世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
人間の苦悩(続々)
私は反論した。……それは違う。彼も闘っている。誰も彼から苦悩を取り去ることはできないし、彼の代わりに苦悩を苦しみ抜くこともできない、と。
そして、これまで優しくしてくれたハーゲン氏のために、もう一言添えた。そういう類の苦悩の意味を、あなたがせめて理解できるようになったら、私たち、もしかしたら友達くらいにはなれるかも知れない、と。
ハーゲン氏にとっては、持てない者の悩みこそが大事だった。それは、富を持たず、知を持たず、自由を持たない者の悩みだった。
諸種の具体的な抑圧を見ずに、それらをすべて階級抑圧のせいにするのは簡単なことだ。が、それは、諸種の抑圧とその担い手を容認することに他ならない。だからハーゲン氏のような人間は、もっと大きな抑圧を打倒するためにという理由で、自分の犯す抑圧を正当化する。
異なる人種というのは、私とハーゲン氏のような人間のことを言うのだと思う。私たちは永久に理解し合えないだろう。
それから彼は、関心なさそうに、お座なりに尋ねた。
「ところで、そいつとは今、どうなんだい?」
「死んだわ」
彼の挑戦的な態度は突然、お祓いの聖水をかけられたお化けのように、引っ込んだ。
「あァ、それは気の毒だったな」
ぎこちない口調で、以前のように優しく、彼は私に声をかけた。が、その優しさはもう、私には何の慰めにもならなかった。
「やはり純血種の生命ってのは脆いのかな。ある日突然ぱっと死んでしまう、そういう純粋な死が待ってるものなのかな。けど、純血種なんて言い方はもうよそう。彼だって僕らとおんなじ人間だったんだ。それに、煎じつめれば、誰の言葉にだって真理くらいはあるもんだしな」
彼とあなたは、同じ人間ではない。……私は心に呟いた。
亡き友人は、汎愛を、厭うべきものとして退けていた。人間の苦悩の、普遍的な意味が分からない人間など、おそらく本当の人間ではないのだ。
この半年後、ピエーロ氏の登場によって、私とハーゲン氏は完全に決裂した。
画像は、ティソ「ゲッセマネの園での苦悩」。
ジェームズ・ティソ(James Tissot, 1836-1902, French)
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人間の苦悩(続)
「そいつは、要するにサラブレッドだったんだろう? たまたま純血種に生まれてきただけの奴らに、僕ら雑種の気持ちが分かるもんか。そいつが育った特等席からじゃ、ものがよく見えなかったに違いないよ」
「よくもそこまで、憶測だけでものが言えるわね。彼だって社会を見つめていたし、人間を見つめていた。そして悩んでいた。自分たちだけが苦しんでるなんて、思わないでよ」
「そんなのは結局、生まれの良さがなせる業さ。持てる者の悩みというもんだ」
「その苦悩に、人間の普遍的な意味があるなら、持てる者も持てない者もないでしょう」
「おい、いいか! 階級闘争が人間の意識を規定するんだぜ。自分にそれが見えているか、いないかだけの違いだよ。普遍だって? 階級闘争のイデオロギーから、完全に自由であることなんて、あり得ないんだ。そいつだってそうだ!」
ここまで来るともう、致命的だった。
「革命に対する無理解は、革命への妨害につながる。現に君はそいつのせいで、革命運動に二の足を踏んでるじゃないか。そいつらは大した努力もなくて、大抵のことをこなせるようにできてるんだ。そんな奴らが苦しんだところで、そんなのは本質的な苦悩じゃないよ。誇りをもって黙々と悩んで、それでお終いだ。自分だけが忍べばいい苦しみなんて、問題じゃない。ほんとの苦しみは、自分ではどうともならない苦しみ、人類抑圧の苦しみだ。人間はそうした抑圧に、誰もが苦しんでいる。その苦しみを解決する方向を知った人間が、実際に行動に出ることは、人類全体に対する責務だ。決して闘おうとしない、そいつのような奴らのために、いつも闘ってる人間が必要なんだ!」
To be continued...
画像は、シーレ「苦悩」。
エゴン・シーレ(Egon Schiele, 1890-1918, Austrian)
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人間の苦悩
学生のとき、私が顔を出していた社研に、院生のハーゲン氏がチューターとして参加していた。のちに私は、彼が結局、某大学教授ピエーロ氏の太鼓持ちにすぎなかったことを知ったのだが、それでも彼は、確かに親切で優しかった。
コンプレックスを持つ人間が、あるやり方でそれをカバーしようとするとき、なんらかのイデオロギーにハマりやすくなる。ハーゲン氏がハマったのは、革命運動と、その理論戦線を担う研究者集団、というイデオロギーだった。そしてハーゲン氏のコンプレックスとは、自分が無能な「駄馬」だということだった。
別に、人間、あらゆる点で完璧なはずはないのだから、仮に自分に欠点があっても、素直にそれを直視すればいい。それができずにいるのは、結局、リアリズムに欠けているからなのだけれども、そのせいで、彼らは自分の欠点を、それとは別の、何か権威めいたものによって補おうとする。
そんなものでカバーしなければならないと考えるのは、彼らが欠点を過大に評価しているからだし、カバーできると考えるのは、過小に評価しているからだ。とにかく、ごくフツーに評価が下せないのだ。
さて、私の亡き友人に対して、ハーゲン氏はいつも異常に反撥した。
「革命家」を自負する彼が、私に共産党を勧めたとき、私は、「彼らには過去と未来しかない」と答えた。彼は、ふん、と鼻を鳴らした。
「それは君の言葉じゃないだろう。教えたのは何者だい?」
「彼はピアニストよ」
「青二才の台詞だな。まったくの門外漢に口を出してもらいたくはないな」
「でも、優秀な人だった」
優秀、という類の形容には、ハーゲン氏はいつでも頑なに反応した。優秀かどうかを判じる力を自分が持たないことを、彼は自覚していたのだと思う。
人は優秀か否かが問題なのではない、階級と国家の抑圧に立ち向かうか否かが問題なのだ。仮に優秀な資質や能力を持っていたところで、それを革命運動のために投じなければ、豚に真珠なのだ。革命運動に身を投じる人々のほうが、資質や能力を持て余す人々よりも、はるかに優れた人種なのだ。
……これが彼の持論だった。
To be continued...
画像は、フリアン「政治論議」。
エミール・フリアン(Emile Friant, 1863-1932, French)
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ギリシャ神話あれこれ:アラクネの機織競技
我が家ではアシダカグモ、ベッカムが死んでからというもの、ゴキブリが大発生してどうしようもない。ある日、坊が外で別のアシダカグモを捕まえて、持って帰ってきた。ニンマリ笑って、クモを家のなかに放す坊を、私は黙って放っておいた。
これでまた、クモがゴキブリ食ってくれるかな、と、ひそかに期待していた私。新しいアシダカグモ、フィーゴは、ところが、いっこうに姿を現わさない。
環境が変わったんで、死んでしまったのかな、と思っていると、ある日、キッチン・シェルフに、巨大グモの抜け殻が、ぶら~ん、と首を吊ったようにぶら下がっていた。
私は思わず悲鳴を上げた。徘徊性のクモも、お尻から糸出すの? クモって、糸でぶら下がったまま脱皮するの? ……さすがに触れなかったので、相棒に取ってもらった。こやつは、こういう脱皮後の殻を面白がるのだ。
小アジアのリュディアに、アラクネという少女がいた。機織の技に秀で、一心に織り続けるうち、その技巧は並ぶ者のないほどになった。
腕に慢心したアラクネは、「技芸の女神アテナに技を教わったわけではない。技比べしても負けはしない」と自慢する。
小賢しい少女の大言に、プライドの高いアテナ神が見捨てておくわけがない。アテナは老婆に化けて少女の前に現われ、神への不敬を諫める。が、うるさい、耄碌婆あ! と言い返されて、プチ切れてしまう。
アテナはアラクネに勝負を挑み、アラクネは受けて立つ。かくして、二人の織り比べが始まる。アテナは神々と、神に罰せられる人間たちとを模様にして布を織り上げ、対してアラクネは、神々と人間との恋愛模様を織り上げる。アラクネの布はいかにも見事で、アテナでさえ非を打ちようのない出来栄え。
が、アラクネの取り上げた主題の不敬に、アテナの怒りは納まらず、アラクネの織り布を真っ二つに断ち切る。アラクネは忍びきれずに、縄をくくって首を吊ってしまう。
さすがにアテナも憐れに思い、ぶら下がったアラクネを蜘蛛の姿に変える。こうして蜘蛛は、昔の技の名残で、吊り下がって糸を織るのだという。
フィーゴの姿を見たのは、あの抜け殻一度きり。この家のどこかにひそんでいるのだろうか。どこにいるのか、まったく見当がつかない。
画像は、ベラスケス「アラクネの寓意」。
ディエゴ・ベラスケス(Diego Velazquez, 1599-1660, Spanish)
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グレート・ギャツビー
フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」を読んだ。フィッツジェラルドは、フォークナーやヘミングウェイとともに、いわゆる「失われた世代」に属する作家。私は苦手。
ニューヨーク郊外ウェスト・エッグの豪邸に住む謎の富豪、ジェイ・ギャツビーのドラマが、隣人ニック・キャラウェイの視線で、彼を語り手として描かれている。
ニックは、第一次大戦から復員し、故郷に帰るも、中西部が「蕭条たる宇宙の果て」という気がし、「溌剌とした世界の中心」である東部に憧れて、ニューヨークへとやって来る。ニックを迎える、遠縁のデイジーやその夫トム・ビュキャナンらの、取りとめのない、軽い、熱っぽい感情など一切ない、クールな日常。ギャツビー邸で連夜、繰り広げられる、豪奢なパーティー。……ニックは、きらびやかでめくるめく大都会を夢見る青年である。
対してギャツビーは、大都会の栄華を象徴する青年である。が、それが演技にすぎないことを、ニックは知る。
絢爛豪華な生活のなかで、ギャツビーは一人、酔い痴れることなく、遠くを見つめている。失った昔の恋人に、今なお一途に愛情を捧げ、自分の手に取り戻そうとしている。不器用に、頑迷に。
そして、手に入れたかに見えた恋人は、その手をすり抜け、永久に逃れ去ってしまう。それでもなお、ギャツビーは彼女をかばい、滅びてゆく。
このゆえにギャツビーは、ニックにとって、ひたすらに夢を追った浪漫的存在として、ニックが大都会を去ったのちに思い起こす嫌悪と侮蔑から、外れることとなる。
ニューヨークの爛熟と恍惚、その裏にひそむ孤独、虚無、不安、腐敗、などの印象が、ニューヨークに魅せられ、しかし次第に冷めた眼で達観するようになるニックの眼を通して伝わってくる。ギャツビーが恋人を失った喪失感は、そのままニューヨークという都会の喪失感でもある。まるで、ホッパーの描く絵のよう。
ニューヨークを体現する人々に、突然ニックが食傷し、一人になりたい、と思ったとき、ニックの恋人ジョーダンが声をかける。
「まだ九時半よ」
この台詞が、なんだかやけに印象的だった。そう言えば、物語はいつも黄昏に動き出す。金色の夕映えに照り輝きながら、意味のない軽口が連なり、やがて、喧騒と空虚の夜がやって来る。そして朝が来て、眼が醒めて、すべてが一夜限りの夢にすぎなかったかのように思える。これは、ストーリー全体にも貫く印象だと思う。
「こうして僕たちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れに逆らう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく」
……アメリカ的なやるせなさを感じた小説だった。
画像は、C.クーパー「ニューヨーク・シティ5番街」。
コリン・キャンベル・クーパー(Colin Campbell Cooper, 1856-1937, American)
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