森と湖の国(続)

 
 だが、なんという高さだろう。そそり立つ森の木々が、挑むようにいっせいに私たちを迎えた。

 ふと、その木々の合間に、真っ黒いぼろ雑巾の塊のようなものが、その切れ端を引きずりながら、ゆっくりと動いているのに気がついた。
「あれは何?」
「彼は画家だよ。絵筆の握れなくなった、それでも必死で描こうともがいている、年老いた画家だ」
 ぼろぼろの黒衣のなかから老人の白い髭と、硬く丸まった石のような手が見えた。私はあの画家を知っている。なぜあれがここにいるのだろう。あれは南の、もっと太陽の光を浴びた国で、オリーブの林のなかで暮らしているはずなのに。

 私は老画家の姿を見送った。そしてバルコニーの手すりにのぼって、友人の手をつかんだ。彼は首を振った。
「この高さから飛び降りることはできないよ」
「大丈夫、私は空を飛んでここに来たんだから」

 彼は優しい諦め顔で微笑んで、私の言いなりにした。私は彼を胸に掻きいだき、再び空へと飛び立った。彼を連れて帰れるのだ。湖まで行けば、湖まで行けば……

 だが、私の遠く背後から、ピアノの音色が届いた。私が両手を開くと、胸に抱いたはずの友人はもういなかった。
 私は引き返した。だがもう遅いのだと分かっていた。ピアノの旋律は森に漂っているのに、あの館を二度と見つけることはできなかった。
 ……

 私にとって夢は、ときおり現実と見紛うことがある。あの北欧の風景は私を捉えて離さない。
 いつかきっとめぐりあえる、そう思っている。

 画像は、ソールベリ「漁師小屋」。
  ハラルド・ソールベリ(Harald Sohlberg, 1869-1935, Norwegian)

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