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⑤ ”どうする家康” 室町時代は南北朝時代と戦国時代で混乱・混迷・動乱の時代

2023年07月17日 | NHK大河ドラマ

最近、またしても『どうする家康』見ていません。

もう、5・6回分の録画が溜まっています。やはり、何というか、戦国時代で、家康とか、信長とか、秀吉とか、話が重たいのです。

そんなことなら見なきゃいい!との声が飛んできそうなのですが、それでも、やっぱり、そこは『NHK大河ドラマ』です。

話は重たいのですが、製作費も重たく、役者の顔ぶれも重たく、それなりに見ごたえも重たいのです。見始めてしまえば、それなりに引き込まれているのです。

そしてまた、重たいドラマを見て、その感想を綴ることで、これは、これで、ボケ防止となり、暇つぶしとなるのでした。

まあ、そんなどうでもよい前置きは、この位にして、話は、本題に入ります。本題とは云っても、前置きに毛の生えた程度ですが…。

そもそもです、以前にも触れたと思うのですが、戦国時代って、いつ頃から、いつ頃まで?とか、戦国時代の前はなに時代?とか、これまで歴史にはあまり興味が無かったので、いろいろ疑問が湧いてくるのでした。

そこで、歴史のお勉強となり、数年前に買い求めた『いっきに学びなおす日本史 古代・中世・近世教養編・・・東洋経済新報社刊』のページをペラペラ捲ってみたりしている今日この頃なのです。

そもそも、戦国時代とは『応仁の乱が終わった1477年(文明9年 )から、織田信長が足利義明を擁して上京し、天下統一の機運の見え始めた1568年(永禄11年)頃まで』の、ほぼ百年弱だそうです。

でも、しかし、私のイメージとしての戦国時代は、織田信長、豊臣秀吉、武田信玄、今川義元、徳川家康たちの、戦国武将と云うか、戦国大名が戦乱に明け暮れていた頃なのです。

今川義元1519年生まれ、武田信玄1521年生まれ、織田信長が1534年生まれ、豊臣秀吉1537年生まれ、徳川家康が1542年生まれ、

家康が一番年下で、秀吉が5歳年上で、信長が8歳上、信玄が21歳上、義元は23歳年上なのでした。家康、秀吉、信長が同年代といったところでしょうか。

この三人組が大きく歴史に登場するのが、義元が信長に敗れた「桶狭間の戦い」1560年辺りからです。家康18歳、信長26歳。この辺りからが戦国時代のイメージ。

信長の上洛まで8年間が私の戦国時代。「応仁の乱」から約百年続いた戦国時代のまさに末期の末期。でも、戦国時代と云えば、家康、秀吉、信長のイメージ一般的uなのでは?  

それにしても、「応仁の乱」は聞いたことはありましたが、戦国時代の始まりとは知りませんでした。

以前、何かで、京都のある老舗の女将が「うちの店はこの間の戦争で焼けました」と云うので、聞いた方は、てっきり「第二次大戦」と思って聞いていたら、どうも話が変なので、問いただすと、その戦争とは「応仁の乱」だった・・・何て、老舗の自慢話。

それで、応仁の乱ですが、1467年から1477年の10年間、西軍、東軍に分かれて、京都全市を戦場として闘われた戦争なのです。

これも、何か聞いた話ですが、闘っているうちに、いろいろな思惑と打算が絡まって、いつしか、何が何だか訳が分からなくなって、1477年ごろには、戦闘の当事者の守護大名が、ぽつり、ぽつりと帰国し、京都市内での戦闘は自然消滅し、戦いの舞台は全国へと、これぞ戦国時代の始まり。

ところで、戦闘と云っても、槍や、弓矢が飛び交い、騎馬軍団が駆け巡り、足軽の大集団が激突! 何て戦闘ではなく、数十人の小競り合い程度の戦闘が、街角のいたる所で繰り広げられていた。何てことを、NHKの歴史番組で見た気がします。

『いっきに学びなおす日本史』によると、

『応仁の乱において、戦闘の主体は騎馬武者による一騎打ちから、足軽による集団戦に移行していった。足軽は南北朝時代から見られた雑兵で、農民や無頼のが多く、軽装で敏捷に行動した。応仁の乱で多数の足軽が用いられるようになると、その無統制もはなはだしくなり、土倉を襲撃し、放火・略奪・乱暴狼藉をしばし行った。公家の目には、これも下克上のきわまりだと映り、足軽を「ひる強盗」として非難』

何て、記されています。

ちらっと、歴史を眺めると、室町時代は、混乱と、混迷と、動乱の、時代のようです。前半が、朝廷が南北に分かれての「南北朝時代・・・1336年~1392年」で、1467年から1477年が応仁の乱で、応仁の乱が終わって、そして戦国時代が始まるのでした。

なんとなく、なんとなく、歴史の繋がりが、ボンヤリと見えてきました。話はドラマから離れましたが、兎も角、『どうする家康』のお陰で日本史への興味が湧いてきました。

「守護大名」とは何ぞや? 鎌倉幕府とか、室町幕府とか、幕府とは何ぞや? その統治機構は? 朝廷との関係は? そもそも、家康は何で江戸に幕府を開いたのか、なんてことにも興味が湧いたりしている、今日この頃です。

そろそろ、溜まっている録画を視聴したいと思います。瀬名が中心の話が続きそうです。

本日は、これで、日本史のお勉強を終わります。

 

それでは、また。

 

 

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