宿泊したホテルで朝食をとりながら河原町通りの反対側に見えたのが『本能寺』へと続く細い入り口。まだ肌寒い朝に本能寺に行って見た。信長の時代には現在よりも西南の方角にあり、堀もあって巨大な城砦のようだったという。本能寺の変で消失した後に、秀吉によって現在の場所に建て直されたものと思っていたが、『蛤御門の変』でもこの辺り一帯とともに消失してしまった。焼け野原となった京を離れて明治天皇が江戸に行くきっかけになったようだ。なお本能寺の能という時は『ヒ(火)』が二つあり、縁起が悪いということで現在の石碑ではふたつのヒは『去』と変えられている。
(信長の墓)
写真の本能寺の入り口の門は寺町通り側にある。ここからちょっと行くと『スマート珈琲店』などがあるわけだ。この辺りには寺がたくさんあるが、平安時代には寺はほとんど無く、鎌倉時代以降に京都には寺が増えて現在に至ったようだ。