに中国政府には及び腰だ。2%の人民元切り上げで日本の100円ショップにはこれから影響が出て来るだろう。第一、13億人分も中国に市場など在る訳が無い。貿易にビジネスに関わった人間なら直ぐに判る。先の平壌での観客暴動に比べれば昨夏のアジアカップで我々同胞が北京で受けた仕打ちなどは政府筋でもっと強く抗議声明を出すべきなのだが。
問題は日本の国会議員が毎夏に北京に視察旅行に行き、全ての欲求を満たして貰いお土産まで持って帰っているので、欧米諸国の様に強く物が言えないのだ。
だがサッカーの関しては少し気の毒だ。日本、韓国の東アジアのライバル達がワールド杯出場を決めたのに自分達は1次予選でまさかの敗退。最終戦を前に“勝ち点が同じならプレーオフをさせてくれ”とFIFAに正式に依頼するあたりは中国的な発想だが、彼らのサッカー好きを知る限り判らない気もしない。
戦後中国がサッカーの世界の舞台へ出て来たのは1948年のロンドン五輪、1988年ソウル五輪、そして前回のワールド杯の3回だ。 だが世界の大会では勝ち点1は挙げたが得点は未だ挙げていない。
しかしながら、日本代表が最初に対戦した国家代表は1917年東京で行われた極東大会での初戦、中華民国戦でこの試合、日本は 0-5 で敗れている。それ以降、日本は中国(当時は中華民国)に勝つ事を目標にしていた。日本は1984年5月に大宮で行われたキリンカップで加藤久のPKで1-0と中国を下したが何とこれが最初の勝利であった。そこには過去の歴史的な背景がある。
問題は日本の国会議員が毎夏に北京に視察旅行に行き、全ての欲求を満たして貰いお土産まで持って帰っているので、欧米諸国の様に強く物が言えないのだ。
だがサッカーの関しては少し気の毒だ。日本、韓国の東アジアのライバル達がワールド杯出場を決めたのに自分達は1次予選でまさかの敗退。最終戦を前に“勝ち点が同じならプレーオフをさせてくれ”とFIFAに正式に依頼するあたりは中国的な発想だが、彼らのサッカー好きを知る限り判らない気もしない。
戦後中国がサッカーの世界の舞台へ出て来たのは1948年のロンドン五輪、1988年ソウル五輪、そして前回のワールド杯の3回だ。 だが世界の大会では勝ち点1は挙げたが得点は未だ挙げていない。
しかしながら、日本代表が最初に対戦した国家代表は1917年東京で行われた極東大会での初戦、中華民国戦でこの試合、日本は 0-5 で敗れている。それ以降、日本は中国(当時は中華民国)に勝つ事を目標にしていた。日本は1984年5月に大宮で行われたキリンカップで加藤久のPKで1-0と中国を下したが何とこれが最初の勝利であった。そこには過去の歴史的な背景がある。
今週初めから商用でオーストラリアに来ている。こちらの人気スポーツと言えば、ラグビーそれも2種類ある Rugby Union と Rugby Leagu。Union の方が世界的に普及している方の Rugby だったと思う。それから特にメルボルンで人気のある Aussi Football。 そしてクリケット。サッカーは5番手以降だろう。そのサッカーも記事になるのはプレミアシップの話題ばかり。確かに Liverpool には代表のエース Hurry Kewell そして ミドルスブラ には “ Duke” Mark=Vidukaがおり、代表クラスは殆ど、プレミアか First Division でプレーしている。何人か前に Australia 代表主催のテストマッチをロンドンで行ったことも。
だが、地元オーストラリアのマスコミの良い所は、オーストリラリア選手の提灯記事ばかりで無く、英国のサッカー事情を万遍無く伝えている所だ。7月29日のスポーツ欄のサッカー記事のトップは先日の Celtic の Championship での大敗記事だ。” Nightmare start for Strachan. ストラカン悪夢の始まり“の見出しが。この敗戦でこれまでコンスタントに欧州のカップ戦にある程度駒を進めていたのに、今季は欧州カップ戦抜きでシーズンを戦わねばならないのでその収入源の心配を。ストラカン監督のコメント”まだショックを拭いきれない。開始30分後はなす術も無かった。誰もこの日の出来を忘れられないだろう。0-2 とされた後に3トップにシステムを替えるギャンブルに出たが何も変わらなかった。ファンには返す言葉も無い“と。中村俊輔の名前は紙上には見られなかった。他の記事では早くも当地 Bratislava まで出掛けたサポーターから退任要求が出ているとか。だがチームの Official Sight はまだ強気で” Bratislava Artmedia が出来て我々が出来ない訳が無い。今度は Glasgow で5-0 だ”と。今日30日 Celtic は Premiershipの開幕戦 Motherwell 戦に臨む。 他では噂されている Chealsea のシェフチェンコ獲得の噂については Chelsea 側の 中盤選手を物色中とのコメントで打ち止め。 日本に遠征中のReal Madrid の FIGOはポジションが保障されないのなら移籍を考えると。インテルと Liverpool が興味を示しているとは。ジュビロ磐田を 3-1 で下したことも書き落としていない。また同じく日本遠征中の Manchester United は微震のあった東京国立競技場で鹿島に 1-2 で敗れたと。朝鮮日報はこの試合で日本のラフなDFとGKに英雄、朴智星が怪我をさせられたと。一方タイ、バンコックに遠征していた Manchester City は Darius Vassell が£200万(約4億円)でAston Villa から完全移籍。また Joey Barton がバンコックのホテルで Everton のファンと口論になり事件を起こしたことについて8週間分の給料の罰金をチームから果たされたたしい。 Everton と Manchester City はタイサッカー協会が主催するBangkok でのトーナメントに招待され当地に滞在していた。Evertonには李鉄 City には孫継海 といった中国代表選手がいる。が東アジア選手権には合流しない。
だが、地元オーストラリアのマスコミの良い所は、オーストリラリア選手の提灯記事ばかりで無く、英国のサッカー事情を万遍無く伝えている所だ。7月29日のスポーツ欄のサッカー記事のトップは先日の Celtic の Championship での大敗記事だ。” Nightmare start for Strachan. ストラカン悪夢の始まり“の見出しが。この敗戦でこれまでコンスタントに欧州のカップ戦にある程度駒を進めていたのに、今季は欧州カップ戦抜きでシーズンを戦わねばならないのでその収入源の心配を。ストラカン監督のコメント”まだショックを拭いきれない。開始30分後はなす術も無かった。誰もこの日の出来を忘れられないだろう。0-2 とされた後に3トップにシステムを替えるギャンブルに出たが何も変わらなかった。ファンには返す言葉も無い“と。中村俊輔の名前は紙上には見られなかった。他の記事では早くも当地 Bratislava まで出掛けたサポーターから退任要求が出ているとか。だがチームの Official Sight はまだ強気で” Bratislava Artmedia が出来て我々が出来ない訳が無い。今度は Glasgow で5-0 だ”と。今日30日 Celtic は Premiershipの開幕戦 Motherwell 戦に臨む。 他では噂されている Chealsea のシェフチェンコ獲得の噂については Chelsea 側の 中盤選手を物色中とのコメントで打ち止め。 日本に遠征中のReal Madrid の FIGOはポジションが保障されないのなら移籍を考えると。インテルと Liverpool が興味を示しているとは。ジュビロ磐田を 3-1 で下したことも書き落としていない。また同じく日本遠征中の Manchester United は微震のあった東京国立競技場で鹿島に 1-2 で敗れたと。朝鮮日報はこの試合で日本のラフなDFとGKに英雄、朴智星が怪我をさせられたと。一方タイ、バンコックに遠征していた Manchester City は Darius Vassell が£200万(約4億円)でAston Villa から完全移籍。また Joey Barton がバンコックのホテルで Everton のファンと口論になり事件を起こしたことについて8週間分の給料の罰金をチームから果たされたたしい。 Everton と Manchester City はタイサッカー協会が主催するBangkok でのトーナメントに招待され当地に滞在していた。Evertonには李鉄 City には孫継海 といった中国代表選手がいる。が東アジア選手権には合流しない。