元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「青いパパイヤの香り」

2006-04-10 19:07:29 | 映画の感想(あ行)
 (原題:L'odeur de la Papaye verte)50年代ベトナム。サイゴンの金持ちの家に田舎から奉公にやってきた少女ムイの物語。ベトナム出身のフランス人監督トラン・アン・ユンの映画デビュー作で、本作によって93年のカンヌ映画祭で新人賞を獲得している。

 物語は淡々と進む。10歳のムイは、奉公先の長男の友人を好きになる。10年後、作曲家として名を成した憧れの彼と、その家のメイドとなったムイとの関係を映画は描くが、ドラマティックな展開や泣かせの演技は皆無である。動物が好きで優しいムイ。何かと彼女にちょっかいを出す一家の三男や、たびたび残忍な面を見せる長男、一家の母親の孤独と彼女の昔の恋人との関係etc.といったドラマが動き出すような要素は提示されているのだが、演出タッチは見事なほど抑制されている。

 この映画に対して批判的な評価をしようと思えばいくらでも出来る。第一に、50年代という激動の時代背景が描かれていない。第二に、ヒロイン像があまりにも男性の側から理想的に捉えられていて、実体感に欠ける(要するに“こんな女の子いるわけがない”という批判だ)。第三に、舞台が屋敷の中に限定されていて作者のオタク的メンタリティが前面に出すぎるetc.私もそう思う。でも、この映画にそんな生臭い批評を投げかけても仕方がないのだ。作者が子供の頃過ごしたベトナム、美しいベトナム、素朴で暖かい人情に溢れたベトナム、これはそんな幼い頃の断片的記憶を最大限美化した個人的ノスタルジアが主体となったイメージ・フィルムなのである。それを承知で観れば、実に肌触りが良く情感豊かな佳篇として楽しむことができる。

 フランスにベトナム風屋敷のセットを組み、カメラはそこから一歩も外に出ない。美しい緑と陽光のコントラスト。舞台劇のように固定化された構図に対し、カメラは引き気味だが、時折挿入されるムイの表情や彼女が愛する動植物の極端なクローズ・アップが抜群の効果をあげている。繊細極まりない音楽も見事の一言だ。

 問題はムイが成長してからの描写だろう。10歳のムイを演じたリュ・マン・サンは素晴らしく、彼女がいるだけでこちらの表情もなごんでしまう。対して20歳のムイは、10歳の頃の雰囲気を何とか残そうと努力はしているものの、無理がある。これで“前半は良いけどヒロインが大きくなった後半はイノセントさが失われてつまらん”という批判も出てくる。でもこれは仕方ないと思う。だいたい誰しも20歳にもなってガキの頃と同じなワケがない。世の中の酸いも甘いも見えてくるし、こすっからしいことも覚えてくる。それが“成長”というものだ。だから、幼い頃の面影と優しさを残しながら、けっこう狡猾(?)に目当ての彼氏を婚約者から奪おうとするのも不自然ではなく、演じる女優はよくやっていたと思う。

 それにしても“女性を台所に縛り付けるのは許さない”という西洋的フェミニズムは、こういうアジア的メンタリティの映画に対してはなんと無力であることか。
コメント
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