今回のお気に入りは竹鶴政孝パート85、白札サントリーポケット瓶です。
白札サントリーが発売されたのは昭和4年(1929年)4月。
壽屋の鳥井信二郎社長と竹鶴政孝工場長という純国産コンビが苦労の末に生み出した日本初の本格ウイスキーでした。
ジョニ赤が5円の時代に鳥井社長は白札サントリーに4円50銭という価格を付け発売しました。
この価格設定に鳥井社長と竹鶴工場長の自信が見て取れます。
結果的には焦げ臭いと不評で売れませんでしたが、本格ウイスキーを飲み慣れていない人々には豊かなピート香は受け入れられなかったというところが主たる原因だったのではないでしょうか。
彼らの自信からみて飲み手が今の私たちだったら十分受け入れられるウイスキーだったのかもしれません。
そんなことを思い巡らしながら以前は白札サントリーの復刻版を味わったこともありました。
先日偶然にも白札サントリーポケット瓶のレトロボトルを入手することができ、ボトル裏に書かれた彼らの自信に満ちた文章に触れることができました。
以下にその全文をご紹介します。
サントリーウ井スキーに就て
サントリーウ井スキーは英国スコットランドに於て多年実地と学理を究めし技師により地勢風土水質ともに彼地ローゼスの峡地とまったく同じき京都府下山崎の天王山中に醸造所を設け英国種大麦を内地に移植してこれを原料となし醸造後極めて清澄なる空気を有する貯蔵庫に於きセリーウッドにて7年間完全に熟成せしめたる日本最初唯一の国産醸造ウ井スキーにして本場英国の一流品に比し毫も遜色なき逸品なり
白札サントリーが発売されたのは昭和4年(1929年)4月。
壽屋の鳥井信二郎社長と竹鶴政孝工場長という純国産コンビが苦労の末に生み出した日本初の本格ウイスキーでした。
ジョニ赤が5円の時代に鳥井社長は白札サントリーに4円50銭という価格を付け発売しました。
この価格設定に鳥井社長と竹鶴工場長の自信が見て取れます。
結果的には焦げ臭いと不評で売れませんでしたが、本格ウイスキーを飲み慣れていない人々には豊かなピート香は受け入れられなかったというところが主たる原因だったのではないでしょうか。
彼らの自信からみて飲み手が今の私たちだったら十分受け入れられるウイスキーだったのかもしれません。
そんなことを思い巡らしながら以前は白札サントリーの復刻版を味わったこともありました。
先日偶然にも白札サントリーポケット瓶のレトロボトルを入手することができ、ボトル裏に書かれた彼らの自信に満ちた文章に触れることができました。
以下にその全文をご紹介します。
サントリーウ井スキーに就て
サントリーウ井スキーは英国スコットランドに於て多年実地と学理を究めし技師により地勢風土水質ともに彼地ローゼスの峡地とまったく同じき京都府下山崎の天王山中に醸造所を設け英国種大麦を内地に移植してこれを原料となし醸造後極めて清澄なる空気を有する貯蔵庫に於きセリーウッドにて7年間完全に熟成せしめたる日本最初唯一の国産醸造ウ井スキーにして本場英国の一流品に比し毫も遜色なき逸品なり
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