わたしたちの涙で雪だるまが溶けた

 
 この本は、チェルノブイリ原発事故で被災した子供たちが書いた作文集だ。
 事故が起こったのが1986年、「私の運命のなかのチェルノブイリ」というテーマで作文コンクールが実施されたのが94年で、ロー&ミドル&ハイティーンに育った子供たちが、まだ大人になりきっていない世代に特有の、真理を思慕し畏怖する心の虚飾ない言葉で、チェルノブイリという現実を綴っている。あれからもう18年近く経っているので、その後死んでいった子供たちも多いのだと思う。

 科学は個々人の体験の共有を前提としない。チェルノブイリの真実を知るのに、その直接の被害者となる必要はない。けれども、感覚、感性、感情を持つ一個の人間がチェルノブイリを体験し、体験した者にしか発することのできない言葉と物語とでそれを語るとき、その力は紛いなく、耳の塞ぎようも眼の逸らしようもない。
 ロシア語圏の民族を理解するのに言葉は要らない、と聞くが、子供たちも多くが詩を書き、詩を引いている。

 表題は、イーゴリ・マローズの作文のそれから取られたもので、やはり強烈な挿話が存在する。

 マリノフカに住む彼の祖母の庭に、遠い昔から生えている野生の梨の巨木。農奴の娘の死にまつわる言い伝えを持つこの木を、祖母は大切に守っていた。
 絵描きを夢見る彼の従妹のナジェージュダはこの木が大好きだった。放射能が舞い降りた夏中、彼女はマリノフカで過ごした。15歳の夏、ナジェージュダはとても美しくなった。少女から淑女になった。
 彼女は日記を書き始め、それは後に闘病記となる。未来への希望、生への渇望、現実への悲嘆と苦悩、それらをイーゴリが紹介している。

 同じ病院に入院している男の子たちが、女の子たちの病棟へ春の祝いにやって来た。彫刻家志望のトーリャを筆頭に、彼らは素晴らしい雪だるまを作り、大盆に乗せて持っていた。「みなさんにとって最後の雪です!」
「なぜ最後なの? 本当に最後なの?」
 女の子たちは一人また一人と泣きながら尋ね、その涙とともに雪だるまは溶けていった。

 翌日、祖母がやって来た。それまで何度も聞いたことのある、梨の大木の言い伝えを話してと、彼女はせがむ。「昔々……」と語り始める祖母。そして最後に付け加えた。
「でも今は、もうこの梨の木はなくなってしまったの。どこからかクレーン車が来て、根っこから引き抜いてしまい、あとにはセメントが流し込まれ、何かのマークがつけられたの。私たちのマリノフカは空っぽになってしまった。死んでしまったのよ」

 イーゴリは最後に訴えている。子供たちの無言の叫びを聞いて欲しい。神も悪魔も要らない。人間の理性と優しい心だけが、痛み、苦しみ抜いている大地を救うことができるのだ。と。

 To be continued...

 画像は、ビリンスカ「海辺で」。
  アンナ・ビリンスカ=ボフダノヴィチ(Anna Bilińska-Bohdanowicz, 1857-1893, Polish)

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