元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ラヂオの時間」

2006-04-03 06:52:39 | 映画の感想(ら行)
 97年作品。前にも書いたけど、私は三谷幸喜の映画作品はまるで受け付けない。この監督第一作からして、まるでダメである。

 封切り当時に周りの評判が良いので観てみたが・・・・いったいこれのどこが面白いのだろうか。何度途中で出ようと思っただろう。ひたすら不快なドラマ設定に、めちゃくちゃ不快な登場人物たち。何が楽しくて作者は映画を作っているのか。単に観客をナメているのか。

 「ラジオドラマの舞台裏の楽屋落ち的ドタバタ劇」なのはいいとして、この作者は「コメディだから何をやってもいい」とでも思っているのだろう。コメディだからこそ設定にリアリティが必要なのである。ラジオドラマの生番組で直前に女優が駄々こねたせいで内容がコロコロ変わってどうのこうのって、いくらゴーマンかましたギョーカイ人や阿呆な三流俳優でも生番組オンエア直前にそんなことすれば、ドラマがガタガタになり、結局は自分たちが苦労するってことわかってるじゃない。実際にはあり得ない。いや“ちょっと考えれば実際にあり得ないと誰だって思う設定”と言い換えるべきか。百歩譲ってそういう事態になったとして、それを快く納得させるだけのドラマ作りのセンスってのがこの演出家には微塵もない。

 その設定の中でオタオタする登場人物たちを(アホはアホなりに)愛嬌たっぷりに描けばまだよかった。だが、出てくるのは救いようもないエゴの塊の、張り倒したくなるような連中ばかり。「多少のデフォルメはあるけれど、芸能界ってのはこういう奴らが跳梁跋扈しているんですよ。面白いでしょう?」とでも言いたいのだろうか。そりゃ他人の汚いところを無理矢理見せられたような居心地の悪さを強要しているとしか言いようがないね。

 「バラエティ番組を見に来たんじゃないぞ!」と思った井上順のアドリブ芸とか、鈴木京香のダンナ役のうっとおしさとか、渡辺謙のトホホな使われ方とか、布施明の能天バカぶりとか、西村雅彦の唾棄したいような組織人間ぶりとかetc.よくもまあこんなに低レベルのキャラクター設定ができるものだと寒心・・・・いや、感心してしまった。いっそのことブラックコメディとして破天荒に徹底的に容赦なくぶちまけてくれた方がよっぽどマシだったろう。

 でもまあ、ひょっとしたら舞台版は面白いのかもしれない。もっとも、その“他のメディアでは楽しめるから、これ(映画)もOKだ”という筋道は通用しないのも当然ではある(暗然)。
コメント
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