炎夏の狂都(続)

 
 河畔の公園もドナウ川も、大して興をそそらない。建築物もガラス張りのモダンなもの。コンサートホールだという、シンボリックな扇形をした、総ガラス張りのブルックナーハウス。一面、レントスレントスレントス……というプリント文字で覆われた、ガラスの箱のようなレントス美術館。
 夜になるとこれが赤に、青にと光を放ち、ドナウ川面を彩るのだという。対岸にも、同様の現代建築がボコボコと建っている。

 美術館に入って、下見する。ロビーに展示されたピカピカの車が気に入らない。けれども案内を見ると、基本的には20世紀美術だが、クリムトやシーレ所蔵も謳っている。
 もう夕方近かったので、美術館訪問は翌日に持ち越して、再び旧市街に戻る。

 リンツではどこでもリンツァートルテを食べることができるという。が、ドイツのパン屋のケーキのように、気軽に買えて安くて美味しい、そういう店が見つからない。

 教会でオルガンのフーガのゲネプロを聴く。相棒が、アーベントミサで音楽が聴けるかも知れない、と言うので、別の教会に。が、ここでは二重唱による単調なカトリック教会音楽しか聴けなかった。
 ミサの途中で入ってきた悩める男性が、頭を抱えて祈り続けている。ミサが終わっても祈るのをやめられないでいる。

 教会を出たところの広場に、モーツァルトが立ち寄ったとかなんとかいう由緒を主張しているカフェを発見。
「モーツァルトとかブルックナーとか、痕跡はあるんだけどねえ」と相棒が溜息を吐く。

 To be continued...

 画像は、リンツ、州庁舎の中庭。
 
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炎夏の狂都

 
 リンツ(Linz)はオーストリア第三の都市。アントン・ブルックナーゆかりの地であり、モーツァルトが三日で書き上げたという交響曲の名でも有名。私のなかでは、世界一古いケーキ、リンツァートルテが真っ先に思い浮かぶ。
 一方、アドルフ・ヒトラーの生まれ故郷もリンツ近郊で、彼は青春を過ごしたこの街を深く愛していたという。

 以下、旅の日記から。

  快晴の夏日。リンツはグラーツ同様、私たちにはやはり大きすぎる都会。ホテルに荷物を置いて身軽になってから、旧市街を目指す。

 哲学者ヴィトゲンシュタインが通っていたという学校発見。かのヒトラーはリンツでヴィトゲンシュタインと同じ学校だったというから、これがそうなのかとは思うのだが、入り口にはヴィトゲンシュタイン在籍のプレートしかない。

 ※ この学校を私たちは、ヴィトゲンシュタインが在籍したという理由で、大学進学を目的とするギムナジウムだと思っていたのだが、実際は、ハウプトシューレ(専門学校)の後に進むレアルシューレ(実科学校)だった。

 ブルックナーがオルガン奏者を務めたらしい、教区教会も発見。ブルックナー好きの相棒は感無量。
 私は州庁舎がよかったな。惑星の泉がある中庭が、美しい回廊に囲まれている。

 とにかく暑い。ど広い中央広場で買ったアイスクリームを、あっという間に食べ尽くす。
 見所をくまなく廻りながら、文化施設群の並ぶドナウ河畔へと向かう。が。

 To be continued...

 画像は、リンツ、ブルックナーゆかりの教会。

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古都グラーツ(続々々々々々)

 
 城内はギャラリーとなっていて、あの有名なドッソ・ドッシ「ヘラクレスとピュグマイオイ(=ピグミー)」の絵がある。
「チマルさんが入りたいなら、入ろう。任せるよ」
 が、全体に古い絵ばかりだし、所蔵品も美術館というよりは博物館のようだしで、入らなかった。

 広い庭園では、孔雀が放し飼いされている。「グギャア!」と孔雀の鳴く声が、ときおり静かな庭園に響き渡る。
 時間いっぱい、庭園をのんびり歩いた。森のなかのベンチに座る相棒を置き去りにして、私は孔雀のヒナを探して歩いたが、見つからなかった。が、相棒のほうは、
「リスが何匹も出てきたよ。チマルさんも森にいたら見れたのに」
 う~……

 ベンチの老人が話しかけてくる。
「日本から来たのか? フクシマはひどいな。ノー・フクシマ!」
「ノー・フクシマ!」と私たちも答える。「ノー・フクシマ」とは今や、「ノー・核エネルギー(=原子力)」という意味だ。
 この言葉を、自分自身の心からの言葉として言い切ることのできない日本人は、外国には来てはいけないと思う。

 この日は暑くて、駅まで歩く途中、相棒は熱中症のようにフラフラになってしまった。私はよくそうなるが、相棒がなるのは珍しい。
 相棒の奴、よろめきながら一人、何やらぶつぶつと呟いている。
「……もうすぐだ。頑張れ、円谷。どうでもいい、もうどうでもいい(=銅でもいい、金メダルでなく、銅メダルでもいい、という意味)!」……

 駅に着き、スーパーで買った桃を食べて、ようやくホッとした。元気が戻ってきた相棒、「グラーツでグラーッときた」と親父ギャグをかます。
 電車を乗り継いで、次はシュピタール・アム・ピュールンへ。

 画像は、グラーツ、エッゲンベルク城の庭園の孔雀。

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古都グラーツ(続々々々々)

 
 シュロスベルクを降りて、王宮へ。が、相棒、向かいの大聖堂で音楽の練習をしているのに気づき、そそくさと入っていく。
「モーツァルトのミサ曲だよ!」と相棒が囁く。「こんな曲がこんなところで聴けるなんて、信じられん。ソプラノ歌手が最高に上手いねえ!」
 ※ 帰国後、相棒、「あれはシューベルトのミサ曲だった」と訂正。

 散々歩いて疲れてもいたので、どっかり座ってどっぷり聴いていた。
 スータンというのか、長い法衣を着た神父がコツコツと靴音を響かせて、祭壇のほうへと歩いていく。しばらくして、開襟シャツに半ズボン、靴音のあまり響かない革靴という格好で戻ってきて、にこやかに、「7時に扉を閉めますから」。

 追い出されてしまった。「神父さん、法衣脱いだら、ただの人」……相棒、心の俳句。

 有名な二重階段を昇った後、ホテルまで帰る。帰途、2.2ユーロの、渡欧以来最安値のケバブで夕食。
 チェックインの受付嬢は、女優レベルの美しいお姉さん。ハイデルベルクの受付嬢以来の清楚な美人。
「胸が見えちゃったよ!」と相棒が喜ぶ。
 私も見た。ブラウスの胸許をチラリと開けて着こなしてるんだよ。上品だからいやらしくないんだよね。

  翌朝、三つ星ホテルの豪華な朝食を食べて、郊外のエッゲンベルク城へ。
「今日はお金を拾おう。真円に注意!」と相棒。
 ……本日の目標が間違ってるんじゃないの? でも、本当にバス停でコインを拾うのだから、信じられない。

 エッゲンベルク城は、入場料も入館料も、ガイドブックの案内よりも1ユーロずつ値上げされている。
「この1ユーロがナマコ(=クンストハウスのこと)になるんだぞ」とブーたれる相棒。

 画像は、グラーツ、エッゲンベルク城。

 To be continued...

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古都グラーツ(続々々々)

 
 「写真を撮ってもいいよ、って言ってくれてるんだよ」と相棒が言うので、一枚撮ろうとカメラを出す。と、この結婚式の何もかもをカメラに収めることを使命とする専属のカメラマンが、私の前にずいと進み出て楽団を撮影する。
 ついでに、教会の結婚式にふらりと立ち寄った、旅の途中の東洋人女のことも一枚、パチリと撮る。う~……

 けれどもその後、ファースト・バイオリンの爺さんは、再び主旋律の際に一歩出て、私たちに向けてポーズを取ってくれた。
 心地好くワインがまわっていそうな男性がそばにやって来て、「この地方のティピカルな音楽だよ。新郎ボーイの父親の楽団なんだ」と説明してくれる。

 音楽が止み、楽団員たちが一息入れてワインを飲み始めたので、彼らにお別れを言い、教会の向かいで湧き水を汲んで、いざ時計塔へと向かう。

 時計塔のあるシュロスベルク(=城山)は、その名のとおりちょっとした山。エレベーターやケーブルカーがあるということは、登り降りするのがそれだけきついということ。
 私たちは例によって、崖沿いのつづら折の階段を、ぜいぜい言いながら歩いて登る。高みに行くにしたがって、次第に視野が開け景色が広がる、この感覚は捨てがたい。

 時計塔に到着し、さらに登れるところまで登ろうとうろうろしていると、どこからともなくリコーダーの音色が流れてくる。展望台に、ルネサンス風の衣装を着たリコーダー奏者がいた。
「プロだよ」と相棒が囁く。でも表情が喜んでいない。奏者の足許の籠にコインも入れない。「音楽性に欠ける」

 相棒は、表現のための技術は重視するのだが、十分な技術があるのに表現が伴わない場合、あるいは技術自体を表現とすり替えている場合には、鑑賞に耐えるという以上には、積極的に興味を示さない。

 画像は、グラーツ、時計塔。

 To be continued...

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